Stardust City 18
どうして欲しい、と重ねて問われて。
真っ直ぐな瞳から目を逸らせないまま、臨也は考える。
だが、分からなかった。
どうして欲しい、なんて言われても、考えてみたこともなかったから、咄嗟に思い浮かぶことなど一つもない。
それでも静雄が答えを待っているから、懸命に臨也は考える。
静雄は、臨也が目の前をちょろちょろしているのが嬉しいと言った。
ならば、自分はどうだろう。
これまでに静雄といて、嬉しいと感じたことは何だっただろう。
───シズちゃんと居て、嬉しかったこと、は……。
霧雨の降る街角で大嫌いなはずのノミ蟲を拾って、看病してくれたこと。
礼の一つも言えなかったけれど、仕事を休んでまで面倒を見てくれたことが、本当はメチャクチャに嬉しかった。夢でも見てるのじゃないかと疑った。
でも、その一方で、初めて向けられた優しさが苦しくて、どうしていいか分からなくて。
そうしたら今度は、発作的に口走った誘いにうなずいて、この部屋に来て一緒にDVDを見てくれた。
何を考えているのかさっぱり分からなくて困ったけれど、でも、チャップリンとカフェオレが好きだということを知って、馬鹿みたいに嬉しかった。
その後も、精一杯丁寧に淹れたカフェオレを美味いと言ってくれる度に、泣きたくなった。
プリンや杏仁プリンを買ってきてくれた時は、本当にどうすればいいのか分からなかった。
二人で食べるプリンも杏仁プリンも、信じられないくらいに美味しかったから、余計にどうしていいか分からなくて途方に暮れて、でもやっぱり、死にそうなくらいに嬉しかった。
そして、突然、キスをされて。
抱き締められて。
可愛いと言われて。
本当に爆発するかと思った。あれがアルマゲドンの到来だと……終末のラッパが鳴り響いたのだと言われても、信じられる。否、そうとしか思えない。それほどの衝撃だった。
そして、それからの日々は、まるで、この上なく甘く儚い夢の中にいるようで。
多分、静雄は知らないだろう。顔を合わせても喧嘩にならず、やわらかな笑顔を向けられるだけで、息が止まりそうになることも。
いつも可愛いと言われる度、どう受け止めればいいのか分からず困り果てていることも。
そう、一番困るのが可愛いと言われることだ。
捻くれて憎まれ口だらけの自分のどこが可愛いのか、さっぱり彼の感性が分からないし、そもそも男なのだから褒め言葉にもなりはしない。なのに、言われると、いつも心臓が爆発しそうになる。
それだけでもどうにかなりそうなのに、声を聞きたいと電話がかかってきて、顔を見て話をしたいと食事に誘われて。
だから一生懸命、食事する店を探して、駅で待ち合わせをして、店の雰囲気や料理がいいと言われたのが、嬉しくて。
挙句、夜更けの裏通りで、そのままでいいのだと言われて。
素直でなくても、捻くれて意地っ張りで、時には悪意の塊のようでも、それでもいいのだと。
あの瞬間の感情の嵐を言い表す言葉などない。
どうしようもなく嬉しかった。
たまらなく幸せだった。
幸福感で人が死ねるのなら、間違いなくあの瞬間に息絶えていただろう。
なのに、夢のような時間はそれからも続いて。
今夜、初めてきちんとした言葉で好きだと言われて、深く深く互いの体を繋ぎ合わせて、魂ごととろけそうなほどの歓びを与えられた。
本当に死んでいないのが不思議なくらいだと思う。
恋焦がれた存在が、自分のように歪みまくった人間を丸ごと愛してくれている。そんな夢のような話が、この世に幾つもあるはずがない。
そして、そんな夢のような幸せをくれる相手に、この上何かを望めと言われても、答えなど見つかるはずが無かった。
「臨也?」
どうなんだ、と優しく名前を呼ばれて。
どう答えればいいのか分からないまま、臨也は小さく首を横に振る。
「俺だって……シズちゃんが居てくれれば、もうそれだけで……」
もしこの先、静雄が居なくなったら、それだけで臨也の世界は終わりを告げるだろう。
もう二度と、世界に希望も喜びも見つけられず、ただ破滅だけを願うだろう。
そんな世界は、想像することさえ恐ろしかった。
逆の言い方をすれば、静雄さえ居てくれたら、全ては満ち足りるのだ。
他に何一つ、望まない。
自分がどれ程最低最悪の人間か、自分自身が一番分かっている。だが、それでもこのままずっと愛していて欲しかった。
「──それだけでいいのか?」
けれど、驚いたように問い返されて、途端に臨也は恥ずかしさに居たたまれなくなる。
一体今、自分は何を口走ったのか。好きな人が傍に居てくれればいいだなんて、まったくもって自分らしくない。
こんなのは自分ではない。
だからといって、本心からの言葉を否定することもできず、臨也は逃げ場を求めて、もそもそとシーツに潜る。
そして、すっぽりと埋もれたところで、甲羅に潜った亀のように手足を丸めて小さくなった。
「おい、なに潜ってんだ」
「────」
「おい臨也」
「────」
「コラ」
「うるさい! いつでも本音ダダ漏れのシズちゃんに、今の俺の気持ちなんて分かるもんか……!」
そうなのだ。静雄はいつも本音のみで、決して嘘をつくこともごまかすこともない。だから、誰よりも強い。
対して臨也は嘘だらけだから、どうしても弱くなる。口先で言い逃れできている間は無敵でも、それが通用しなくなったら薄氷よりも脆い。
それが臨也が静雄に決して勝てない理由だった。
策を弄するばかりの卑怯なノミ蟲が、圧倒的に強靭な肉体と精神を持つ正攻法のみの怪獣に勝てるわけがない。
おそらく勝敗など、出会った瞬間に決まっていたのだ。──臨也がそれを認めたくなかっただけで。
勿論、今でも認める気など、更々ないのだが。
けれど。
「──しょうがねぇなぁ」
溜息と共に、丸まった身体をシーツごとひょいと両手で持ち上げられて。
「!?」
抵抗する間もなく、そのまま仰向けになった静雄の体の上に載せられる。そして、宥めるようにぽんぽんとやわらかく背中を撫でられた。
「なぁ、臨也」
「な、んだよ。何すんだよ、シズちゃん!」
「俺にしとけよ。この先も、ずっと」
脈絡なくそう言われて、臨也は固まる。
「──な、にが」
「だから、お前みたいなノミ蟲と九年近くも殺し合った挙句、惚れるような馬鹿は、世界中探したって俺しかいねぇだろうからよ。もう、俺から離れんな。俺もずっと、お前の傍に居てやるからよ」
「……何それ……」
「何って、俺とお前のして欲しいことを両方足しただけだ。間違ってねぇだろ」
「───…」
確かに間違っていないかもしれない。だが、真面目に言われると、これ以上恥ずかしい台詞もない。
だが、静雄自身は、どれ程恥ずかしいことを口走っているのか自覚はないのだろう。
クソッ、と心の中で毒づいて、臨也は静雄の胸に、ひどく熱くてたまらない顔を伏せる。
すると、素肌の奥に静雄の鼓動を感じた。
───シズちゃんの、心臓の音。
もっとしっかり感じたくて胸に耳を押し当てると、ゆっくりと穏やかなそれは、確かな鼓動を響かせて臨也の鼓膜を優しく打つ。
そんな臨也の背中を、静雄の手がゆっくりと撫で続ける。
静雄の温もりと肌の匂いが、臨也の全てを包み込んでいて。
臨也はそろそろと手足を伸ばして、静雄の体の上に自分の身体をぴったり重ねた。マットレスにするには硬すぎるが、さらさらとした手触りの肌は温かく、触れていて気持ちいい。
「──シズちゃん」
「ん?」
「俺から離れたら、殺すから」
「離れやしねぇよ。お前みたいな死ぬほど憎たらしくて、死ぬほど可愛い奴、手放せるわけねぇだろ」
仄かに笑みを含んだ、穏やかな声で言われたその言葉に、うん、と臨也はうなずく。
そして、一分一秒でも長く、この心臓の鼓動と一緒に居られますように、と祈りながら目を閉じて、とろとろと意識を侵食し始めた睡魔に意識を委ねた。
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