STARDUST CITY 11

 ───シズちゃん。

 ごめん。謝るから。何でもするから。
 だから、お願いだから。

 ───止めるなんて、言わないでよ。

「──やだ…」
「あ?」
「こんな風に途中で止めるのなんて、俺は嫌だ。こんな形で……今夜を終わらせるのは……」
 とてもではないが静雄の顔を正視はできなかった。
 まなざしを伏せ、それでも必死に言葉を紡ぐ。
 自分が何をしたのかは分かっている。けれど、さっきまではあんなに幸せで、楽しかったのだ。それをこんな形で終わらせてしまったら、明日の朝からの自分たちは、きっと、どこかぎこちなくなるだろう。
 気まずさを乗り越えて、もう一度手を伸ばし合うまでに、一体どれ程の時間がかかることか。想像するだけで耐え難かった。
 精一杯の言葉を紡ぎ、それきり落ちた沈黙に、臨也は泣きたいような思いを噛み締めながら耐える。
 そのままどれ程の時間が過ぎたのか。
「臨也」
 静雄が名前を呼んだ。
「俺を見ろ」
 静かに命令されて、思わず臨也の肩が小さく震える。
 自分が今、どんな顔をしているのか全く自信がなかった。
 泣き顔だって散々に見られているのだから今更かもしれないが、今の自分は怯えすら覗かせてしまっているかもしれない。そんな顔を静雄に見せるのは、ひどく恐ろしいことのように思える。
 躊躇し、シーツをぎゅっと握り締める。しかし、うつむいて固まった臨也に、静雄はそれ以上何も言わない。
 ───シズちゃん、待ってる……?
 本来気の短い彼が、急かしも怒鳴りもせずに、じっと待っている。そう気付いて、臨也は気力を振り絞り、そろそろと顔を上げて静雄にまなざしを向ける。
 薄明かりの中で、真っ直ぐにこちらを見つめていた鳶色の瞳と、目が合った。
 そして、伸びてきた右手が臨也の頬に添えられて。
 もう顔を逸らせなくなる。
「好きだ、臨也」
 目を見つめたまま、はっきりと静雄は言った。
「お前が信じるまで、何度だって言ってやる。お前がそれで安心するんなら、もうお前しか抱かねぇと誓ったっていい」


「だからもう、俺のこと以外、考えんな」


 低く、真剣に告げられて。
「……だから、どうして命令形なんだよ」
 じわりと胸の奥から痛みにも似た熱い何かが溢れ出すのを感じながら、臨也は文句を付ける。
 すると、静雄は何を言うのかというように眉をしかめた。
「そりゃあ、手っ取り早いからに決まってんだろ」
「なんで」
「だってお前は、いつもぐだぐだ訳分かんねーこと言っては話を逸らすじゃねぇか。それをいちいち全部聞いて突っ込んでたら、俺は自分が何を言いたかったのか忘れちまう。そうなったら、お前は後で一人になった時に、自業自得の癖に泣くだろ」
「はあ!?」
 なんだそれ!、と臨也は一瞬、状況を忘れて柳眉を逆立てる。
 だが、静雄は動じることなく、臨也の涙がいっぱいに溜まった目を覗き込んだ。
「こんな風に俺の前で泣くのは構わねぇけどな。一人で泣くのは駄目だ。お前が一人で泣いてても、俺は何もしてやれねぇ」
 言いながら、そっと臨也の目元に唇を寄せて、堪(こら)え切れずに零れ落ちた涙を吸い取る。
 そして、静雄は両手で臨也の顔を包み込み、至近距離から臨也を見つめた。
 ひどく優しい瞳が、苦笑するように細められる。
「ホント、泣き虫だよな。お前がこんなに泣く奴だなんて知らなかったぜ」
「お…れだって、好きで泣いてるわけじゃない……っ」
 これまでに静雄絡みで泣いたことがないと言えば、勿論嘘だ。この九年間、苦しくて辛くて、泣きたいと思った夜は何度もあるし、耐え切れずに涙を零したこともある。
 だが、そんなことはせいぜいが年に一度か二度だった。いつでも自業自得だということは分かっていたし、自己憐憫に浸るほど脆い性格でもなかった。
 なのに、調子が狂ったのは、あの霧雨の夜から、静雄の態度が変わってからだ。
「全部、シズちゃんのせいだろ……!」
「馬鹿言え。お前のは自業自得っつーんだ」
 呆れたように言いながらも、静雄はほろほろと零れ続ける臨也の涙を一粒一粒、拭い続ける。
 そして、
「けど、お前が泣くのはお前が馬鹿なせいだって分かってんのに、お前が泣くと何でもしてやりたくなるんだよな。お前みたいなノミ蟲、甘やかしたってロクなことにならねぇってのも分かってんのによ」
 そんな風に微苦笑混じりに言うから、臨也はもう声も出せないまま、ぎゅっと目を閉じて嗚咽を噛み殺す。
 反則だ、と思った。
 この状況で、そんな声でそんな台詞を吐くのは、もはや犯罪に等しい。
 なのに、相変わらず静雄は容赦なかった。
「ったく、これくらいの言葉で泣くなんて、お前、どんだけ俺を好きなんだよ?」
 その声はからかうというよりも、愛おしさの方が強く滲んでいて。
 臨也はたまらなくなる。
「シ…ズちゃん……」
 震える声で名前を呼び、頬を包んでいる両手に自分の手を重ねて、すがりつくようにぎゅっと握る。
「シズちゃん、シズちゃん……っ」
「ああ」
 繰り返し名前を呼び続けると、ここに居る、とでもいうように、目元にキスを落とされた。
 涙を拭い、額に、こめかみに、鼻先に、幾つもの優しいキスが降ってくる。
「もう泣くな、臨也。俺にできることで、他人に迷惑かけねぇことなら、何でもしてやるからよ」
 好きだと言って欲しいなら、幾らでも言うし、抱き締めて欲しいなら抱き締めてやるから。
 もう泣くな、と言われて。
 臨也は、ぶんぶんと首を横に振った。
 泣き止ませたいのなら、もっとくだらないことを言うべきなのに、静雄はちっとも分かっていない。そんな甘く優しい言葉を聞かされたら、ますます涙は止まらなくなるだけなのに。
 声だけはどうにか押し殺し、きつく閉じた目からぼろぼろと涙を零し続けていると、静雄が苦笑する気配がして。
「───ん…っ」
 不意に唇を塞がれた。
 やたらと器用な熱い舌に簡単に唇を割られ、いいように口腔を嬲られる。
 だが、泣くと必然的に鼻の粘膜は詰まるように人間の体はできている。口も鼻も塞がれ、瞬く間に呼吸困難に陥った臨也は、苦しさのあまり、力任せに静雄の胸元を拳でどついた。
「────っ…!!」
 五、六回、全力で殴ると、やっと唇を解放される。
 大きく深呼吸して酸素を取り込み、それから臨也は静雄に向かって怒鳴った。
「何考えてんのシズちゃん! 俺を窒息死させる気!?」
 だが、涙目で怒り狂った臨也に、静雄は楽しげに笑って。
「よし、いつものノミ蟲に戻ったな」
「はあ!?」
「いいじゃねえか。涙、止まっただろ」
「そりゃ止まったかもね! でもそれ以前に呼吸が止まりかけたんだけど!? その辺分かってる!? 絶対、分かってないよね!?」
「いいだろ、別に。現にお前は生きてんだし」
 事も無げにそう言い、静雄は懲りもせずに臨也の唇にバードキスを落とす。そして、少し意地の悪い笑みを浮かべ、臨也の目を覗き込んだ。
「続き、するんだろ?」
「──っ…!」
 確かに泣いてばかりでは埒が明かない。しかし、だからといって、静雄の取った手段は真っ当と言えるものなのか。
 ぐるぐると恨み節で考えながらも、臨也は静雄の主張の正しさを認めざるを得なかった。
 泣いて、それを慰めてもらうために今夜、静雄を寝室に引っ張り込んだわけではないのだ。やるべきことをやらなければ、自分から誘うという羞恥プレイに耐えた甲斐がない。
 とはいえ、散々泣かされた上に窒息死させられかけた恨みは恨みであって。
「シズちゃんなんか大嫌い。早く死ねばいいのに……!」
 そう告げて、臨也は噛み付くようにキスをした。



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