Stardust City 19
目が覚めると、ベッドの上は臨也独りだった。
「……シズちゃん……?」
手を伸ばしてシーツを探ってみても、リネンは室温と変わらない温度しか伝えてこない。
まさか帰ったのだろうか、と思いながら、ベッドサイドの時計を見ると、午前十時近かった。
もうこんな時間かと溜息をつき、全身の具合を確かめながら、ゆっくりと起き上がる。普段からそこそこ鍛えているだけに、思ったよりもダメージは残っていないらしく、ただ身体の奥の違和感だけが昨夜の名残だった。
ベッドサイドには昨夜、脱ぎ散らかしたはずのパジャマが簡単に畳まれて置いてあり、ひとまずはそれを身に付けて、シャワーを浴びようとベッドを降り、部屋を出る。
と、階下のキッチンから換気扇の回る音が小さく聞こえてきて。
思わず臨也は、二階の手摺りから身を乗り出して、そちらを覗いた。
「シズちゃん」
「あー、やっと起きたか」
声をかけると、すぐに金髪バーテン服が見上げて笑いかけてくる。
やはり帰ったわけではなかったのだと、声を上げて喜びたいほどに嬉しくなったものの、表情だけはいつもの笑みを取り繕って、臨也は軽い足取りで階段を下り、静雄の傍に歩み寄った。
「おはよ」
「おう」
「何作ってんの? スープ?」
「ああ。お前がいつ起きてくんのか分かんなかったからな。とりあえず、温め直しの利くやつにしとこうと思って」
「ふぅん。確かに温め直すの前提なら、味噌汁よりスープだよね」
味噌汁は出来立てじゃないと美味しくないし、と鍋の蓋を取って覗き込む。すると、オリーブオイルで下炒めしたらしい野菜とベーコンが、コンソメの中で良い匂いを立てて煮えていた。
野菜は自ら進んで食べるほどには好きではないが、このスープはとても美味しそうに見える。現金なものだと思いながら、臨也は蓋を元通りに置き、静雄を振り返った。
「俺、シャワー浴びてくるから、そうしたら御飯にしようよ」
「おう」
臨也の提案にうなずき、静雄は右手を上げて臨也のサイドの髪をさらりと撫でる。
その昨日までとはまた少し違う親密さの込められた仕草に、臨也の心臓がどきりと小さく音を立てた。
「体、大丈夫か?」
「平気だよ」
優しい声とまなざしに気遣われて、臨也は小さく笑う。
「俺は、そんなやわじゃないよ。何年、シズちゃんと殺し合いしてきたと思ってんの」
「──まあ、確かにお前は見た目より頑丈だよな」
「だろ」
情報屋などという商売を十代で始め、裏社会を渡ってきた臨也は細い外見の割りに、打たれ強い。咄嗟の反射神経で相手の攻撃のダメージを逸らして軽減するのは考えなくてもできるし、肉体的な苦痛に対する耐性もある。
加えて昨夜は、静雄が十分過ぎるほどに気遣ってくれたから、最初から最後まで痛みなど殆ど感じなかった。
勿論、慣れない行為が終わった直後の疲労感は大きかったものの、この時間までぐっすり眠れば、ほぼ回復できている。
さすがに今すぐ、池袋の街で静雄と追いかけっこするのは勘弁してもらいたいが、日常生活には何の支障もなかった。
「でもまあ、ダメージがねぇんなら良かった」
そんな風に言いながら顔を寄せてくるから、まあいいか、と臨也は目を閉じる。
軽く触れただけで離れていったキスは、それでも十分過ぎるほどに甘かった。
「それじゃ、シャワー行ってくるから」
「おう」
するりと静雄の傍から離れて、また二階へと戻る。
バスルームへ向かい、ふと洗面所の鏡を覗いて、むう、と臨也は口元を反射的に曲げた。
昨夜あれほど泣いたのだから当然だが、瞼がまだ腫れぼったい。冷水と温水を交互に当てればどうにかなるだろうレベルだが、しかしまあ、鏡の中の自分は、はっきり言って不細工だった。
「先に鏡見ときゃ良かったなぁ。こんな顔をシズちゃんに見せちゃったか」
気にして無さそうだけどな、と思いつつも、面白くない気分でパジャマを脱ぎ捨てて、バスルームに入る。
そして、熱めのシャワーを浴びながら、改めて自分の体を確認した。
「あー、全然、痕残ってないな。気を遣ってくれたのかな」
少なくとも自分の目で見える範囲には、傷やあざは勿論のこと、キスマークすら残っていない。見た目は何も変わっていないことに安堵しつつも、少し寂しい気もする。
だが、外見上に余計な痕があるのは、確かに困るのだ。
情報屋などという因果な商売をやっている以上、いつどんな目に遭うか知れないし、同性と寝ているというだけで、ノーマルの男からは蔑みの目で見られるのが普通だ。そんな取引相手に舐められるような隙を作ったら、それこそ身の破滅に繋がる。
もっとも寝ている相手が相手なだけに、直接的な危害は被(こうむ)らないかもしれないが、それでも他人から蔑みの目で見られることは、臨也の性格上、我慢がならない。
だから、この先も、静雄とのことは公(おおやけ)にするつもりはなかった。
「そこまでシズちゃんが分かってるわけはないけど……単純に、俺が嫌がりそうとか思ったのかなぁ」
それはそれでありそうだ、と思う。
ぼんやりしているようで、臨也のことは十分過ぎるほどに理解している節のある静雄のことだ。昨夜も、何らかの勘が働いたのかもしれない。
「ま、それはそれでありがたいけど」
呟きながら、シズちゃん優しかったな、とほんの少しだけ昨夜のことを思い返した。
同性同士のSEXなのだから、ある程度の苦痛は覚悟していたのに、何一つ乱暴なことはされず、全身をとろとろに溶かされて、ひたすら気持ち良かった記憶しかない。
「シズちゃんも気持ち良かったかなぁ」
生物学的に考えれば、突っ込んで動かせば男は気持ちいいに決まっている。だが、女性のやわらかさの無い身体で、本当の意味での歓びを与えられるのかどうか、ずっと不安だった。
だが、嘘のつけない静雄が気持ちいいとはっきり言い、絶頂に達したのだから、悪くは無かったはずである。
さすがに、これまでに抱いた中で一番、とまではいかないかもしれないけど、と思いつつ、
「次はいつするのかな……」
どうしても睡眠時間が削られるし、毎日は体力的に少し辛いが、数日おきなら、と考えて、臨也は我に返り、目の前のタイルにごつと額をぶつける。
朝っぱらから……というには既に日が高いが、しかし、明るいうちに考えることではない。
なんかもう恥ずかし過ぎる、やめろ俺、と自分を叱咤して、それから目元に冷水シャワーと温水シャワーを交互に当てて、もう十分かと思えたところでシャワーを止めた。
そして、バスタオルで手早く全身を拭い、バスローブをまとって髪を乾かす。
鏡を覗きこみ、目元がいつものすっきりさを取り戻しているのを確認してから、寝室に戻り、いつもよりは少しラフな部屋着に着替えた。
よし、と部屋を出て、また階下に降り、ソファーに移動して新聞を読んでいた静雄に近付く。
「お待たせ」
「おう。飯にするか」
「うん。飲み物入れるけど、紅茶とカフェオレとどっちがいい?」
「カフェオレ」
「了解」
本当に好きだよねえ、と心の中で呟きながら、ケトルに浄水器の水を注ぎ、コンロにかける。
その隣りで静雄は、買い置きのパンを取りして、何やら始めていて。
「? 何作るの? フレンチトースト?」
「いや、フレンチトーストは今から作ったって美味くねぇだろ。シナモントーストにしようかと思ってよ。蜂蜜もあったし」
「それだと、ハニーシナモントーストにならない?」
「まあ、そうかもな」
言いながら、静雄は手際よくバターたっぷりの食パンを薄めに三枚スライスし、それぞれを対角線で四等分に小さく切って、温めてあったオーブントースターに入れる。
その間に、戸棚からシナモンパウダーの小瓶と、レモンの蜂蜜のビンを取り出す。その様子はいかにも楽しげで、小さく鼻歌まで聞こえてきたから、臨也は驚き半分、呆れ半分で、シズちゃん、と呼んだ。
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