Yesterdayを歌って 15
「……シズちゃん」
「……なんだよ」
「そんなに俺のこと好きだったの? 高校の頃から?」
「だから、そう言ってんだろうが! 本っ当に手前は俺のこと信じてねぇな……!!」
「信じてないよ! 信じたくても信じさせてくれないのは、シズちゃん自身じゃないか……!」
静雄を睨みつけ、それから臨也は肺から空気を搾り出すような溜息をついて、深くうなだれた。
「おい、臨也……」
「シズちゃんって、本当に駄目人間。へたれ。へっぽこ。ロクデナシ。おたんこなす」
「おい」
「こーんな馬鹿をずっと好きだったなんて、俺って本当にかわいそう……」
「は……」
静雄が固まる気配を感じながら、臨也はのろのろと顔を上げる。
すると、静雄が目をまん丸にしてこちらを見ていた。
「今、お前……」
「ずっと好きだったって言ったよ? でも、それが何?」
「何、ってお前……」
どう言葉を告げばよいのか分からないと口をパクパクさせる静雄に、臨也は深く溜息をついた。
「そんなんだから、シズちゃんは馬鹿だって言うんだよ」
「はぁ?」
「俺も昔からシズちゃんが好きでした。で? そういう俺に君は何をしたわけ?」
きついまなざしで睨めば、静雄は気圧されたように息を呑む。
「ねえ、シズちゃん。俺は、あの音楽準備室で初めて君のピアノを聴いた時から、ずっと君が好きだったよ」
そう告げる端から再び涙が零れ落ちる。
どうしようも悔しかった。
あんなにも一緒に居たのに、何一つ伝わっていなかったことが。
何一つ、静雄は分かっていなかったことが。
「確かに俺は、君には憎まれ口ばかり叩いて、怒らせてばっかりだった。でも、好きだったからずっと傍にいたし、ずっと君の傍で君のピアノを聴いていたかった。そして、それは君も一緒だと思ってた。馬鹿かもしれないけど、そう信じてたんだよ」
「臨也……」
「言って欲しかったよ、シズちゃん。そんなに俺のことを好きで居てくれたんなら、迷うのも悩むのも、俺にも一緒にさせて欲しかった」
「俺は、君が居て、君のピアノがあったら、もうそれだけで良かったんだ。大学とかそんな形はどうでも良くて、ただ一緒に居られたら、それで良かったんだよ……!」
もし高校三年の頃に静雄に正直な思いを打ち明けられていたら、臨也も必ず戸惑い、悩み、怒っただろう。
だが、最後に辿り着く結論は、間違いなくこれだった。
形などどうでもいい。ただ一緒にいたい。
そうとしか思えないくらい、どうしようもないくらいに好きだったのだ。それ以外の真実など、あるはずがなかった。
なのに、それを静雄は知らなかったのだ。
臨也が言わなかったせいでもあるし、彼が気付かなかったせいでもある。
再会時にあんな告白の仕方をした以上、臨也が静雄を好きなことはぼんやりとでも感じ取っていたに違いないだろう。だが、その想いの深さまでは、静雄は分かっていなかった。
分かっていれば、幾ら静雄がピアノ馬鹿であっても、あんな離れ方はしなかっただろう。少なくとも、二人してこんな思いをすることは無かったはずだった。
「臨也」
流れ落ちる涙もそのままに、睨みつけるように見つめていれば、静雄は衝撃に見開いていた瞳をくしゃりと打ちひしがれたものに換えて、臨也の名前を呼ぶ。
そして、らしくないほどにおずおずと臨也の涙で濡れた頬に指を触れた。
「臨也」
その場に屈みこんで、臨也の顔を覗き込む。
「……なんて言っていいのか、分かんねぇ。お前がそんなに俺と俺のピアノを好きだなんて、知らなかったしよ……。でも、知らなかったじゃすまねぇよな……」
壊れ物に触れるかのように、そうっとそうっと静雄は臨也の頬を撫で、零れ落ちる涙を何度も払った。
「ごめんな、臨也。俺、滅茶苦茶にお前のこと傷付けてたんだな」
「そうだよ」
先程までの意味が分からないまま詫びる声ではなかった。
この上なく真摯で、どうしようもなく優しくて、ひたすらに悲しい。
その声で紡がれる言葉を肯定する端から、ほろほろと涙が零れてゆく。
「滅茶苦茶、傷付いたよ。ものすごく悲しかったし、悔しかったし、腹が立ったし……!」
「ああ。……本当に悪かった」
「本当に、辛かったんだから……っ」
ぼろぼろと泣きながら、やっと伝わった、と臨也は震える吐息をつく。
どんなに辛くて悲しかったか。
どんなに好きだったか。
やっと静雄に伝わった。
やっと分かってもらえたという安堵に、今度こそ涙が止まらなくなる。
「ごめんな、ごめん」
そのまま再び胸にぎゅっと抱きこまれて、臨也は遠慮なくそこで泣きじゃくった。
「でも、好きだ。すげぇ好きだ」
何度も何度も臨也の頭を撫でながら、静雄は繰り返して告げる。
「あの日、お前との電話を切った後すぐから、もうピアノ弾いても全然楽しくなかった。それで気付いたんだよ、本当に大事なのはピアノじゃなくて、お前が傍に居ることだったんだって。もう少し早く気付いてればって、すげぇ後悔した」
告白もまた、先程までの苦い声ではなかった。
ただひたすらに切ない響きで、臨也に真っ直ぐに届いて。
その心を震わせた。
「でも、さすがに昨日の今日で、お前に電話する勇気はなくってよ……。そのうち、ピアノ弾いてても楽しくねぇのをマスターに気付かれて、大事な奴を失くしたって言ったら、いつかまたピアノを聴いてもらえるといいね、って言われてよ。それからだ。もう一度お前が俺のピアノを聴いてくれたら、って考え始めたのは」
「……それで、ずっと待ってたの?」
「ああ」
答える静雄の抱き締める腕の力が、ぎゅっと強くなる。
「ずっと待ってた。毎日ピアノ弾きながらよ、今夜は来るかな、明日は来るかな、やっぱ無理だよな、ってよ。すげぇ馬鹿みたいだったけど、俺も他にどうしたらいいか分かんなかったんだよ」
そうだったのか、と臨也は思う。
自分も辛かった。本当に悲しかった。
けれど。
「シズちゃんも辛かった……?」
「ああ。辛かったし、すげぇ寂しかった」
「……そっか」
寂しかった、という静雄の素直な言葉が、この上なく臨也の胸にも染みて。
「こんなこと言う資格、ねぇのかもしれねぇけど。でも、傍に居てくれ、臨也。お前が居ないと俺は駄目だ。何してても楽しくねぇし、寂しくて仕方ねぇんだよ」
「……うん」
静雄の腕の中で、臨也は小さくうなずく。
ずっと辛かった。
悲しかった。
けれど、剥き出しのまま差し出された静雄の心が、今、目の前にある。
それは、ずっとずっと欲しかったものだった。
臨也と同じくらいに傷付いて、悲しんで、寂しがっていた静雄の心。
ずっと臨也を好きで、ずっと待ち続けていた、どうしようもなく馬鹿で愛おしいその光に触れて、もういいと、やっと心の底から思うことができる。
やっと許すことができる。
あの日からずっと凍り付いていた心が、魂が、春風に触れた薄氷のように優しく融けてゆく。
そのことに深い安堵を感じながら、臨也はゆっくりと静雄の背に両腕を回した。
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