Stardust City 21

「そもそも誰かと付き合うなんざ考えたことなかったけどよ、お前以外の誰相手でも、俺は駄目だっただろうな。
 特に、その辺の普通の女と付き合ったら、あれこれ遠慮しちまって、言いたいことの半分も言えねぇ気がする。そういう意味じゃあ、昔っからお前は、俺の特別は特別だったんだよな」
「……何だよそれ」
「だって俺は、お前に遠慮したことなんか一度もねぇからよ。お前のことは本気で嫌いだったけど、その『嫌い』は、いつでも掛け値なしの全力だったしな。
 そういうこと考えても、俺に本当の意味での『普通』をくれんのは、世界中探したって、多分、お前だけだ」
「────」
「家族より俺のことを良く分かってて、なのに喧嘩売ってくるような馬鹿なんて、お前しかいねぇもんな」
 当たり前のことのようにそう言い、蜂蜜たっぷりのトーストを口に運び、ほんの数口で食べてしまう。
 そして、指に付いた蜂蜜をぺろりと舐め取った。
 その一連の仕草を臨也はただ、言葉を失ったまま見つめるしかなく。
「──シズちゃんのそういうとこ、本当に嫌い。なんでそういうことを、さらっと言っちゃうわけ?」
「俺はお前のそういうとこ、結構好きだけどな」
 眉をしかめて吐き捨てるように言えば、またもやさらりと切り返される。
「あー、でもやっぱりウゼぇか。半々ってとこだな」
 まあ腹は立たねぇけど、と言いながら、臨也の作ったハムエッグをぱくつく様子が最高に憎らしい。
 そう思いつつ、臨也は何か反撃のネタはないかと思考を巡らせ、カフェオレのマグカップを傾ける。
 すると、一つだけ、しかし最高のネタを思いついた。
「そういえばさ、シズちゃん」
「ん?」
「俺、明日の夕方、仕事で池袋に行かなきゃならないんだけど」
 告げた途端、静雄の眉が不機嫌にしかめられる。
 その見慣れた表情に、臨也は満面の笑みを浮かべて見せた。
「来るなとか駄目だとか言われても、聞かないよ? 仕事だし、俺も食べていかなきゃいけないからさぁ」
「ノミ蟲が一丁前に仕事とか言ってんじゃねぇよ」
「シズちゃんには言われたくないね。いっつも仕事してんだか、街を破壊してんだか分かりゃしないじゃん」
「──臨也」
「何かな」
「俺が本気でキレる前に、その口を閉じろ。じゃねぇと、泣かせるだけじゃすまねぇぞ」
「あー、無理無理。少なくとも俺は暴力じゃ泣かないよ。腕を切り落とされたって、笑ってやる自信があるね」
「よし、外に出ろ」
「やだなぁ、シズちゃん。そんな怖い顔したら、折角の男前が台無しだよ?」
 こめかみに青筋を引き攣らせた静雄に、にっこりと笑いかけ、そろそろ潮時かな、と臨也はタイミングを図る。
「それよりさ、俺と賭けしない?」
「───賭け?」
「そう」
 どうやら気を逸らすことには成功したらしい。
 いかにもこちらを信じていなさそうな、訝(いぶか)る表情で見つめてくる静雄を笑顔で見つめたまま、臨也は告げた。
「明日、シズちゃんが俺を見つけられるかどうか。見つけられたらシズちゃんの勝ち、見つからずに用事を済ませて新宿に帰れたら、俺の勝ちってことでさ」
「手前、俺がお前を見つけらんねぇと思ってんのか」
「だから、賭けする価値があるんだろ。シズちゃんは絶対、俺を見つけて新宿に返品できると思ってるし、俺は、自分はそんな間抜けじゃないと思ってる。お互い、自分が勝つと信じてなかったら賭けにならない」
「──で、何を賭けようってんだ」
「そうだねぇ」
 考えるような素振りを見せて。
「朝御飯でどう?」
「朝飯?」
「そう。君が今度うちに泊まったとき、負けた方が朝御飯を作る。罪が無くていいと思わない?」
 提案すると、静雄は顔をしかめたまま押し黙る。
 そして五秒後、手を上げて後ろ髪をうざったそうに掻き上げた。
「……っとに手前はめんどくさいな」
「何がだよ、失礼な」
「朝飯くらい、いつでも作ってやるっての。シナモントーストと野菜スープのどっちがツボだったのか知らねぇけど、わざわざ賭けするほどのもんじゃねぇだろ」
「自惚れないでよ、シズちゃん。俺だってその気になれば、これくらい幾らでも作れるんだからさ。ハムエッグだって、とろとろ半熟で美味かっただろ」
 言いながら、シズちゃんはやっぱりどこか抜けてるなぁ、と臨也は心の中で呟く。
 そもそも、シナモントーストか野菜スープかという選択肢が有り得ない。そうやって列挙するのなら、静雄が作る味噌汁も卵焼きも好きなのだ。余程嫌いな食材で無い限り、多分何でも美味しく食べられる。
 ただ、自分のために毎回静雄が朝御飯を作るという構図は、臨也としては少々いただけないのである。
 勿論、嬉しくないわけではないが、一方で、そんなのは自分たちらしくない、面白くないと思うのだ。
 何をするにしても、ただ甘いだけではなく幾許かの緊迫感が欲しい。
 その方がきっと楽しいはずだと、持ち前の天邪鬼な性格で思った結果が、この馬鹿げた賭けの提案だった。
 そして静雄は、臨也のハムエッグが美味しかっただろうという言葉に、まんまとうなずく。
「……まぁな」
「ね。つまり、お互い、相手が作る朝食には文句無いわけだよ。だからといって、毎回自動的にシズちゃんに作ってもらうのも俺としては気色悪いし、俺が毎回作るのも御免だし、交代で、なんてのも俺たちらしくないだろ」
「ンなもん、一緒に作れば済む話なんじゃねぇのか。さっきみたいに」
「それもつまんないんだよねぇ。やっぱりさぁ、スリルとかわくわく感とか、楽しさがないとさ」
「……やっぱりウゼぇ」
 溜息をつき、そして静雄は、仕方がないとばかりにうなずいて見せた。
「明日の夕方だな?」
「そう」
「来るっつって来ねえとかはナシだぞ」
「そこまでせこくないって、幾ら俺でも」
 本当はちらりと思ったのだが、しかし、仕事があるのは事実である。もっとも、メール一本で時間と場所を変えることなど造作ないのだが、それでは面白くない。
「じゃ、賭け成立ね」
「おう」
 不承不承応じた静雄に微笑み、やっと自分のペースが戻ってきたと満足しながら、臨也は朝食の残りを食べ始める。
 そして、明日はどんな道順で行こうかと思い巡らせつつ、正面に目をやると、静雄は、いつものどこかぼんやりした印象の素の顔でカフェオレのカップを傾けていて。
 ───ああ、ものすごくらしくないなぁ。
 改めて考えてみると、二人で一緒に朝食を作り、向かい合って食事だなんて、あまりにも自分たちに似合わなさ過ぎて、思わず笑いが込み上げてくる。
 すると、それに静雄は目敏く気付いたらしく、こちらを見て小さく眉をしかめた。
「何笑ってんだよ」
「あー、いや。やっぱりおかしいなぁと思ってさ」
「何が」
「色々全部だよ。俺たちがこうしてること、丸ごと全部」
 別に、嫌だって言ってるんじゃないよ、と付け加えて目の前の相手を見つめる。
 こちらを真っ直ぐに見つめてくる瞳の澄んだ鳶色が、ひどく綺麗だった。
「まあ、現状には色々言いたいこともあるんだけどさ」
 たとえば、よりによって自分たちが仲良く食事だなんて、ぬる過ぎて脳味噌が溶けそうだとか。
 とっくに溶けて、ゾウリムシ以下の思考能力しかもう残ってはいないのではないか、とか。
 あれやこれや甘ったる過ぎて、全身がむずむずして転がり回りたいような気分だ、とか。
 多分、それらは言葉にしてしまえば、たった一言、幸せとかいう単語で片付けてしまえるのだろう。
 それがまた、滑稽で、甘ったるくて、おかしい。
 『平凡な幸せ』なんて、自分には全くもって似合わない言葉だと分かっているのに、それをこのまま延々、叶うなら一生味わっていたいと思う自分の心も。
 あまりにもおかし過ぎて。
 この何気ない一時と、目の前の相手とが愛し過ぎて。
 どうにかなってしまいそうだ、と蕩けた思考で思いながら、静雄に笑みを浮かべる。
「ねえ、シズちゃん。昨夜、君が最後に言ったこと覚えてる?」
「──忘れるわけねぇだろ」
「うん、それならいいんだけど」
 うなずいて、臨也は、ちょいちょいと指先だけで静雄を手招きする。
 すると静雄は、あからさまに訝りながらも、少しだけ身を乗り出してくれた。
 ───多分、こういう時に、素直に好きだと言える性格をしていれば良かったんだろうけど。
 そんなのは自分じゃないし、といつもの自分らしい笑みで静雄を見つめる。
「俺はこんな性格だし、それを直す気もないし、この先も、こうやって面倒くさいことばかり言い続けるけど。あんな風にカッコつけたこと言った以上、逃げないでよね、シズちゃん」
「──逃げるわけねぇだろ。バーカ」
 憮然として、と形容するには少々甘い声で言われて、臨也は微笑む。
 ほんの数ヶ月前、自分の感情に疲れ果てて街を彷徨っていたのが、遠い夢のようだと思いながら、自分も身を乗り出して唇を重ねれば、シナモンと蜂蜜の甘さがじわりと全身に染みて。
 ───大好きだよ、シズちゃん。
 心の中でそう告げながら、ゆったりと触れるだけのキスを終えて離れると、静雄と目が合う。
「臨也」
 名前を呼ぶ声と、見つめる鳶色の瞳がどうしようもなく優しくて。
「お前ももう、逃げんなよ」
 逃げたって絶対に捕まえるけどな。
 甘く響く低い声で、どこか楽しげに告げられたその言葉に、臨也は、これまで誰にも見せたことの無い笑顔で花が咲くように笑った。

End.

これにてシリーズ完結です。
ここまで読んで下さって、ありがとうございましたm(_ _)m

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