Yesterdayを歌って 07

「すごかったな」
 興奮冷めやらぬ表情のまま、映画館を出るなり静雄は言った。
「そうだね。あんな弾き方もできるんだね」
「鍵盤以外の部分を叩いて音を出すっつーのは、ジャズでもあるプレイなんだけどな。でもあんなすげぇのは初めて聞いたぜ」
「うん。でも、それ以上にすごかった。鬼気迫るって言ったらいいのかな」
「ああ、そんな感じだった」
 普段はあまり口数の多くない静雄が、矢継ぎ早に言葉を重ねる。
 それが何ともおかしいような切ないような気がして、臨也は小さく笑んだ。
「ねえ、シズちゃん」
「ん?」
「お昼御飯食べたらさ、ピアノの弾ける所に行こうか。場所はどこでもいいから」
 そう告げると、静雄はひどく驚いたような顔で臨也を見る。
 その顔がおかしいと思いながら、臨也は笑って見せた。
「ピアノ、弾きたくなったんだろ? 映画見てる間も時々指が動いてたし」
「……あー、そうだったか?」
「うん。主人公が弾く場面で、一緒に弾いてた」
「……悪ぃ」
 指が動いていたということは、ピアノに魂を奪われて、隣りに居る臨也のことなど綺麗に失念していたということだ。
 それを自覚しているからこその謝罪なのだろうと臨也は理解したが、気持ちとしては、謝られても嬉しさ半分悲しさ半分というところだった。
「何で謝るんだよ。今更だろ、シズちゃんのピアノ馬鹿は」
「かもしれねぇけど」
「いいよ。俺としては、シズちゃんに上の空で居られるよりは、ピアノ聞かせてくれる方がずっと楽しいし。その代わり、リクは聞いてもらうけど」
「――分かった」
 少し困ったような顔をしていた静雄は、やがて自分を納得させるようにうなずく。
 彼自身も、臨也の指摘は的を得たものだと分かっているのだ。
 たとえばこの後、駅前のショッピングモールや、その中にあるゲームセンターをうろついたところで、静雄はぼんやりと映画の中のピアニストとピアノのことを考え続けるだろう。
 そんな静雄の隣りで聞いてもらえもしない話をダラダラとし続けるくらいなら、いっそのこと静雄のピアノの音に包まれている方が、臨也としてはまだ幸せを感じられる。
 そう思っての半ば自虐的な提案なのだが、静雄もそんな臨也の心情をを全く察することができないほどの朴念仁ではない。ピアノ馬鹿ではあるが、決して頭が悪いわけではないのだ。
「マジで悪ぃな、俺……」
 すまなさそうな顔をする静雄が嫌で、臨也は高校時代と変わらない、少しばかり皮肉な笑みを形作る。
「いいって。ピアニストの映画ならこうなるだろうと思ってたし。それに一緒に行くって言ったのは俺だよ。あんまり謝られると返って腹が立つんだけど」
「……そうか」
「そうそう。ほら、お昼食べに行こうよ。俺、おなか空いた。あ、勿論シズちゃんの奢りね!」
 映画は割り勘だったのだから、これくらい当然だと見上げれば、静雄は複雑そうな顔で、それでも承知した。
「分かったよ。何食いてぇんだ」
「んー、ピザ気分かな。ボリュームたっぷりのチーズがどーんって載ってるやつ食べたい」
「デリバリーした方が早ぇんじゃねえか」
「きちんとした奴が食べたいんだよ、俺は」
「デリバリーだって、それなりに普通に作ってあるだろ」
「石釜焼じゃないと嫌だ」
「手前、どんどんグレード上がってってるじゃねーか!」
「その通り。さっさと店に向かわないと天井知らずに上がるよー?」
 にんまりと笑ってやれば、静雄はチッと舌打ちする。
 そして、臨也に向かって右手を差し出した。
「……何?」
 自分に向けられた手のひらの意味が分からず、きょとんと問えば、苛ただしげに左手を掴まれる。
「だから、ピザ食いに行くんだろ」
「は、え、シズちゃん……!?」
 臨也の左手を掴んだまま、静雄はさっさと歩き出してしまう。つられて臨也も歩き出すしかない。
(え、え、何これ……!?)
 訳が分からなかった。
 自分の左手が、静雄の右手に掴まれている。
 指の長い、けれど指先だけは丸い、大きなピアニストの手。
 その手の中に、自分の手、が。
(〜〜〜〜っ!!)
 状況を正しく理解した脳が、ぼんと音を立てて爆発したようだった。
(ホンット、何してくれんだよシズちゃん!!)
 平日のこんな真っ昼間に手を繋いで街を歩くなんて、一体何の羞恥プレイか罰ゲームか。
 だが、繋いだ手は間違いなく温かくて、心地良くて。
 離せとも離してくれとも言えないまま、臨也は真っ赤になりそうな顔色を必死に抑えながら黙々と歩くしかなかった。



NEXT >>
<< PREV
<< BACK