星屑カレイドスコープ
三、蛍舞う
「白澤様、機嫌良さそうっすね」
「んー? まぁね」
弟子に指摘され、白澤は小さく笑う。
目の前の大鍋では、調合した薬がふつふつと煮えている。桃太郎がそれを丁寧にかき混ぜるのを見守りながら、白澤は言った。
「ちょっと面白いことがあったんだよ、昨夜」
「え? でも昨日はお出かけにはならなかったですよね?」
「うん。うちに居たけど、来客があってさ」
「へえ」
鼻白んだ表情で顔をしかめた桃太郎は、また女性の来客でもあったのだと思ったのだろう。その予想を裏切れるのが何とはなしに愉快で、白澤は笑んだ。
「言っておくけど、女の子じゃないよ」
「へ? じゃあ、どなたです?」
「鬼灯」
「――はあ」
途端に桃太郎は興味を無くしたような顔をした。今度は、いつもと同じような喧嘩をして白澤が勝ち、少しばかり留飲を下げたのだとでも解したのだろう。
何とも面白いというか、師匠のことをよく分かっている弟子である。
しかし、だからこそ予想を覆してやることが余計に楽しい。どんな顔をするかなと思いつつ、白澤は種明かしをした。
「喧嘩をしに来たんじゃないよ。僕に御礼を持ってきたんだ」
「御礼?」
「そう。ちょっと前にさ、僕がその辺に金魚模様の黒い筒、置いてただろ」
「ああ、そういえばありましたね」
問えば、桃太郎は首肯する。
「何だったんです、あれ」
「万華鏡だよ」
「万華鏡? あれが?」
桃太郎が寝起きしている極楽満月の物置部屋には生薬や調薬に使う道具ばかりでなく、呪具法具の類も色々と転がっている。それゆえ目につく所に奇妙な物が置いてあっても、桃太郎はあまり気にすることがない。
あれが置いてあった数日間は店がそれなりに忙しかったこともあり、手に取る機会に恵まれなかった彼は、地味な黒い筒が万華鏡だとは気付けなかったのだろう。
「そう。現世では今、芸術作品として立派に通る万華鏡がいっぱい作られてるんだよ。で、あれは中に金魚の形のビーズが入っててね。金魚馬鹿の鬼灯が物欲しそうな顔をしたからさ、譲ってやったの。僕はこの通り、素晴らしく寛大だから」
「なるほど。鬼灯さんはその御礼に来たってことですか」
白澤の自讃の言葉は綺麗に無視して、桃太郎は納得したようにうなずいた。
弟子のスルースキルに慣れっこになっている白澤も、反応にこだわることなくあっさりと笑う。
「そういうこと。月の光みたいに綺麗な結晶釉のぐい呑みと美酒二本。あいつにしちゃ至極真っ当な礼の品だったよ」
「そりゃあまた……。鬼灯さんは、その金魚の万華鏡とやらがよほど嬉しかったんでしょうね」
「だろうね。あいつが物欲しそうな顔をすること自体、すごく珍しいことだし……。大事にしてくれてるんだろうねえ」
きっと最初に想像した通りに鬼灯は朝な夕な、万華鏡を覗くのを楽しみにしているのだろう。
あの鬼が一心不乱に万華鏡を回している様子を思うと、妙に可愛いやらおかしいやらで白澤は笑みが浮かぶのを抑え切れなかった。
「ま、あいつにも可愛いとこがあると分かっただけでも収穫だよ」
「可愛い!?」
「うん」
白澤がうなずくと桃太郎は目を剥いて絶句する。
「……俺は、あのひとを可愛いと言える白澤様を心底尊敬しますよ」
そして呆れたように肩をすくめて言った。
確かに、と白澤も思う。
鬼灯の気性は苛烈であるし、白澤に対しては殊更に理不尽に拍車がかかる。理由すらない暴力を散々に浴びせかけられてきた身としては、決してそれらの仕打ちを忘れたわけではない。
だが、今回ばかりは、『可愛い』という感覚が先に立つのだ。その感情一つが他の感情をことごとく凌駕してしまうのである。
憎らしいだのムカつくだのといういつもの感情は一体どこに行ってしまったのか、どれほどあの鬼のことを考えようとも、不思議なくらいに浮かんでこなかった。
「これがギャップ萌えってやつかねえ」
「だからどうして、あのひと相手に萌えが成り立つんですか」
肩をすくめてツッコミながら、桃太郎は鍋の薬を掻き混ぜる。その立ち姿も鍋を混ぜる杓子を扱う手つきも、もう随分と堂に入ったものだった。
白澤は弟子の成長ぶりに満足しつつも、桃太郎が続けて言った、
「まぁ、鬼灯さんは俺にとっても恩人ですし、お二人が仲良くして下さるんなら平和で助かりますけど」
その言葉には、さすがに噴き出す。
「仲良く、は天地がひっくり返ったって無理だよ。無茶言わないでよ、桃タロー君」
「そうですか?」
話を聞いてるとまんざらでもない感じがしますけど、と桃太郎は言った。
「でも、今回の件を横に置いても、白澤様も鬼灯さんのことは一応評価してるでしょ」
「あー。まぁねえ」
曖昧に白澤はうなずく。
鬼灯は、変人だが切れ者であることは確かだし、胆力も行動力も有り余るほどにある。あの鬼神がいなければ日本地獄が回らないことは、今更確認するまでもない周知事項だ。
「あいつのことは大嫌いだけど、やるべきことをきちんとやる所は大したもんだと思うよ。一旦関わったことは最後まで放り出さないし、面倒見もまずまずいいし」
「時々、メチャクチャ強引ですけどね。でもまぁ、そのおかげで俺もここに就職できたようなものですし」
そう言いながら鍋を覗き込む桃太郎に、元はといえば彼も鬼灯が連れてきたのだったと白澤は思い出した。
月日の流れは速いもので、桃太郎を弟子にしてから既に三年余が過ぎようとしている。
白澤にとってはまばたき程の時間に過ぎないが、何かと賑やかであった分、残っている印象は随分と濃い。
色々あったなと思い返すうち、ふと白澤は、そういえば、桃太郎を自分の所に寄越した件についての礼はまだ言っていなかったな、と気付いた。
否、正確には、最初の段階で一応の礼は言ってある。但し、その時はあくまでも桃林の芝刈り要員を紹介してくれたことに対してだった。
そもそも、日本地獄に求人の手紙を書いたのは桃林の手入れのためであり、弟子を募集していたわけではなかったのである。
芝刈り要員が弟子に昇格したのは、桃太郎がそうなりたいと白澤に頼んだからだ。
桃源郷に来るまで極楽満月の存在も白澤の存在も知らなかった桃太郎は、白澤が調薬する様に大いに興味を示し、躊躇いがちに自分にもできるようになるだろうかと問うた。
それで半ば気まぐれに生薬の名前を幾つか教えてみれば、興味深げに、かつ真剣に覚え込もうとする様子を見せ、幾日かが過ぎた後、本格的に教えて欲しい、弟子にして欲しいと白澤に乞うたのである。
白澤も、案外に生真面目な桃太郎の気質を好ましく感じていたところだったから、申し出を快諾した。
白澤が見たところ、桃太郎は格別に物覚えが速い方ではないし、目新しい発想にも乏しい。だが、知識を着実に積み上げてゆくことには長けている。
いずれ独り立ちしたら、斬新さや奇抜さはなくとも、熱心で堅実な腕を持つ薬師(くすし)という評判を必ずや得るに違いなく、その日を思うと白澤は今から楽しみだった。
振り返ってみればひょんなはずみから得た師弟関係ではあるが、白澤は現状に何の不満もない。それどころか、毎日非常に楽しく過ごしている。
認めがたいことではあるが、この好ましい状況をもたらしたきっかけが鬼灯である以上、どこかで感謝の意は表しておくべきなのだろう。
そう思いながら、白澤は桃太郎に指示を出した。
「そろそろいいかな。この状態をよく覚えておくんだよ。こんな風に赤黒い照りが出てきたら一旦火を止めて濾(こ)す。で、冷ましてる間に、次に加える材料の用意をするんだ」
「はい」
桃太郎は真剣にうなずき、火を止める。鍋の中の様子をしっかり目に焼き付け、ノートにも記録してから、濾し器の用意を始める。
その様子を眺めながら、改めて、常闇色の鬼神にどんな風にして感謝の念を伝えるべきなのか、しばし白澤は考え込んだのだった。
案外にその機会は早く訪れた。正確には、白澤がそのことをまだ覚えているうちに向こうがやってきた、と言うべきだろう。
見て欲しいものがあるので宵にそちらへ行く、と電話があったのは、前回の訪問から半月ほどが過ぎた日の昼間のこと。
苦虫を噛み潰したような声をしていたので、碌なことではないだろうと待ち構えていた白澤の前に鬼灯が差し出したのは、陶器というよりも土器と呼びたいような小汚い器(うつわ)だった。
「何これ」
見た目は素焼きの鉢である。さほど大きくもなく、煮物をよそうのにいい大きさだろう。しかし、薄汚れているので、料理の盛り付けに使おうという気には到底なれない。
「うちの倉庫から少し前に出てきたんですよ。見つけた獄卒は、これを灰皿代わりにちょうどいいと思ったらしく、休憩所に置いたんです。そうしたら愉快なことが起こりまして」
「何?」
「灰と吸殻が捨てても捨てても、一晩経つと山盛りになってるんですよ。前夜には一、二本しか吸殻はなかったはずなのに、朝になって次の休憩に来ると山盛りになっている。
それで、私の所に連絡が来ましてね。もしやと思って、豆を一粒放り込んでおいたんです。案の定、一晩経ったら山盛りになってました」
「え、それって……」
「ええ。貴方の国の物でしょう」
目を丸くした白澤の前に、鬼灯はずいと素焼きの器を押しやった。
「聚宝盆か」
「だと思います」
聚宝盆というのは、いわば蛙の恩返しの宝物である。漁師の網にかかり殺されそうになっていた沢山の蛙が、助けてくれた男に礼としてこの器を贈ったのだ。
小粒銀を一つ入れる度に山盛りになるこの器のおかげで男は大金持ちになったが、皇帝に知られて財を没収され、以降、この器の所在は伝えられていない。
「こんなものがお前のとこにあったとはねぇ。現世にあってもいいことは無い代物だから、あの世に戻ってきたのかな」
「もともと仙境の産物ですからね。見つけた誰かが回収して倉庫に放り込んでおいたんでしょう。何故、日本にあったのかは謎ですが」
「うーん。経緯は分からないけど、似たような性質の聚宝竹は倭人が買い取ったって話があるからね。これも交易か何かのはずみで海を渡ったんだろう」
言いながら、白澤は器を手に取り、しげしげと眺めた。見れば見るほど、平凡かつ小汚い鉢である。これにそんな凄まじい力があるとは到底想像できない。
だが、大体の呪具法具というものは、見た目は変哲のないものなのだ。手に取っても何も感じないのが、術としては最上なのである。
「でも、僕に預けていいわけ? これがあれば日本地獄は二度と予算に困らないだろ?」
「無尽蔵の予算なんて、あっても困るだけです。制限がないと堕落するのが生き物の性(さが)ですから」
鬼灯の答えは明快だった。
「予算の枠内でやりくりしようとするから、知恵も工夫も生まれるんですよ。第一、それは我が国の物でもありません。元ある場所にお返しするのが筋でしょう」
「うん、正論だな」
この常闇の鬼神を嫌いではないと思うのは、こういう時だった。
変人ではあるが基本、正論ばかりで生きている。道理の通った意見は聞いていて、やはり小気味いい。
「そういうことなら、これは僕が預かるよ。どの神仙の持ち物だったのか判明したら、そちらに返そう」
「そうしていただけると助かります」
鬼灯の物言いは淡々としていたが、厄介払いをできた安堵感が仄かに滲んでいた。
だが、そこにひょいと桃太郎が口を出す。
「でも、鬼灯さん。本当にいいんですか? それ、あったら便利なものでしょう」
三人分の酒器を卓に並べながら、桃太郎は鬼灯に問いかける。
茶の支度でないのは、白澤が酒を出すように頼んでおいたからだ。宵の来訪であるのなら、鬼灯も仕事は一応終えてくるのだろうし、白澤も日没後に飲むのなら茶より酒の方が良い。
ゆえに桃太郎は三人分の酒の支度をしてくれているのだが、珍しい宝物だと聞いて好奇心が押さえ切れなくなったらしい。ちょんちょんと素焼きの鉢を指先でつついて感触を確かめている。
だが、問われた鬼灯は、至極淡白に答えた。
「便利すぎるんですよ。私だって欲はありますからね。地獄の新しい設備とか、試してみたい拷問道具とか……。好きなだけ予算が使えたら、それらに際限なく投資してしまいます。そういうのは良くありません」
「そういうもんですか」
「ええ」
「過ぎたるは及ばざるが如し、ってね、桃タロー君。こいつの言う通り、何だって無限にあればいいってもんじゃないんだよ」
努力の必要もないまま常に満ち足りていれば堕落する。それは人に限ったことではない。獣でも神でも同じだ。
「物事は少し足りないくらいがいいのさ。すると欲しいものを手に入れるために自然に努力するようになる」
「同意するのは業腹(ごうはら)ですが、桃太郎さん、この偶蹄類の言う通りですよ。飴も必要ですが、飴ばかりでは人格が糖尿病になります」
「僕を分類するなっての。でもまぁ、正論だな」
白澤は笑い、自分の前に置かれた酒杯に手を伸ばす。淡い色合いの結晶釉のぐい吞みは、勿論、鬼灯がくれたものだ。
白澤は物に執着しない方だが、このぐい吞みはきらきらと光る様子が本当に綺麗で、どれほど見ても見飽きなかった。桃太郎もそんな白澤の執心を見知っているから、鬼灯が同席していても、敢えて他の酒杯を選ばなかったのだろう。
当然、目敏い鬼灯がそれを見逃すはずもない。
「使って下さっているんですか、それ」
少し驚いたように言うのに、白澤はゆるりと笑った。
「飾っておく方が良かったか?」
「いえ。しまい込んでもらうために差し上げたわけではないですから」
使ってもらった方がいい、と鬼灯は自分の前に置かれた天青色の景徳鎮の酒杯を取る。
その躊躇いのなさに、白澤は内心、おや、と思った。前回、共に飲んだことで抵抗感が薄れたのだろうか。
それならそれで良いことだと思う。この鬼とは喧嘩ばかりだが、本来、自分は争い事は苦手なのである。誰ともいさかうことなくのほほんと暮らしたい性分なのだ。
もしこのまま友好的な関係が保てるのだとしたら、まさに万華鏡様様である。あれを譲った自分のファインプレーに拍手喝采したいところだった。
そんなことを白澤が思案しているうちに桃太郎も席について、彼気に入りの精緻な線で桃が描かれた色絵の酒杯を手に取る。
「じゃあ乾杯といくか」
「この面子で飲むなんて変な感じしますけどねえ」
「桃タロー君、余計なこと言わない」
鬼灯が便乗して何かを言う前に白澤は弟子に釘を刺す。そしてさっさと酒杯に口を付けた。
「うん、美味い」
今日は桃源郷産の酒だが、中々の味だった。酒好きの仙人が醸造したものであるだけに、度数が高く口当たりが強い辺りがたまらない。
「確かにいいですね、これ。買えるものですか?」
「んー。市場には出回ってないけど、直接造り手の所に行けば買えるよ」
「じゃあ今度紹介して下さい」
「いいよ」
鬼灯の申し出に笑って応じ、更に幾杯かを重ねたところで、不意に桃太郎が思いついたように声を上げた。
「あ、そうだ。白澤様。明かりを消してもいいですか? あれ、鬼灯さんにも見せたいんですけど」
「うん。いいよ」
白澤がうなずけば、桃太郎はいそいそと立ち上がり、鬼灯が不思議そうな顔をする。
「何です?」
「佳いもの」
にやりと笑ってみせると、鬼の眉間に皺が寄る。その様子に白澤は微笑んだ。
「そんなしかめっつらばかりしてると、ここに跡がつくぜ」
右手に酒杯を持ったまま左手を伸ばし、指先で眉間をとんと突いてやる。すると一層、皺が険しく深くなった。
「誰のせいですか」
「僕は佳いものを見せてやるって言ったんだよ。勘繰るお前が悪い」
そんな会話を交わすうちに、すべての照明が消える。
窓から入る星明かりのみになった極楽満月の店内で、白澤は、あれ、と窓際に置いてあるものを指差した。
薄闇に包まれた中、ぽうと小さな光が幾つも点(とも)る。ほんのり翠色を帯びた光は冷たくも温かくも目に映った。
「蛍……?」
鬼灯は呟き、首をかしげる。
「ですが、常春の桃源郷に蛍なんて……」
考え込んでいるらしい鬼灯の視線の先で、その小さな光たちがふわりと飛び始める。その様は、やはり蛍そのものだった。
だが、白澤は酒杯を傾けつつ、いいや、と否定する。
「蛍だけど、蛍じゃないよ」
「? では、何です?」
問われて白澤は笑い、弟子に声をかけた。
「桃タロー君、ちょっと明かりをつけてやって」
「はい」
気のいい弟子は直ぐに立ち上がり、照明をつける。彼も、珍しく鬼灯を驚かすことができたのが嬉しいのだろう。明かりの中で見る表情は笑っていた。
室内が明るくなると鬼灯は立ち上がり、光が舞っていた窓辺に歩み寄る。
そして、そこに置いてあるものをしげしげと眺めた。
「これは……嵌め込んであるのは石……?」
窓辺に飾ってあるのは、白磁の大きな丸い壺だった。ふっくらとした胴には夏草と蛍の意匠が刻まれている。
その蛍の尻の部分に象嵌(ぞうがん)されている半透明のもの。鬼灯はそれにそっと手を触れた。
「石ですね。……蛍石?」
「御名答」
蛍石というと紫外線に反応して光るものが多いが、稀に蓄光して暗闇で燐光を放つものがある。
これは、そういう性質の石ばかりを集めて磨き、磁器に象嵌した壺なのだ。銘は『螢火』。何の捻りもない、そのままの命名だった。
「でもこれ、飛んでましたよね」
「うん、飛ぶよ」
笑い、白澤は新たな酒を自分の盃に注いだ。
「もともとは現世のものなんだけどね。そりゃもう腕のいい職人が精魂こめて作ったやつだから、蛍に魂が宿っちゃったんだよ。現世でも時折飛んでたみたいだけど、僕が引き取って桃源郷に持ってきたら、滅茶苦茶元気になっちゃってさ」
箱の中にしまっている間はおとなしいが、一旦出すと宵になる度に幾匹もの蛍火が舞い飛ぶ。
もっとも能はそれだけで何の害もないため、風流な珍品として現世が夏になると倉庫から出し、飾るのが極楽満月の年中行事の一つだった。
「桃源郷には四季がないから、せめてこれくらいはと思ってさ。いいだろ」
「――貴方って本当に変なものを色々持ってますねえ」
「大陸に文化が生まれた時から何千年と収集してるんだから、うちの倉庫には何だってあるさ。その気になって探せば、だけど」
決して誇張ではなく、白澤は言った。
別棟の倉庫の中はある程度整理はしてあるが、何しろ収蔵数が膨大である。おまけに白澤の好みで大物は少なく、小さな物が殆どであるために、いざ探し物をするとなるとその面倒くささは殊更だった。
「それを伺うと、あの万華鏡を引き取ったのは正解だったという気がしてきますね」
「ああ、うん。物置部屋ならまだしも一旦、倉庫の方にしまっちゃったら、もう簡単には出てこないからなぁ」
「そういうのを宝の持ち腐れというんですよ」
「でも、うちにある限りはそう簡単には無くならない。文字通りの保管庫だよ」
「いっそ博物館でも建てればいいのに」
「それも面倒。表立って持ってるとは言えない物や人目に晒せない物も多いしね」
「――本当に貴方って時々、とんでもなくうさんくさいですよね」
「そりゃあ、僕はヒトじゃないし?」
にっと笑って白澤は答える。
神獣白澤を真に縛れるものはこの世に唯一つ、世界の節理だけだ。大陸の神仙界に属する者として、天帝をはじめとする位階が上の存在には従うが、白澤は基本、自由自在の身である。
世界が終わるまで未来永劫変わることなく、子孫を紡ぐこともない。その独特の在り方は、元は人の子であり鬼の子である鬼灯には計りがたい部分があるはずだった。
だが、その理(ことわり)も鬼灯は承知しているのだろう。
「まぁ、貴方を私の尺度で計ろうとは思いませんが」
手酌で酒を注ぎながら、反論するでもなくさらりと言った。
そして杯を干してから、鬼灯は傍らで黙っていた桃太郎のまなざしに気付いて、小さく眉をひそめる。
「何です?」
その問いにつられて見れば、桃太郎は何とも言えない驚愕と感動の色を浮かべて自分たちを見ていた。
「いやぁ。お二人がこうも長い時間、喧嘩せず普通に話してるところなんて初めて見た気がして……。お二人とも、やればできるんじゃないですか!」
「……ちょっと、桃タロー君」
「それ、どういう意味です?」
揃ってじろりと睨めば、桃太郎はあからさまに慌てた顔になり、立ち上がる。
「あ、ちょっと俺、つまみの支度してきますね!」
そのままばたばたと台所に消えてゆく背中を見送り、白澤は小さく肩をすくめた。
「ったく……」
「結構いい性格してますよね、彼」
「まぁね。でも、それくらいじゃないと、あの世で薬師なんてやってらんないと思うよ。神仙なんて性格イイのばっかりだから」
「……確かに、貴方でもまだ相当おとなしい部類です。他の神様方のやんちゃぶりときたら……」
「そうそう。神様や人間捨てた仙人に人の世の常識なんか説いても無駄だし、お前たちみたいな異国の物の怪だって大事な客のうちだし。臨機応変、柔軟性が素質の第一だよ」
また一杯、ぐいと酒を干して白澤は鬼灯へとまなざしを向けた。
「そういう意味ではお前に感謝してんだよ。僕の弟子になりたいって言って、兎以外でこれだけ続いた子は桃タロー君が初めてだ」
そう告げると。
鬼灯は驚いたように目を丸くしてこちらを見た。
「――驚きました。まさか貴方に礼を言われる日が来るとは」
「初めてじゃないだろ! 僕はそういう言葉は物惜しみしない方だ!」
抗議すれば、受け入れる気があるのだかないのだか、鬼灯は皮肉っぽく肩をすくめる。そしてまた、杯に酒を注いで干した。
「それはともかくとして、どうしてこれまで兎以外のお弟子さんは長続きしなかったんです?」
「それはともかくって何だよ。……まぁ、相性というか適性の問題かな」
過去を振り返りつつ、白澤は答える。
「もともと漢方医っていう意味では僕より神農の方が上なんだよ。僕の本性は獣で、医学の神様じゃない。本格的に医術を修(おさ)めたいものは彼や華陀(かだ)の所に行くから、僕の弟子になりたいという子は決して多いわけじゃないんだ。で、それに加えてもう一つ、桃源郷ならではの問題がある」
「問題?」
「そう。これまで弟子になりたいって言った人の子は、仙人として修業中の子ばかりでね。仙人にも仙丹造りが上手いのと下手なのがいて、下手な連中が弟子を僕の元にやって練丹術を習わせようとしたわけ。でも、僕はこの性格だろ?」
問うように目を向けると、さすがに敏(さと)い。鬼灯は直ぐに納得したようにうなずいた。
「ああ、なるほど。読めました。全ての欲を超越しなければ仙人にはなれない。仙人になってしまえばやりたい放題でも、その修業中はひどくストイックだと聞きますから……」
仙道修行の厳しさについては、古来から様々な逸話が伝えられている。鬼灯もよく聞き知っているのだろう。
「そう。僕が毎晩のように遊び歩くのに耐えらんないんだよね。僕も一応気を遣ってはいたんだけど、一度でも欲に迷ったら、それまでの修業が台無しになってしまう厳しい世界だからさ。
でも結局、練丹術の基礎の基礎をかすっただけで本当の師匠の下に帰ってしまうことが何回か続いて……仙人志望を弟子に取るのは止めたんだ」
「確かに酒だの女だのの匂いをぷんぷんさせてるケダモノが傍に居たら、仙人修行どころではなくなってしまうでしょうね。それを見事耐え切ったら一人前の仙人になれるんでしょうが」
「そういうこと。だからホント、桃タロー君は久しぶりの人の子の弟子だよ。僕は俗っぽいから、弟子も俗物がいいんだ。つくづくそう思った」
鬼灯の皮肉めいた事実の指摘に肩をすくめつつ、白澤は嘆息する。
「で、その桃タロー君を僕に紹介してくれたのはお前だから、お前にも一応感謝してるわけ」
そう言い、ちらりとまなざしを向けると、鬼灯はいつもの感情が読みにくい無表情でその言葉を受け止めているようだった。
手酌で酒を注ぎ、杯を干してから白澤の方を見ないまま、口を開く。
「そう言っていただけるのなら、私としても気が楽です。正直、桃太郎さんがこれだけ貴方に馴染むとは思ってもいなかったので」
淡々とした物言いに、しかし、白澤はそうかと悟った。
「ああ、そっか。最初は厄介払いに近かったんだよな」
「ええ。天国でやることがなくて力を持て余しているのは分かりましたから、手っ取り早く肉体労働でもさせようと思いましてね。渡りに船で、貴方が出した求人に押し込んだんです。それがまさか貴方の弟子になるとは、想像もしませんでした」
「成程。じゃあ桃タロー君が僕の弟子になったことは、誰にとっても喜ばしいことだったってことか」
「そうなりますね」
うなずき、鬼灯はまた手酌で酒を注ごうとする。それを制して、白澤は据え置かれた酒壷から小さな柄杓で酒を酌み、鬼灯の盃に注いだ。
鬼灯はやはり黙って受け、飲み干す。
しばらくの間、二人は台所で桃太郎が働く物音を聞きながら、何とはなしに無言で杯を重ねた。
「――白澤さん」
「ん?」
不意に名を呼ばれ、白澤は視線を鬼灯に向ける。
「先程おっしゃっていた極楽満月の倉庫の話ですけど……」
「うん?」
「見せていただくことってできますか? ちょっと興味が湧いたんですけど」
そういう鬼灯の表情はいつもと変わらず、何を思っているのかは読みにくい。だが、悪巧みを考えている風ではないと白澤は思った。
好奇心も知識欲も旺盛な気質の鬼である。異国の珍品に興味を引かれるのは当然のことだろう。
「倉庫ねえ……」
どうしたものかと白澤は考える。
「見せるのは別に構わないけど、大抵の物は箱に入ってるか布に包んであるかだし、無闇に触ると危険な物も多いから、お前一人で入らせるわけにはいかないな」
鬼の頑丈さを考えれば肉体的な怪我の心配はしなくても良いだろうが、収集品には呪詛にかかわるアイテムも多い。日本地獄の高官が下手に大陸の呪物に引っかかりでもしたら、国際問題に発展しかねないのだ。
「僕が一緒に立ち会って、許可したものにしか触らないっていう条件で我慢できるんなら、いいぜ」
「―――…」
そう言えば、鬼灯は無表情のまま考え込む目になった。
「……貴方はいいんですか?」
「? 何が」
ポツリと問われた意味が分からず、白澤は問い返す。
「その条件を私が飲んだら、貴方は半日なり一日なり私に付き合う羽目になるんですよ」
「当然だろ。分かってるよ、そんなこと」
半ば呆れて白澤は言った。
それが嫌だと思ったら、最初から条件すらつけずに断っている。少し前であったら即座に拒否していたかもしれない。
だが、今は構わないと思えたのだ。
少なくとも、こうして大人しく酒を飲んでいる鬼灯とならば、共に居ても苛立つことはない。鬼灯が暴力を振るったり罵声を浴びせたりしてこない限りは、白澤も穏やかに過ごせるのである。
「嫌だと思ったら最初から断ってる。お前こそどうなの。倉庫にいる間中、暴力振るうの我慢できるのか?」
「何が置いてあるのか分からないような危ない場所で、暴れたりなんかしませんよ」
さらりと鬼灯はうなずいた。
「では双方、問題はなしということになりますか」
「まぁ、そうかな」
奇妙なことになったとは思ったものの、異議はない。白澤が応じると、鬼灯はいつもの淡々とした口調で告げた。
「じゃあ、次の休みが取れたら倉庫の中を見せてもらいに来ます」
「うん。連絡はしろよ。たまにだけど、忙しくて遊んでられない時もうちはあるんだからな」
「たまに、ですか」
「そうだよ。あの世の漢方医がそんなに忙しくてたまるもんか」
「……まぁ正論ですね」
納得したようにうなずく様が、何とはなしに小憎らしい。やっぱり断ってやれば良かったかと思いつつ、白澤は結晶釉のぐい呑みを傾ける。
そこでようやく桃太郎が戻ってきた。
「あれ、明かり付けっぱなしなんですか?」
折角なんだから蛍を楽しみましょうよ、と壁のスイッチで照明を消す。そして再び蛍がやわらかく光り始める中、手にしていた盆を卓上に置いた。
時間がかかっただけあって、大盆の上には幾種類ものつまみが載っている。
椎茸の笠に挽肉を詰めて蒸したもの、葱をたっぷり使った葱焼き、牛蒡と牛肉の大和煮、小海老と長芋のかき揚げ、カラスミを炙ったもの。
常備菜の漬物以外は、どれも出来立てで、ほこほこと湯気が上がっていた。
「これは美味しそうですね」
「ありがとうございます。誰かさんがつまみがないと呑めないとかおっしゃるおかげで、俺の料理の腕も大分上達したと思いますよ」
「料理は僕だってしてるだろ!」
「アンタ、一旦呑み始めたらタダの酔っ払いじゃないですか」
ちらりと白い目を向けてきた桃太郎に反論すれば、更に反論される。ぐぅと唸りつつ、白澤は炙り立てのカラスミに手を出した。
ぱくりと齧れば、絶妙の火加減で実に風味高い。確かに上達してるよなと思いながら見れば、鬼灯もいそいそと箸を取っている。綺麗な箸使いで一口サイズのかき揚げを食し、鬼は満足そうにうなずいた。
「美味いです」
「お口にあって良かったですよ」
素直な感想に桃太郎は笑い、鬼灯に酒を注ぐ。鬼灯は小さく礼を言って受け、盃を干してから自分も返盃した。
鬼灯の愛想のない表情は、桃太郎相手でも変わりはしない。だが、その様子を見ていた白澤は何とはなし、目の前の二人に釈然をしないものを感じないではいられなかった。
一緒に飲んでいれば当然の何でもない光景である。美味い酒と肴があれば、場が和やかになるのは当たり前だ。
そして、自分相手と桃太郎相手では、鬼灯の態度が面白い程に異なることも。
当然のことなのに、何故か今夜に限っては上手く腑に落ちてゆかない。もやもやとした気分に、何だこれ、と思いながらも白澤は酒壺に手を伸ばす。
可愛い女の子ならばともかくも、男に酌をされたところで嬉しくも何ともない。だが、手酌で酒を注いでも、食べながら話している二人がちらともまなざしを向けないことが妙に悔しくて、誰の家だと思ってんだ、とひどく狭量なことを心の中で呟いた時。
鬼灯が不意にこちらを見た。
「貴方は食べないんですか」
椎茸美味いですよ、と抑揚のない声で言われて、白澤は胸の内を見透かされたような気分になる。
「食べるよ」
慌てて言い返し、料理に箸を伸ばす。鬼灯の言う通り、椎茸の肉詰め蒸しは実にふんわりと旨味の濃い味に仕上がっていた。たっぷりの肉汁を肉厚でやわらかい椎茸がしっかりと受け止めている。
「うん、美味いね」
「そうっすか」
桃太郎の反応は鬼灯に対するより素っ気ない。だが、表情は満足げに笑んでいる。その表情を見て、そうかと白澤は気付いた。
冷静に考えれば、師匠と客人に対する態度が一緒であるわけがない。桃太郎は桃太郎で、客人を交えて飲むという中々あるようでないシチュエーションを楽しんでいるのだろう。
一方、鬼灯はといえば、これまた白澤とそれ以外の存在に対しては態度に明らかな差があるのが常だ。そういう意味では通常運転でしかない。
つまり、どちらも普通にふるまっているだけで、格別に白澤をのけ者にしようとしているわけではない。白澤がひがむ必要などないのである。
それなのに、何故突然こんな気分になったのだろうといぶかしく思いながら、酒壺に添えた柄杓に手を伸ばし、おい、と白澤は鬼灯を呼ぶ。
何かと問うまなざしでこちらを見た鬼灯に、酒を酌んだ柄杓を向ければ、呼吸一つ分の間をおいて鬼灯は酒杯を差し出した。
並々と注いでやれば、どうも、と杯に口を付ける。小気味よく一息で飲み干し、それから白澤に返盃の柄杓を差し向けた。
酌をするのも返盃も礼儀作法のうちであり、深い意味はそこにはない。けれど、鬼灯相手だと思うと微妙な感慨が胸の内に混じる。
並々と注がれる酒を受けながら、白澤はふと、先程思ったことを問いかけてみた。
「お前、今夜はうちで飲むのを嫌がらなかったな」
桃太郎が三人分の酒杯を運んできた時、鬼灯は何も言わずにそれを手に取った。そのことを指摘すると、鬼灯は小さく肩をすくめる。
「せっかく用意していただいたものを断るのも失礼でしょう。私もそこまで野暮じゃありません。今日はもう仕事も終えてきてますから、特に支障もありませんしね」
「僕と飲むのに、もう抵抗はないわけ?」
「既に一度飲んでるのに、今更ガタガタ言って一体何になるんです?」
「……ならないね」
「そういうことですよ」
さらりと言い、鬼灯は今度は手酌で酒を酌む。
その様子を眺めながら、白澤はこのところ何となく感じていたことを改めて意識に上らせた。
―――もしかしたら、思っていたよりも自分はこの鬼に嫌われているわけではないのかもしれない。
それは、最近になって生じたぼんやりとした確信だった。
鬼灯には顔も見たくないとよく言われるが、本当に嫌いならこうして共に酒を飲み、嫌いな相手が提供した食べ物に舌鼓を打つことはないだろう。
今夜の酒肴は桃太郎の手によるものだが、前回は白澤が作ったものだった。それでもこの鬼は美味いと食べていたのだ。
加えて先程、倉庫の中を見たいとねだられた。これも本当に嫌な相手には頼まないだろうし、ましてや、中を見る間、一緒に居るという条件を呑むことなどしないに違いない。
かき揚げを齧りつつ、よく分からないなと白澤は心の中で呟く。
この鬼のことは本当によく分からない。無論、鬼という化生(けしょう)についての生物学的なことは識っている。だが、頭の中はさっぱり読めない。
白澤を大嫌いだという割にはよく桃源郷にやってくるし、理不尽な暴力をふるう割には時々やることが可愛い。
何もかも矛盾の塊として白澤の目には映る。
―――けれど、そんな鬼灯を本当に嫌いかと聞かれたら。
自分もまた、真のところではそうではないのだ。
本当に顔も見たくないと思うのなら、一緒に飲もうと持ちかけたりはしない。もし顔を合わせることが全く無くなりでもしたら、ひどく物足りないと感じるだろう。
―――会う度に喧嘩を売ってきて、時には理由すらない理不尽を仕掛けてくる鬼は好きではない。
けれど、金魚に夢中になっている鬼灯は可愛い。
万華鏡の御礼をわざわざ持ってきたのは驚いたが、月光が結晶化したような綺麗なぐい呑みは素直に嬉しいと思ったし、とても気に入った。
乱暴者には違いないが、一緒に飲んでいる分には暴れないし、減らず口は叩いてくるけれど、我慢できないほどのものではない。共通の話題は色々あるし、思考回路はおかしくとも頭の良い奴だから、口喧嘩にさえならなければ会話は楽しいと思う。
腹が立つことは多々あれど、それは鬼灯が暴力を振るってくるからであり、それさえなければ傍にいることは苦痛ではない―――。
こうして偽りも欺瞞(ぎまん)もない本音を並べ立ててみれば、見事に矛盾ばかりだ。だが、鬼灯の方も現状は似たようなものではないのだろうか。
大嫌いだと互いに罵りつつも、内心はそうとは言い切れない自分と鬼灯。
どちらも矛盾の塊で、しかも最近、更にその矛盾は揺らぎ、変化を続けているように思われてならない。鬼灯の態度は会う度にやわらかくなってきているし、自分もまた同様だ。
ちらりとまなざしを向ければ、白澤の視線の先で鬼灯は桃太郎と会話しつつ、遠慮なしに飲み食いしている。もぐもぐと口を動かしている様は、やはり何とはなしに可愛い。可愛いとしか表現のしようがない。
こんな風に、と白澤は手酌で酒を酌みながら思う。
この鬼といつも平穏に過ごせたなら、おそらく自分の中にある『嫌い』という感情は更に薄れていくだろう。そして多分、『可愛い』と『楽しい』だけが残る。
勿論、そんなのは自分達らしくない。
けれど、もう少しそうなってもいいのに、と思わずにはいられない。
―――だって、お前は暴力さえ振るわなきゃ可愛いし、話をしてて面白いし。
いがみ合うばかりでは惜しい相手だと、これは掛け値なしに思う。
金魚の万華鏡をきっかけに鬼灯の態度が少しやわらかくなり、それを受けて自分も少し反応を和らげた。この状態が続いて、もう少し進んだら。
そうしたら――。
「どうなるんだろ?」
想像が及ばず、白澤は首をかしげる。
でも、何かが始まる気はするのだ。それが何か見当もつかなくても、きっと今より好ましい何かが。
見つめる先で、桃太郎と話していた鬼灯が、ふとこちらを向く。
蛍火がふわりふわりと幻想的に飛び交う中、何ですか、と問う闇色のまなざしに、何でもないよと笑み返して。
今はまだ形の掴めないそれが、早く始まればいいのにな、と白澤は思った。
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