STARDUST CITY 10

 何を考えていた、と問われて。
 臨也は初めて、我に返る。

 ───今、俺は何考えてた?

 ここは自分の部屋の自分のベッドで、大好きな人と二人きりで。
 互いに服を脱いで、そして、その大好きな人に触れていた。
 なのに。

 ───何を、考えていた?

 愕然としながら、静雄を見つめる。シズちゃん、と呼びたくともその声すら出てこない。
 静雄がこんな目をするのは、初めてのことだった。
 怒り狂った燃え滾るような瞳は散々に見てきたし、それとは打って変わった、包み込むように優しい瞳も、時には面白がるような瞳も、最近になってから何度も見た。欲を滲ませた男の目すら、今夜、知った。
 けれど、こんな目をした彼を見たことはない。
 否、少しだけ似たような目なら、昔、見たことがある。
 臨也がけしかけた不良たちを叩きのめし、立っている者は自分かいないグラウンドの真ん中で拳を握り締め、辛くて苦しくて腹が立ってたまらない、そんな風情で宙を睨みつける横顔に、似たような光を見つけたことがある。
 その光から色々なものを差し引いて何かを足したら、今、自分を見つめている瞳に少し似るかもしれない。
 そんな色の瞳を、臨也は言葉を失ったまま見つめる。
 ───シズちゃん。
 一体、何を言えばいいのか。
 静雄と居ると、臨也はその口から先に生まれたような性格にも拘(かかわ)らず、度々、こんな気分に陥る。
 だが、今のこれは、その中でも最悪だった。
 いつもなら、静雄が見透かしたようなことを言ったり、予想もしないこと──プリンを持ってきたり、可愛いと言ったり、そういうあれやこれやを突然仕掛けてくるせいで、咄嗟に対処できなくて言葉が出なくなる。が、今のは違う。明らかに臨也のミスだった。
 多分──静雄の考えていることなど分からないが、もし予想が当たっているのなら──、臨也はしてはならないことをしたのだ。
 もし予想が外れていたとしても、少なくとも、静雄にこんな目をさせるようなことを、した。それだけは間違いない。
「シ…ズ、ちゃん」
 謝りたいのか、言い訳したいのか。
 自分でも分からないまま、やっと出てきた声は、かすれてひどく弱々しい。
 これが自分の声か、と臨也はぞっとする。こんな声を出すくらいなら、先程、静雄に脊椎を弄られていた時の羞恥心をどうにも煽られる声の方が遥かにマシだった。
 そして、静雄もそう思ったのかもしれない。小さく溜息をついて、ずっと掴んでいた臨也の両肩から手を離す。
 触れていた箇所から静雄の手の温もりが失われると、急に肌寒く感じられて、嫌だ、と臨也は反射的に強く思った。
 ───この手を、この温もりを失うのは嫌だ。
 また嫌い合い、憎み合い、殺し合うばかりの日々に戻るのは嫌だ。
 嫌悪しか浮かばない、怒り狂った目ばかりを向けられるのは嫌だ。
 一人に戻るのは、絶対に嫌だ。
 彼を失うのだけは、何があっても。
 ───嫌だ。
「シズちゃ……」
「臨也」
 その瞬間の臨也は、どんな表情をしていたのだろう。呼び掛けた声を遮るように、静雄が少し強い声で名を呼び、そしてまた小さく溜息をついて、右手で自分の後ろ髪を掻き上げる。
 その仕草は、呆れたり愛想を尽かしたりしているというよりは、困っているように見えて。
 何だろう、と臨也は少しだけ冷静さを取り戻して、静雄を見つめた。
 じっと注意深く観察してみても、怒っているようには見えない。瞳に浮かんでいた傷付いたような光も、先程に比べれば薄くなっているように思える。
 もしかしたら、と臨也は考える。お人好しの静雄のことだ。臨也が動揺したことで、臨也を責める気分が薄れたのかもしれない。
 しかし、だからといって気分が安らぐわけではく、臨也は黙って、静雄が言葉を紡ぎ出すのを待つ。
 それにはさほどの時間はかからず、静雄は自分の首筋に手を当てたまま、臨也を呼んだ。
 彼にしては珍しく、目線を落としたまま、口を開く。
「あのな、臨也」
「……うん」
「俺だって、お前の過去が気にならねぇわけじゃねーんだよ」
「…………うん」
 単刀直入に切り込まれて、ああやっぱり見透かされていたのか、と臨也はうつむいた。
 先程、臨也は内心を吐露するような言葉は一切、口にしなかった。だが、状況から静雄には分かってしまったのだろう。
 それまで上機嫌で喋りながら触れていた臨也が、突然、表情を変えて、静雄の反応を伺うこともなく一方的に愛撫を深めたのだ。何かおかしいと……静雄以外のことを考えていると気付かれるのは、彼の勘の良さを思えば当然のことだった。
「でも、仕方ねぇだろ。お互い、いい歳なんだしよ。俺もだが、お前だって俺とこんなことになるとは思ってなかっただろ。なのに、昔のことなんか言ったって意味がねえ」
「……うん」
 静雄の言葉に、ただうなずくことしかできない。
 冷静さを取り戻してみれば、先程のことは実に愚かしい衝動だった。
 静雄の一夜限りの、しかも一方的に流されての相手に嫉妬しても仕方がない。
 かくいう臨也自身も、過去には一夜限りの相手が幾人も居たのだ。もし、その女たちのことを今更どうこう言われたら困惑して、キレるしかない。
 少し冷静に考えれば分かることなのに、先程はおかしくなっていた。
 自分も愛されたかった。そんな悔しさや悲しさばかりが堰を切ったように溢れ出して、目の前に好きな人が居るのに──その人に触れているのに、顔も知らない女達のことしか頭の中にはなかったのだ。
 にもかかわらず、そのことを察した静雄が怒るのではなく、傷付いた目をしたことが、臨也にはひどく堪(こた)えた。
 傷付けたくなどなかったのに。
 ただ、感じて気持ち良くなって欲しかっただけなのに、やり方を間違えてしまった。
 それが分かるからこそ顔を上げられない臨也に、静雄がまた小さく溜息をつく。

「今夜はもう、止めとくか」

 そう言われて。
 思わず臨也は顔を上げ、静雄を見上げた。
 静雄は相変わらず、自分の後ろ首筋に片手を当てたまま、真面目な表情で臨也を見つめている。静けさを取り戻した鳶色の瞳は、何を考えているのか全く読めない。
「──なんで」
 問い返した声は、かすかに震えていたかもしれない。それさえも自分では判別がつかないほど、臨也の頭の中は後悔と困惑とでいっぱいだった。
 そんな臨也の表情をどう読んだのか、静雄は物思うように二、三度まばたきする。
 そして、静かに口を開いた。
「お前が俺に集中できねぇんなら、やっても仕方ねぇだろ。俺はお前とはSEXしてぇと思うけど、俺やお前の昔の相手をそこに混ぜるのは御免なんだよ」
「────」
「俺はお前のことだけ考えていたいし、お前にも俺のこと以外、考えて欲しくねえ。──好きな相手とするSEXってのは、そういうもんじゃねぇのかよ」
 その静雄の言葉の中に、押し込められた痛みを聞き取って。
 臨也は頭を殴られたような衝撃を受ける。
 ───これまで。
 愛情のあるSEXなど一度もしたことはなかった。人間全てを愛するのと同じ感覚で、一夜限りの相手をも愛した。
 臨也はそれを愛だと嘯(うそぶ)いてきたが、本当はそうではないことなど臨也自身が誰よりも知っている。
 そして、静雄もまた、同じように愛情を伴うSEXをしたことはないのだ。
 女達の欲望の捌け口にされてきただけで、見た目よりも遥かに生真面目な彼は、そんなSEXには苦々しさを感じこそすれ、本当の意味での歓びを得たことなどなかったのに違いない。
 ───夜が明ければ、相手の名前も顔も覚えていられないような一晩限りの交わり。
 そんな意味のない行為を繰り返し、けれど、本当に欲しいものは得られないと思っていた自分たちが、やっと今夜、本当に心の底から欲しいと……愛しいと手を伸ばし合うことができたのに、臨也はそれを自分の手で貶(おとし)めかけたのだ。
 自分が何をしたのか、今度こそはっきりと理解して、臨也は胸の奥から耐え難い痛みが競り上がってくるのを感じ、唇を噛んだ。



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