Stardust City 17

 指一本動かしたくないような深い虚脱感に身を任せたまま、天井をぼんやりと見上げる。
 身体的な疲労感も強いが、それ以上に精神的な部分が大きい。自分がまるで空っぽになってしまったような気さえする。
 それは多分、と臨也はわずかなメモリだけを働かせて考える。
 勿論、魂ごと溶け崩れてしまいそうだった甘やかな歓びの余韻もないわけではない。
 だが、それ以上に、これまで溜めに溜めてきたものを今夜、全て吐き出してしまったからだ。
 言いたくても言えなかったこと、そして言うつもりさえなかったことを、全て言葉にしてしまった。
 だが、普段の自分なら羞恥に憤死していてもおかしくないのに、何故か、やってしまった感は薄く、心は奇妙に凪いでいる。
 これはアレだ、とぼんやり考えを巡らせながら臨也は思う。
 自分の信者が一番最初、自分に対して何もかもを涙ながらに吐き出してしまった時の気分と、きっと同じものだ。
 誰かに聞いて欲しくて、けれど、誰にも言えなかった悲痛な思いを言葉と涙に変えた時、人はこんな安堵に似た虚脱感を味わうのだろう。
 そして、ほんの少しだけ救われたような気分になる。
 そんな彼女達の気持ちは、心理学上の理屈では分かっていた。だが、身をもって味わうのは全く違う。
 こんな気持ちだったのか、と思う一方で、可哀相に、とも思う。
 彼女達の涙ながらの辛い告白を聞いたのは、自分であり、彼女たちが本当に訴えたかった誰かではない。
 その誰か、に聞いてもらえたのなら、そして受け止めてもらえたのなら、彼女たちは本当の意味で救われただろうに。
 そう思いながら、そっとまなざしを横へと向ける。
 ほんのわずかに指を動かせば届くほどの、触れ合わずとも温もりが感じ取れるほどの距離で、静雄は臨也と同じように天井を見つめていた。
 その横顔を、臨也はじっと見つめる。
 改めて見てみれば、本当に嫌になるほどの男前だった。
 絶世の美青年という形容詞を恥ずかしげも無く身にまとう弟とよく似た、しかし、その数倍は精悍な容貌は、造りだけ見れば整い過ぎているほどだったが、温和でぼんやりとしてすら見える表情が生気とやわらかさを与え、彫刻のように冷たく見えることから遠ざけている。
 出会って以来、九年間、ずっと見つめ続けてきた顔だった。
 多分、この顔が浮かべる全ての表情を、自分は知っている。激怒した顔も、嫌悪に満ちた顔も、そして、やわらかな笑顔も、熱を帯びた男としての顔も。
 そのどれもが、泣きたくなるほどに愛おしい。
 本当に好きだった。
 誰よりも何よりも、この男を愛してきた。
 他の何に対しても使わない、たった一つの意味を「愛」という一文字に込めて。

「シズちゃん」

 じっと見つめたまま、小さく名前を呼ぶ。
「何、考えてるの」
 天井を見上げる横顔は、何かを考えている顔だった。
 そして多分、静雄が考えていることは一つだろう。
 臨也は今夜、心に抱えていたものを全て言葉に変えて、吐き出してしまった。
 その結果、今は不思議なほどに心は凪いでいるが、しかし、それを聞かされた静雄の方はどうだったのか。
 おそらく静雄が思っていた以上に、臨也の想いは重く、深く、粘着質なものだったはずだ。
 それを聞いてどう思ったのか。
 正直、怖い、と思う。
 だが、今度は臨也が聞く番だった。
 聞かねばならないと思った。静雄が言いたいことがあるのなら、その全てを。
「──お前のこと」
 臨也に尋ねられて、どう答えたものか少し考えた風だった静雄は、天井を見上げたまま、ぽつりと呟く。
「それと俺のこと、だな。どうやったらこの先、もっと上手くお前と付き合えんのかって考えてた」
「──そう」
 それはどういう意味なのか。
 聞きたかったが、何となく聞くのも躊躇われて、臨也は曖昧にうなずく。
 だが、静雄はそこで言葉を終わりにはせず、ぽつりぽつりと続けた。
「お前が何考えてんのかは、大体分かったからよ。じゃあ、どうすりゃいいんかなってよ。──でも駄目だな」
 そう言われて。
 ひやりと臨也の心が冷えた。
「──駄目って、何が」
 そう問い返す声が震えないようにするのが精一杯だった。或いは、震えてしまっただろうか。
 しかし、普段ならその臨也の変調に気付くだろう静雄は、自分の考えに沈んでいるのか、天井を見上げたまま、続ける。
「さっきからずっと考えてっけど、何にも思いつかねぇんだよ」
「……だから、駄目?」
「ああ」
 そういう意味か、と少しだけほっとしながら、臨也は静雄が彼独特の話し方で訥々と呟くように続ける言葉に耳を傾けた。
「お前が、もう少し素直だったらなんて言っても意味ねぇし。そんなん、お前じゃねぇし。もっと早く気付いてやれてたらって後悔したって、昔には戻れねぇし。だからって、今、お前に何がしてやれるかっつっても、全然分かんねぇんだよな」
 そこまで告げて、初めて静雄は臨也を見た。
 深みのある鳶色の瞳が、じっと臨也を見つめる。
「なあ、臨也。お前は俺に、どうして欲しい」
「──え?」
「俺は、お前が目の前でちょろちょろしてりゃ、それでいい。お前と俺が手の届く距離にいて、でも喧嘩にも殺し合いにもならねぇんなら、多分、それ以上に欲しいもんなんかねえ」
「────」
 大真面目に言い切られて。
 臨也は、言葉を失う。
「……シズちゃん、それって無欲なのか欲張りなのか、よく分かんないよ」
「ほっとけ」
 ようよう言い返した言葉は、多分、泣きそうだった。
 それを分かっているのかいないのか、静雄は少しだけ憮然と言い、そしてまた、臨也を見つめる。
「お前はどうなんだ? 俺にどうして欲しい?」



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