Yesterdayを歌って 02

 駅前の道に沿ってロータリーを回り込み、駅舎の正面まで来て、臨也は歩きながらきょろ、と周囲を見回す。
 待ち合わせの相手は、決して時間にルーズではない。
 案の定、遠目にも目立つ金髪が噴水の向こうに立っているのが見えて、臨也はそちらへと歩き出した。
「シズちゃん」
 臨也の声は高くも低くも無いが、良く透る。そして、耳の良い相手は、即座にまなざしをこちらへと向け、臨也の姿を捉えた。
 幾らか歩調を速めて近づきながら、臨也は久しぶりに見る静雄の私服姿に、鼓動が小さく高鳴るのを感じる。
 共に通った高校は制服があったし、卒業してからは三年近く音信不通で、再会した時には静雄はバーテン服を着ていた。
 ゆえに、臨也の記憶が正しければ、最後に静雄の私服を見たのは大学受験の直前の日曜日、一緒に図書館で勉強した時のことだ。
 紺色の温かそうなセーターとダークグリーン系のネルのシャツにジーンズ、そして、焦げ茶色のダッフル。取り立てて良いものを着ていたわけでもないのに、元々のスタイルが抜群に良いものだから、嫌になるほど映えて見えた。
 そんなことまで覚えている自分の記憶力が嫌になりながら、臨也は静雄の前に立つ。
「相変わらず早いね」
「そうでもねぇよ。五分くらい前に来たとこだ」
 まだ半分くらい残っていた煙草を携帯灰皿に片付けながら、静雄は何でもないことのように言う。事実、きちんとした両親に育てられた彼にしてみれば、待ち合わせの十分前に到着しているのは当然のことなのだろう。
 臨也も別に遅刻をしたりはしないのだが、それでも静雄より先に待ち合わせ場所に着いたことは、過去にも殆どなかった。
 そして、その数少ない例外の一つは、今でも思い出したくない記憶だ。
 霙(みぞれ)の降る寒い冬の朝に、着席を促す予鈴が鳴っても姿を現さない静雄のことを、心底不安になりながら待ち続けたあの時のことなど。
 何度電話しても繋がらず、メールを送信しても返信は無く、ただ焦って怯えることしかできなかった、あの日。
 思い出す度に身を引き千切られるように辛くて、腹立たしくて、何度も忘れようとしたのに、どうしても忘却の淵へと捨て去ることができなかった苦く苦しい記憶。
 自分の記憶を自由自在に操れたらどんなにか良いだろうと思いながら、臨也は静雄を見上げる。
 だが、静雄は臨也の心情になど、まるで気付いていない素振りで携帯灰皿をしまい、体重を預けていた壁から背を離した。
「じゃあ、行くか」
「うん」
 うながされて、臨也は素直にうなずく。
 ここで静雄に喧嘩を売っても仕方が無い。言いたいことも詰りたいことも山のようにあったが、だからといって、デートの初っ端から気まずくなりたいわけではないのだ。
 しかし、
(デート、でいいんだよな……?)
 静雄に並んで歩き出しながら、今更なことをちらりと臨也は考える。

 今日、二人で出かけることになったのは、三日前、静雄の働くジャズバーに臨也が会いに行った帰り道に、静雄が見たい映画がある、と何気なくもらしたのがきっかけだった。
 名画系のヨーロッパ映画で、とあるピアニストを描いた作品だという。
 どこまでピアノ馬鹿なのかと思いながらも、つい、じゃあ一緒に行く?、と持ちかけてしまったのは、臨也の甘さだろう。或いは、もっと別の心の動きに言い換えることもできるかもしれない。
 その辺りはともかくも、静雄は少し驚いたように臨也を見つめ、つまんねぇかもしれねーぞ、と言った。だが、それは決して拒絶の返事ではなかったから、臨也は、いいよヨーロッパ映画嫌いじゃないし、とうなずいたのだ。
 そして今に至るのだが、一応付き合っている二人が一緒に出かけるのなら、それは普通、デートと呼ぶはずである。
 だが、そうと断言できないのは、臨也が静雄の心情を未だに図りかねているからだった。
 好きだとははっきり言われているし、何度か──正確には三回、キスもした。しかし、それでも恋人だと胸を張れないのは、三年近く前のことが、どうしても頭にちらつくからだ。
 再会した静雄は、高校時代から臨也をずっと好きだったというようなことを言ったが、それなら何故、臨也には何も言わず、同じだったはずの進路を変えてしまったのか。
 それについては静雄も未だ説明してくれてはおらず、そのために臨也も、まだあの頃のように静雄を全面的に信じる気にはなれずにいた。
(女々しいよな……)
 二十歳も超えたのに、思春期の少女のように傷付いたままの自分が嫌で、臨也はこっそりと溜息をつく。
 そして、隣りを歩く静雄を窺い見たが、彼のまなざしは前方に向いており、こちらの様子に気付いた気配はなくて。
(シズちゃんのバーカ)
 この距離に居ながら、おまけに好きだと言いながら、臨也の気持ちになど全く気付かない。鈍感にも程があると心の中で悪態をつく。
 だが、臨也の方も、静雄の考えていることが分かるわけではないのは同じだった。
 そういう意味ではお互い様であるし、哲学的に考えれば、言葉にしなければ相手に考えを伝えることができない人間という種族の限界でもある。
 だが、それはなんてもどかしいことだろう、と臨也は思わずにはいられない。
(手と手を繋いだら考えが伝わるとかだったらいいのに……)
 知りたい、と願ったら相手の考えが伝わって、分かって欲しいと願ったら自分の考えが伝われば、そんなに便利なことは無いだろう。
(でも、シズちゃんに全部知られても困るのは確かなんだよね)
 分かって欲しいとは思うが、心の中には、決して知られたくないと思うドロドロした感情も、うんと沢山溢れている。
 こういう風に物思いをしていることすら、分かって欲しいけれども知られたくないことの一つだ。
 本当にもどかしい、と溜息を押し殺して、臨也は心持ち歩く速度が遅くなった足を速めて、静雄に肩を並べた。
 ちらりと見上げた静雄の横顔は、相変わらず端整で──高校時代よりも精悍さを増して、否が応にも目が惹き付けられる。
 そのことがひどく悔しかったが、今更どうしようもない。
(ホント、なんで俺、シズちゃんなんか好きになっちゃったんだろ)
 ついた溜息はほろ苦く、そのくせ妙に甘くて、臨也の眉間に思わず小さな皺が寄った。


 二人の出会いは、六年前。高校の入学式直後まで遡る。
 都内でもそこそこの進学校である来神高校。そこが二人の出会いの場所だ。
 もっともクラスが違っていたため、臨也が静雄の名前を知ったのは入学式ではなく、もう少し後、入学式から半月後に行われた一番最初の実力テストの結果発表でのことである。
 進学高校であるだけに、校内試験が行われる度、上位成績者の名前と点数が廊下に張り出されるのだが、その一番先頭にあったのが平和島静雄の名前だった。
 頭脳に自信のあった臨也は、自分の名前が次席であることが信じられず何度も見直したのだが、どれほど眺めても順位が入れ替わることはなく。
 呆然としていたところに、同じ中学出身の友人、岸谷新羅が「さすが静雄だなぁ」と感嘆の声を上げたのだ。
 その声に臨也は、中学時代に何度か話に聞いた、彼の幼馴染みだという少年が【平和島静雄】であったことを思い出したのである。
 その直後、新羅が、自分たちと同じように成績を見に来た男子生徒の一人に声をかけた。
 それが、静雄だった。

 少しだけ着崩した制服と、身長170cm後半と思われる長身、金色に染めた髪。
 詰まらなさそうに順位表を眺める横顔は、モデルか俳優と言っても通るほどに端整で、新羅の声に応じてこちらを向いた鳶色の瞳とまなざしが合った瞬間、臨也はどくんと心臓が大きな音を立てるのを間違いなく聞いた。
「さすがだね、静雄。高校でも君に勝たせてはもらえないのかなぁ」
「たまたまだろ。今回も何箇所かケアレスミスしちまったしな。なんか集中力がもたねぇんだよな」
「睡眠不足なんじゃないの?」
「いや、きちんと寝てるぜ。でも、なんか面白くねぇんだよ、学校のテストって」
「まぁ君の気質には合ってないのかもね。日本の学校の試験は記憶力勝負で、思考力や発想力を問うものじゃないからさ。いっそのこと海外留学でもしたら?」
「ンな金、あるかっつーの。うちは普通のサラリーマン家庭だぞ。高校が私立ってだけでも親に申し訳ねぇのに」
「君なら海外でも奨学金取ってやれる気がするけどなぁ」
「そこまでして学校に通いたかねぇよ」
 そう言った後、彼は新羅の傍らにいた臨也へとまなざしを向けた。
「そいつは?」
「ああ、彼は折原臨也。僕と同じ中学の出身で、ずっと首席だったやな奴だよ。性格も捻じ曲がってるしね」
「新羅!」
 一体何という紹介をするのかと思わず臨也は咎めるが、しかし、静雄の方は気にした様子もなく順位表を指差して問うた。
「折原って二位の奴か。あれでイザヤって読むのか?」
「あ、うん。うちの親、変な名前をつけるのが好きで、俺の名前も妹たちの名前も初対面じゃ誰も読めないんだ」
「へえ」
 感心したようにうなずき、そして静雄は、かすかに笑んだ。



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