Stardust City 20
「ねえ、何がそんなに楽しいわけ?」
「──ンなもん、決まってるだろ」
臨也の問いかけに、何を分かりきったことを、と静雄は振り返る。
「昨夜、言ったじゃねぇか。俺は、お前が目の前でちょろちょろしてるだけでいいんだってな」
さらりと言われて。
臨也は固まった。
が、そんな自分を静雄が実に楽しそうに眺めていることに気付いて、大急ぎで自分を取り戻す。
「あのさあ、シズちゃん」
「何だよ」
「朝っぱらから、そういうこと言うの禁止。止めてよ」
「じゃあ、夜ならいいのか?」
「だから、そういう子供みたいな揚げ足取りはするなっての。いつ言われたって、嫌なものは嫌だよ。まあ、夜の方が朝よりはマシだけど。気分的に」
「ふぅん」
「何」
「いいや、可愛いと思ってな」
「──だから!」
止めろと言ってるのに、と怒鳴ろうとした時、ケトルが沸騰を知らせて甲高い音を立てる。
舌打ちして臨也は火を止め、用意してあったドリップに湯を注いだ。
「とにかく! 可愛いとかそういう類の単語は禁止! 今度言ったら、このお湯をぶっかけるからな!」
どうせ熱湯を浴びせかけたところでダメージなどないだろうと思いつつも、とりあえず言ってみる。
すると、静雄も同じような感想を持ったのだろう。呆れたように肩をすくめた。
「別に減るもんじゃねぇだろ」
「減る! 色んなものが!」
たとえば自分のプライドだとか、かろうじて保っている心の防御壁だとか。
これ以上、キャラ崩壊をさせられてたまるものかと、臨也は静雄を睨んだ。
「とにかく、これ以上言ったら本気で怒るよ。殺せようが殺せなかろうが関係なく、ナイフで滅多刺しにするから」
「はいはい、分かったっての」
臨也がこれだけ言えば、数ヶ月前までの静雄なら青筋を立てて激高していただろう。この部屋など、きっととうに崩壊している。
だが、今の静雄はあっさりといなし、綺麗な焼き色が付いたパンをトースターから取り出して、シナモンを振り掛ける作業に熱中し始めた。
「……シズちゃんの癖に……」
静雄の変貌振りが自分たちの関係の変化によるものだと分かっていても、どうにも忌々しくて、臨也は直ぐそこにあるパン切りナイフで刺してやろうかな、と半ば本気で思案する。
しかし、その間に手元のドリップは雫が落ち切ってしまい、温めていた牛乳もミルクパンの鍋肌がふつふつと粟立ち始めたために、臨也は溜息をついて静雄を刺すことを諦め、それらを二つのマグカップに注いだ。
「ねえシズちゃん、今日も砂糖入れるの? それに蜂蜜かけたら相当甘いと思うんだけど」
「砂糖の入ってねぇカフェオレなんてカフェオレじゃねぇだろ」
「いや、それは無いから。コーヒーと牛乳が半々の時点で、カフェオレ成立してるから」
言い返しながらも、臨也は砂糖をスプーン一杯、静雄用のマグカップに溶かし込む。
そして、もう少しがっつり食べたいよね、と冷蔵庫を開け、ハムと卵を取り出した。
「シズちゃん、ハムエッグは卵一つ? 二つ?」
「二つ」
「了解」
手際よくフライパンに極上のオリーブオイルを少量引き、ハムエッグを見るからに美味しそうな半熟に焼き上げて。
「はい、こっちはできたよ」
「こっちももういいぜ」
「そう。じゃあ、運ぶよ」
そう告げて、マグカップ二つとハムエッグの皿をトレイに載せ、鍋のスープもスープボウルによそって、共にリビングセットの方へ運ぶ。
すぐに静雄もシナモントーストを盛ったプレートと、蜂蜜ポットを持ってきてテーブルに並べ、朝食と言うには遅過ぎるブランチの準備が整った。
いただきます、と手を合わせて──これは、かつて妹たちの手前、マナーにはそれなりに気をつけていた頃の名残の癖である──、こんがりキツネ色の小さなトーストを一枚取り、蜂蜜をかける。
そして一口、ぱくりと食べるとシナモンの甘い香りと、蜂蜜の甘さが口に広がった。
「シナモンと合わせるのなら、レモンの花の蜂蜜だとちょっと弱いかなぁ。最低ラインでもアカシアくらいの濃厚さがあった方がいいかも」
でも俺は柑橘系の蜂蜜が好きなんだよねぇ、と勝手なことを呟きながら、臨也は小さめのサイズのトーストをあっという間に一枚、食べ終える。
昨夜は普通の時刻に夕食を終えたし、その後、散々に泣いたり何だりで体力を消耗したのだから、空腹でないはずが無い。
おまけに甘い蜂蜜シナモントーストは、スナックのような軽さだから、うっかり食べ過ぎてしまいかねないな、と思いつつ、とろとろ半熟のハムエッグに手をつけ、その芸術的な焼き加減に満足してから、野菜とベーコンの旨味が存分に引き出されたスープを味わった。
「シズちゃんて、本当に料理は上手いよね」
「こんくらい普通だろ」
「いやいや。俺たちくらいの年齢の男なんて、料理をまともにしたりなんかしないよ。コンビニかファーストフードか……」
「俺だって昼は殆どファーストフードだぜ。夜もトムさんと外食が多いし……朝飯くらいだ、まともに作んのは」
「それを言ったら、俺だって似たようなもんだけど。昼は大概、波江が作ってくれるし。彼女も料理は上手いんだけど、好き嫌い言うと怒るんだよなぁ」
「そりゃ当たり前だろ。っつーか、野菜が嫌いとかどこのガキだ手前」
「好きじゃないだけで食べられるってば。現に今もちゃんと食べてるじゃん。それにシズちゃんは彼女に怒られたことないから、そう言えるんだよ。マジで他人の心折る天才だから。といっても、俺は全然気にしないけど」
「……その台詞聞かれたら、それこそお前、殺されるんじゃねぇのか」
「あー。全身の皮を生きたまま剥がれるかも。それくらいのこと平気でやるんだよ、本当に」
けらけらと笑うと、静雄はどうしようもねぇなと言わんばかりに溜息をついた。
「まあ、そうなったら殺される前には助けてやる。けど、お前も、俺と飯食ってる時に他の女の話すんじゃねぇよ」
「あれ何、シズちゃん、焼餅?」
「その一歩手前だっつったろ。お前だって、俺がこういう時に女の話して楽しいかよ」
「んー、それはムカつくかな」
楽しい、とは到底言えなかったので、ここは素直に認める。
すると、静雄は、だろ、と同意を促して、カフェオレを一口啜った。
「お前もカフェオレ淹れるのは、本当に上手いよな。性格はそんなんなのに」
「はぁ? カフェオレ淹れるのに性格が何の関係があるのさ。まあ、豆はいいの使ってるけど。でも特別なことはしてないよ? 単にシズちゃんがカフェオレ好きなだけじゃないの?」
そう返すと、静雄の鳶色の瞳がこちらを見る。
「何?」
別に何ということもないやりとりをしていたはずなのに、そのまなざしに妙な居心地の悪さを感じて、臨也は眉をしかめて問い返す。
すると、静雄は何を考えているのか読みにくい表情で、言った。
「別に俺は、カフェオレは好きじゃねぇよ」
「──は?」
好きじゃない、と言い切られて、臨也は思わずきょとんと静雄を見つめる。
「え、でも、シズちゃん、いつもカフェオレ淹れろって言うじゃん」
「まぁな。でも俺は、普段はコーヒー系は殆ど飲まねぇよ。缶コーヒーみたいに甘くしてありゃ別だが」
「……じゃあ、なんで」
ここではカフェオレばかりリクエストするのか、と臨也が素朴な疑問を呈すると、静雄はふっと目を微笑ませる。
反射的に嫌な予感に駆られた臨也が眉をしかめるのと、静雄が口を開くのは同時だった。
「お前の淹れるカフェオレだけは好きなんだよ。一番最初に飲んだ時、あんまり美味くてびっくりしたんだぜ」
そう言い、静雄は思い出すように、くつりと小さく笑う。
「お前を本気で可愛いと思ったのは、一番最初にプリン持って来た時だけどよ。今から考えてみたら、あの時のカフェオレも、きっかけの一つだったのかもな」
そんな風にさらりと告白されて。
臨也は、また堅ゆで卵のように固まる。
顔にじわじわと熱が集まるのを感じて、思わず右手を上げ、手の甲で頬を擦る。と、声には出さず笑いながらこちらを見ている静雄と目が合って、臨也は手を下ろし、まなざしに険を込めた。
「シズちゃん、面白がってるだろ」
「当たり前だろ」
「悪趣味。ていうか、シズちゃん、いつからそんなキャラになったわけ?」
君は誰かをからかうようなキャラじゃなかっただろ、と険悪に指摘すると、静雄は悪びれもせずにうなずく。
「お前と付き合い始める前の俺がどうだったかなんて、お前が一番良く知ってんだろ」
「……俺のせいとでも言いたいわけ?」
「百パーセントな」
「そういうのを責任転嫁って言うんだよ! 自分勝手な豹変振りを他人のせいにしないでよ。ていうか、そのドヤ顔なんなわけ? 超ムカつくんだけど!!」
「だーから、お前のせいだっての。お前相手でなきゃ、こんな風になんねぇよ」
「その言い方がムカつくんだってば……!」
「お前が特別だって言ってやってんのにか」
「……っ…!」
その言い方は卑怯だ、と思う。
だが、思わず言葉に詰まった臨也に、静雄はのんびりとした仕草で、新たに手に取ったシナモントーストに蜂蜜をたっぷりとかけながら言った。
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