Stardust City 15

「ふ、あ……!?」
 焼けた鉄の塊のように熱く、硬いものが、先程まで指で散々に弄られていた箇所に押し込まれてくる。
「…ひ……ぁ…あ…、あ……!」
 感覚が麻痺してしまっているのか、痛みらしい痛みは殆ど無かったが、その圧迫感と熱さと重みに惑乱して身体がすくみ、強張る。
 その本能的な拒絶は、熱の先端を半ばまで埋め込んでいた静雄にも、それなりの苦痛を与えたのだろう。
「──臨也、臨也、俺を見ろ」
 焦りを滲ませた静雄の声に呼ばれ、頬を撫でられて、焦点を失ったまま見開かれていた臨也の瞳が、ゆるゆると光を取り戻す。
「…シ…ズちゃ…ん……」
「そうだ。深呼吸しろ、臨也。できるだろ?」
 真っ直ぐに見つめる鳶色の瞳と優しい声に促され、臨也はまだ混乱したままながらも、言われた通りに浅くなっていた呼吸を深めた。
 震え、喘いでしまう呼吸器を宥めつつ、ニ度、三度と深呼吸すると、じわりと体の緊張が解ける。すると、静雄もほっとしたように小さく息をついた。
「それでいい。辛いだろうけど、少しだけ我慢しててくれ」
 懇願するように言われて、やっと少しずつ状況が理解できてきた臨也は、こくりとうなずく。
「お、れは…大丈夫、だから……」
 かすれた吐息だけのような声でそう告げると、静雄の目の色が深くなる。そして唇を重ねられ、貪るような口接けを、臨也は成されるがままに夢中で受け止めた。
「臨也」
 長いキスを終え、深みのある声で臨也を呼びながら、静雄は再び腰に力を込める。
 彼の膂力をもってすれば一息に引き裂くこともできるだろうに、極限まで加減してじわじわと侵食してくるその熱と重みを、臨也は目を閉じて受け止めた。
 圧迫感からくる苦しさと、未知の感覚に対する怯えのために、きつく閉じた目尻から涙が滲んでは零れ落ちてゆく。
 だが、決して止めて欲しいとは思わなかった。
 ───シズちゃん。
 切れ切れに喘ぎながら、心の中で懸命に大好きな恋人の名前を呼ぶ。
 ───好き。大好き。
 その心の中の声が聞こえているかのように、静雄も繰り返し、臨也、と名前を呼ぶ。
 やがて、最も嵩のある先端が狭い入り口に呑み込まれ、そのまま勢いで続く太胴がずるりと半ばまで滑り込んだ。
「──ひぁ…っ!」
 その衝撃は、指で散々に慣らされた身体よりも、むしろ精神的に強く響いて、入っちゃった、と臨也は体を小さく震わせながら、うわ言のように呟く。
 そんな臨也の顔のあちこちに小さなキスを落としながら、もう少しな、と静雄は囁いた。
「好きだ、臨也」
 熱を帯びた言葉と共に、再び熱と重みが最奥を侵食し始める。
 一番狭い所を通り過ぎてしまったせいだろう。その先は大した抵抗もできないまま、臨也の身体は静雄の侵略を許して、やがて全てが熱い粘膜の中に呑み込まれた。
「──全部、入ったぜ」
 分かるか、と低く問われて、臨也は震えながら微かにうなずく。
 身体の最も深い部分で感じる熱と圧迫感にめまいがして、気が遠くなるようだった。
 自分の中に静雄がいる。
 恋焦がれて、渇望して、けれど諦めるしかなかった、誰よりも何よりも大切な人と。
 今、誰にも成しえなかった深さで、結ばれている。
「───っ…」
 そこまでが限界だった。
 臨也は自分の胸の中で、何かがぷつりと切れる音を聞く。
 それは、これまで必死に想いを封じ込めいていた糸が切れる音、だった。
 駄目だ、と思うことさえ、もうできなかった。
「シ…ズちゃ……」
 名前を呼んだ声は声にならず、静雄を見上げた目からぼろぼろと涙が零れ落ちる。
「え、おい…っ」
 突然泣き出した臨也に驚いたのだろう。慌てたように、静雄が身を退こうとする。
 だが、臨也は首を横に振って、違う、とそれを引き止めた。
「ち…がう……、痛い、とかじゃ…ない、から……」
「──けど、それじゃあ、」
 どうして、と戸惑った目を向ける静雄に、臨也はシーツを握り締めていた手を解き、そろそろと腕を上げて静雄の頬に指先を触れる。
 そして震える指で、精悍な頬のラインを辿った。

「俺は……ずっと、シズちゃんは、いつか、俺の前から、いなくなるんだと……思ってた」

 込み上げる嗚咽に震える声で、切れ切れにそう告げると、静雄の目が見開かれる。
 その鳶色の澄んだ色を見つめたまま、涙を隠すことも拭うことも忘れて臨也は続けた。

「いつか……シズちゃんは、シズちゃんにお似合いの、優しい誰かを見つけて、俺の前から居なくなるって……、いつか必ず、俺のことなんか、どうでも良くなって、忘れるんだって……!」

 ───それは、臨也の中にずっと巣食っていた恐怖だった。
 所詮、自分は憎しみと嫌悪でしか静雄と繋がってはいられない。
 静雄がそのことに倦み、臨也を避けるようになったら……臨也を追い回すことがなくなったら、二人の関係は自動的に切れる。それはもう、自明の理だった。
 そして、それが心底怖かったから、臨也は静雄が決して自分を忘れないよう、嫌い続けるように、悪意に満ちたちょっかいを出し続けた。
 本当に、世界中でたった一人、だった。
 他の誰に対しても、静雄に対するような悪意をもって対したことはない。
 自分の言動によって相手が奈落に落ちる様を愛でる行為は、端から見れば悪意そのものでしかなくとも、臨也自身にとっては好奇心の成したことであり、決して純粋な悪意は、そこには存在し得なかった。
 そんな臨也が心底、傷付けたいと……その魂に自分の存在を刻み込みたいと願ったのは、平和島静雄ただ一人だった。
 けれど、それすらも一時の幻に過ぎないと分かっていた。
 静雄は、いつまでも自分の悪意に付き合いはしない。
 いずれ平穏な生活を求めて、池袋から姿を消すだろう。
 そのうち、臨也ではない、心優しく素直な誰かを見つけて、その人間を心の底から愛するだろう。
 そしてその時、折原臨也の存在は、静雄の心の中から永久に消え失せる。
 幸せを掴んだ静雄は、もう二度と、憎み合い、嫌い合うばかりだった関係も、その相手のことも思い出さない。
 この池袋の街には、臨也がたった一人、取り残される。
 その未来予想図は、臨也の中でこの九年間、現実に等しい確実さをもって存在していた。
 それはそのまま、その未来予想図に怯え続けた年月でもあったのだ。
 一日でも長く、別離を遠ざけたくて。
 一秒でも長く、静雄の関心を自分に留めておきたくて。
 数数え切れない悪事を繰り返してきた。
 嫌われれば嫌われるほど、静雄が自分に対して怒りを見せれば見せるほど、腹を立てると同時に安堵もした。
 ああ、まだ彼は自分を嫌いなのだと。
 愛されないことに絶望する一方で、まだ捨てられてはいないのだと胸を撫で下ろした。

 本当に、愛してもらえるなどとは夢にすら、見たことはなかったのだ。
 そんなことを夢想するほど、愚かでも狂ってもいなかった。
 なのに。

「シズちゃん……」
 絶望しながら恋焦がれ続けた相手が、今、誰よりも自分の近くにいる。
 憎しみでも嫌悪でもなく、優しさと愛情だけが滲む瞳で、自分を見つめている。
 それは、決して有り得ない奇跡だった。
 苦しいほどに愛しくて、切なくてたまらない。
 心が千切れてしまいそうだとさえ思う。
 もういっそ、このまま息絶えてしまっても良かった。
 これ以上の幸せなど、きっと有り得ない。
 それなら、このまま大好きな人の腕の中で死んでしまいたかった。
「シズちゃん、好き……大好き……」
 ぼろぼろと泣きながら、涙で霞む目を懸命に見開き、震える愛の言葉を紡ぎ出す。
 呆然と臨也の言葉を聞いていた静雄は、その告白に眉をしかめ、くそっ、と小さく毒付く。
 そして、ぐいと腰を動かした。



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