SUNSHINE CITY 02
軽やかなチャイムの音が室内に響き渡る。
臨也は弄っていたパソコンから離れて立ち上がり、壁のインターフォンで来訪者を確認した。
カメラに映っているのは、金髪バーテン服。東京広しと言えども、平日の真昼間にこんな風体で誰かの家を訪ねる男は一人しかいないだろう。
言葉での遣り取りは無しに、臨也はボタンを押してマンションの入り口を開錠する。
そしてインターフォンから離れ、ケトルに湯を沸かすためにキッチンへと向かった。
きっかりとニ分後、静雄が玄関に現れる。
「……よう」
「いらっしゃい。今日も時間通りだね」
案外静雄が時間に几帳面だと知ったのも、この休日の逢瀬が始まってからのことだ。
メールで何時頃に行く、と連絡してきた時は、ほぼ間違いなく静雄はその時間ちょうどにやってくる。
一度だけ、来る途中で何かムカつくことがあって暴れたらしく、十五分ほど遅刻してきたことが合ったが、その時も、約束の時間を過ぎる頃に「悪い、少し遅れる」とメールで連絡があった。
そして今日も、静雄がインターフォンを鳴らしたのは、臨也が指定した午後二時という時間にぴったりだった。
「これ、今日の分な」
室内に上がりこみながら、レンタルショップの青い袋と一緒に持っていた小さな紙袋を差し出す。
紙袋の中身が今日の手土産だということは、外側に印刷された店名のロゴからも知れて、臨也は内心で溜息を押し隠し、それを受け取った。
毎回ではないが、静雄は時々、こうして手土産を持参してくる。基本は自分が食べたいのだろうが、臨也としては調子が狂って仕方がない。
静雄と自分が肩を並べて甘い菓子を食べているという構図が、何度繰り返しても心理的に受け入れがたいのだ。
だが、こうしている時間には毒を吐かない、攻撃もしないという取り決めだ。何を機嫌取るような真似してるんだよ気色悪い、と言いたいのをこらえて、紙袋の中から小さな白い箱を取り出し、蓋を開ける。
静雄が気に入っているパティスリーのプリンか、新作のケーキか。
さほど期待もせずに中を覗き込んで。
臨也は固まった。
「……杏仁プリン?」
「ああ。前にそっちの方が好きだっつってただろ」
リビングの方に移動して、レンタルショップの袋を開けていた静雄が、何でもないことのように言葉を返してくる。
確かに以前、そんなようなことを言った覚えはあった。
静雄が、プリン→新作ケーキ→プリン→季節限定のケーキ→プリンというようなローテーションで手土産を買ってくるのに少々呆れ、あの店なら杏仁プリンの方が好きなんだけど、などと嫌味未満の文句を付けた。確か、前回の手土産持参の時だ。
「……覚えてたの? 俺が言ったこと」
「──手前、俺を馬鹿にしてんのか?」
「あ、いや、別にそういうわけじゃないよ。ただ……シズちゃんは普通の卵のプリンが好きだろ。なのに、なんでって……」
「ンなの、俺の好みにばっかり付き合わせちゃ悪いと思うからだろうが。そこまで性格悪くねぇよ。手前じゃあるまいし」
「……でも、それならそれで自分の分はプリンにするとか、やりようがあるじゃん」
「それは俺もちょっと思ったけどな。何となく同じのにしちまったんだよ」
昔から、おやつは弟と同じものを一緒に食ってたからかもな。
そんな風に言われて、臨也は何も言い返せなくなる。
ただ箱の中に行儀よく並んだ、二つの杏仁プリンを途方に暮れたように見つめた。
白くなめらかな杏仁の上に透明なゼリーを薄く流し、フルーツと生クリームで綺麗にデコレーションしてある。
決して珍しいものではない。味は良いが、どこにでもある杏仁プリンだ。
だが、これは間違いなく、半分は臨也のために買って来られたものだった。
最初から次は杏仁プリンにしようと思っていてくれたのか、それとも店頭でショーウィンドウを眺め、杏仁プリンにしようと思いついたのか。
いずれにせよ、普通のプリンよりも臨也が喜ぶだろうと思ってくれたのに違いない。
それをどう受け止めれば良いのか、臨也には分からなかった。
機嫌取ろうとするなんて気色悪いと怒ればいいのか、俺の好みを考えるなんて馬鹿じゃないのと嘲ればいいのか、或いは──ありがとうと喜べばいいのか。
途方に暮れたまま、二つの杏仁プリンを見つめる。
と、ケトルが高い音で鳴り、
「シズちゃん、ミルクティーでいい?」
「ああ」
そんな会話を期に混乱から逃れることができた臨也は、ティーポットに湯を注いで、カップ共々温めてから、分量の茶葉をポットに入れ、改めて湯を注いだ。
そして、茶葉が開くのを待つ間、再び杏仁プリンの箱を覗き込む。
何度見ても、可愛らしい杏仁プリンが二つ、並んでいる。厳然として、それはそこにあった。
───本当に、どうしろっていうんだよ。
溜息を押し殺しながら、吸い寄せられてしまう視線を無理矢理にはがして、冷蔵庫を開け、牛乳を取り出して大き目のミルクピッチャーに注ぐ。
そして、紅茶が程よく濃い目に出たのを確認して茶葉を取り上げ、マグカップ二つとティーポット、ミルクピッチャー、シュガーポットを大き目のトレイに乗せ、静雄を呼んだ。
「シズちゃん、これ持っていってよ」
「ああ」
すぐに応じてソファーから立ち上がった静雄にトレイを任せ、臨也はスプーン二つをシステムキッチンの引き出しから取り出して、杏仁プリンの箱と共にリビングへと移動する。
そして、いつもと同じ距離でソファーに落ち着いた。
「あ、今回もちゃんとあったんだね」
「まぁな。今時、マクロスなんてそうそう借りてく奴もいねーんだろうよ」
「面白いのにねえ」
古いアニメのDVD鑑賞会は、宇宙戦艦ヤマトから始まり、前々回からは時空要塞マクロスに突入している。
一度に借りるDVDはニ枚、一枚に付き四話収録で、合計四時間弱だ。
今日のように昼間から見始めれば、夜までには見終わるし、臨也の仕事の都合で、静雄の休日の前夜から見ることになれば、終電を逃した静雄は泊まってゆくことになる。
二人のこれまでを思えば、何とも奇妙な話であり、知人たちに明かせば目を剥いて驚かれること必死だったが、既に二ヶ月余りも鑑賞会は続いている。
何故続いているのかと誰かに聞かれても、自分こそが理由を教えて欲しい、というのが臨也の正直な気持ちだった。
本日何度目か知れない溜息を押し殺しながら、静雄が既にディスクをセットし終えてくれていたDVDプレイヤーのリモコンを取り上げ、再生ボタンを押す。
そして、始まるオープニングを横目に見ながら、パティスリーの箱の中から杏仁プリンを取り出し、一つをスプーンと共に静雄に手渡した。
「やっぱりこの主題歌、何度聞いてもいいよねぇ。癖になる感じ」
「ああ」
他愛ないことを話しながら、臨也も自分の杏仁プリンをスプーンですくい上げ、口に運ぶ。
生クリームは甘さ控えめで、ゼリーはほんのりオレンジの香りがする。そして、杏仁プリンはやわらか過ぎず、程よい弾力で口の中でつるんと溶けて。
プリンもいいけど、やっぱり杏仁の方が美味しいよねえ、と心の中で呟きながら、半分ほどを食べ終えた時、不意に視線を感じた。
「──何?」
プラズマTVの大画面から視線を外し、隣りを見ると、同じく杏仁プリン片手の静雄がこちらを見ていて。
「美味いか?」
そんなことを訊いてくるものだから、臨也はひどく返答に困る。
表情を殺して三秒ほど黙って考えたが、ここで言い返すべき適切な言葉は浮かんでこず、
「……美味しいけど」
それがどうかしたの、というように無難な答えを紡いだ。
なのに。
「そうか」
静雄の瞳が、ふっと微笑んで、臨也は訳が分からなくなる。
一体どういう意味なのか。
臨也の好みを考えて杏仁プリンを買ってきてくれたのだから、それを美味しいと言われれば単純に嬉しいのかもしれない。
だが、一時休戦中とはいえ、天敵に好物を買ってくるとか、美味しいと言われて喜ぶとかいう心情が理解できない。
元より静雄の考えていることなど分かったためしがないが、今の状況も極めつけだった。
なのに静雄は臨也の内心の混乱など構う様子もなく、視線を画面に戻してしまう。
信じられない何考えてんだこの化け物、と臨也は責めるようなまなざしを向けたが、すぐに虚しくなって、手元の杏仁プリンに注意を戻した。
どうせ、どれ程考えたところで理解などできやしないのだ。
そして静雄もまた、臨也の心情など理解しようとはしない。
考えるだけ無駄なのだ、と自分に言い聞かせて、画面を眺めながら何の罪もない杏仁プリンを無言で咀嚼する。
だが、肝心のアニメのストーリーは全くと言っていいほど、頭の中には入ってこなかった。
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