Yesterdayを歌って 03

「俺は平和島静雄。新羅とは小学校が一緒だったんだよ」
「らしいね。名前だけは聞かされたことがあるよ」
「そうか。クラスは新羅と一緒か?」
「ああ。1−C。君は?」
「1−Aだ」
 なるほど、とうなずく。AとCでは体育や選択式の芸術科目で合同クラスになることもない。だから、これまで噂話を聞くこともなかったのだろう。
「でも、すごいね。さっきの新羅の紹介じゃないけど、中学じゃ負け知らずだったんだけどな」
「成績の話か? 大したこっちゃねぇよ。いつもよりミスが少なかったってだけだ。実際、全科目合計で十三点差だろ。次はお前が勝つんじゃねぇの?」
「――その言い方、なんかムカつくなぁ」
 臨也は元々、相当に負けず嫌いの性格をしている。それゆえに格別勉強が好きというわけでもないのに中学時代は主席を譲らなかったし、今回の実力テストも相応の気合で挑んだ。
 にもかかわらず、それを大したことないと言われては、腹を立てるには十分過ぎた。
「そういう余裕ぶったことを言う奴、俺は好きじゃないんだよね。涼しい顔して自分より成績の悪い奴を腹の中でせせら笑ってるんじゃないの? どうせ誰も俺には勝てないんだって自信?」
「――あぁ?」
「臨也、静雄はそんな奴じゃないよ。本当に成績とかに興味がないだけで」
「その辺も胡散臭いよね。そんなにどうでもいいなら、こんな進学校に来る必要なかっただろ。高い学費を申し訳ないと思うんなら、中卒で就職でも何でもすれば良かったんじゃない?」
 思い切り嫌味な調子で言い放てば、静雄の表情が一気に険しくなる。
「――気に入らねぇな。初対面で相手に難癖つけるのが手前の流儀かよ」
「はっ、人を馬鹿にした発言してるのは君の方だろ。君の言い方を聞いてると、いい成績を取るために努力してる奴は馬鹿と同義ってことになる」
「誰もそんなこと言ってねぇだろ。それに俺だって勉強せずに試験受けてるわけじゃねぇよ」
「こんなものはつまらないって思いながらね! でも、おあいにく様。君が大したことじゃないっていう成績を示さなきゃ、この国じゃ生きにくいんだよ。君だってそれが分かってるから、高い学費を出してもらってここに居るんだろ」
「────」
「くだらないと思うのは勝手さ。確かに成績上げることだけに夢中になって、しがみついてるのはみっともないよ。成績や出身校だけが人生の全てじゃない。でも、ここに居る以上、それを思っても口に出すなよ。君だって同じ穴のムジナなんだから、そういうのを目糞鼻糞を笑うって言うんだよ」
 真っ直ぐに相手の目を見据えて告げれば、静雄の表情は険しいを超えて、すっと冷えた。
 辺りの気温が急に下がったと錯覚するほどに、それは劇的な変化だった。
「折原」
「何?」
 わずかながらも気圧されつつ、それを隠して平然と応じれば、憤怒がそのまま凍てついたようなまなざしで静雄は臨也を睨みつけた。
「手前の言い分は確かに全部は間違ってねぇよ。俺は俺の意志でここに居るんだ。それは認めてやる。――だから、」
 静雄のまなざしが鋭く光る。その輝きを臨也は挑戦的に受け止めた。
 張り詰めた空気の中、静雄の低い声が響いて。
「俺はこの先三年間、首席を譲ってなんかやらねぇ。他の誰に負けても手前にだけは絶対に負けねぇよ、折原臨也」
「はっ、上等。やれるもんならやってみなよ。俺だって二度と君に負ける気はないからさ」
「言ってろ」
 荒く言い捨てて、静雄は踵を返しその場を離れてゆく。
 その背の高い後ろ姿に鋭いまなざしを向けていた臨也に、新羅がいつもと変わらないのんきな口調で話しかけた。
「珍しいね、初対面の相手にこんな風に喧嘩を売るなんて。臨也らしくないよ?」
「俺らしくないって何だよ」
「そういう風にむきになるところが、だよ。いつだって余裕の笑みで、腹の中で周囲をせせら笑ってるのが君だろ。まったく、自分に対して言ってるのかと思ったよ、さっきの啖呵はさ」
「――ちょっと気に食わなかっただけさ」
「静雄が? でも彼は表も裏もないよ? 君が難癖つけたことは全部言いがかりだ。静雄は他人の努力を馬鹿にしたりしないし、学校の成績を重要とも思ってない。彼の口から出るのは全部本気の言葉だよ」
「そういう奴、嫌いなんだよ」
 胸のうちに渦巻くじりじりとした感情に憮然としながら応じれば、新羅はやれやれとばかりに肩をすくめた。
「いよいよ空前絶後だね。君が誰かを嫌いだってはっきり言うの、初めて聞いたよ。人間は面白い、俺は人間を愛してるが君の口癖じゃなかったっけ?」
「――お前のことも嫌いだよ、新羅。分かったようなことを言う奴は、皆嫌いだ」
「おや、それはどうも。構わないよ、私は心の恋人さえいればいいんだから。彼女さえいれば世界の全てが満たされるんだ」
「お前だって、その恋人とやらに賞賛されたいだけで、この学校に進学したくせにさ」
「その何が悪いと言うんだい? 世界は愛が全てだよ。愛さえあれば全てが許されるし完璧になるんだよ」
 そのまま滔々と愛のすばらしさ、自分の恋人(?)について語り出した新羅を無視して、臨也は廊下を静雄が去っていった方向とは反対に歩き出す。
 自分でも何故、こんなにも胸の内が焼けているのか分からなかった。
 とにかく気に食わないと思う。
 あんな無神経に他人を小馬鹿にしたことを言うような傲慢な人間は、絶対に認めたくなかった。
 たとえ自分自身も、学校の成績もテストもくだらない、つまらないと思っていても、だ。
 その学歴社会のど真ん中に存在しているこの進学校に居る以上、同じ場所に居る他の人間を嘲笑うことは許されない。――否、他人のことなどどうでもいい。この自分を嘲笑うことだけは決して許さないし、許せない。
「吠え面かかせてあげるよ、平和島静雄」
 これまで一度も出したことのない冷たく冷えた声でその名前を呼び、臨也はまっすぐに前を見据えて歩いた。


(あー、今から思い返すと本当に最悪の出会いだったよね)
 初対面の時から臨也は彼が気に入らなかったし、喧嘩を売られた静雄も同様だっただろう。
 その日以来、静雄と臨也は激烈な成績争いに突入し、最低でも月一回は行われていた校内試験で、それぞれ全科目満点すら叩き出したことも一度や二度ではない。
 成績は僅差どころかほぼ同等で、どちらかが続けて首席を取ることは殆どなく、毎回のように首席と次席の名前は入れ替わりながら、点数では三位以下を遠く引き離していた。
 とはいえ犬猿の中であることには変わりなく、廊下で顔を合わせる度に、無視しようとする静雄を臨也が挑発する形で口喧嘩を繰り返し、それが学校中を使った追いかけっこに発展することも日常茶飯事だった。
 それに転機が訪れたのは、入学からおよそ半年が過ぎた頃。
 秋の初めの放課後のことだった。
(結局、ピアノだったんだよなぁ)
 俺たちの転機はいつでも彼のピアノだ、と思った時。
「おい、何ぼーっとしてんだ」
「あ、うん」
 目的地である小さな映画館の入り口で静雄が振り返って、こちらを見ている。
 思い出にふけるあまり、歩く速度が遅くなっていたらしい。臨也はすぐに足を速めて、彼の隣りに並んだ。
「具合でも悪いのか?」
「ん? そうじゃないよ」
「にしては、今日はぼーっとしてるじゃねえか」
「ああ、まぁね……」
 確認するように顔を見つめてくる静雄に苦笑しながら、何でもないと臨也は彼の懸念を否定する。
「君と出かけるの久しぶりだからさ。ちょっと感慨に浸ってんだよ」
 そう告げれば、静雄は虚を突かれた顔になった。
「あー、まぁ、いつもうちのバーで会うばっかりだもんな」
 きまり悪げに視線を逸らしながら、後ろ髪を掻き上げる。そんな表情、そんな仕草さえも好きだと思いながら、臨也は微笑んだ。
「そういうこと。分かったら、入ろうよ。こういう名画系の映画館って席数少ないから、すぐに埋まっちゃうよ?」
「――おう」
 気まずげな表情を残したまま、それでも静雄は切符売りの窓口へと向かう。
 その後をついて行きながら、臨也は過ぎ去った遠いあの日のことを思い出していた。


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