Stardust City 07
───取り返しのつかねぇ怪我をさせずに済んで、良かった。
それは心底、ほっとした声だった。何かに心から感謝するような声だった。
その響きに、臨也の心は震える。
そして、その震える心で、やっと終わったのだ、と思った。
自分を見てもらえないことに傷付き、歯噛みしながらナイフを向ける。そんな日々はもう、永遠に終わったのだ。
この温かな腕が自分を抱き締めてくれる限り、あんな苦い、焼けた鉄を飲み込むような思いは、二度と味わないで済む。
この先、自分たちが喧嘩することがあっても……必ずあるだろうが、だからといって、静雄はきっと目を逸らしたりはしない。
臨也が何故、理不尽なことをしたのか、見極め、理解しようとしてくれるだろう。その上で、改めて怒るなり許すなり、判断してくれるに違いない。
そう信じられることは、臨也にとって何にも変え難い幸せだった。
「シズちゃん」
名前を呼び、ゆっくりと両腕を上げて広い背中を抱き締める。
静雄は身長とのバランスで細身に見えるが、こうして触れれば十分に逞しい体つきをしていることが分かる。
筋肉だるまには程遠い、すっきりと引き締まった体ではあるが、胸の厚みも肩や二の腕の筋肉の盛り上がりも、細身の臨也に比べれば倍近い。
そして、その体が発している少し高めの体温が、低体温気味の臨也には心地良かった。
「自分から喧嘩売るのに、自分が怪我するような馬鹿な真似は、俺はしないよ。運動神経いいし、自他共に認める卑怯者だしね」
「……にしたって、無茶だろうが」
臨也の憎まれ口に、静雄は溜息をつき、それでも抱き締める腕の力を緩めて目と目を合わせ、キスをしてくる。
目を閉じてそれを受け止めながら、臨也は手探りで静雄の肩から胸元へと手を滑らせ、パジャマのボタンを探り当てた。
深みのある青のパジャマは、静雄の金髪や外回りでほんのりと日に焼けた肌によく映えて、見る度にこれを選んだ臨也の満足感を煽るのだが、しかし自分だけ脱がされるのは不公平というものだろう。
胸元を探る臨也の手の動きに当然、静雄も気付いているはずだったが、制されなかったから、臨也は遠慮なくキスを続けながら全てのボタンを外した。
そして、唇が離れたところで、至近距離から静雄を見つめたまま、両方の肩口にそれぞれ手を差し入れて、ゆっくりとパジャマを下に引き下ろす。そのまま手首にわだかまりかけた布地は、静雄がするりと手を抜いたことで大人しくシーツの上に落ちた。
臨也がすることを静雄は温かな瞳で面白げに見つめていて、臨也はその表情を少しだけ崩したくなる。
だからといって、ナイフを取り出して突き立てるわけにもゆかないから、代わりに静雄の首筋に、かぷ、と噛み付いて歯を立てた。
しかし、ナイフさえ刺さらない肌には、結構思い切り噛んだはずなのに、案の定、何の痕も残らない。
「……やっぱりナイフ突き刺してもいい?」
「いいわけねぇだろ」
面白くなくて提案してみれば、苦笑交じりの声で返される。
つまんない、と思いながらも、臨也はそっと静雄の肩に手を置き、肌の上に手のひらを滑らせてみた。
異常な回復力を持つ肉体は、肌にも傷一つなく、なめらかに筋肉を覆っている。臨也も体毛は薄い方だが、静雄もそうなのだろう。なめし皮のようにすべやかな感触を楽しみながら、ゆっくり手を下ろしてゆくと、やがて、手のひらにとくとくと脈打つ鼓動を感じた。
───シズちゃんの、心臓。
何度もナイフで狙ったことはあるし、ここ目掛けて刃を突き立てたこともある。
だが、鼓動に触れるのは初めてだった。
この手のひらの下に、心臓がある。
平和島静雄の、命がある。
その何とも言えない、体の深い部分で何かが打ち震えるような感覚に、そっと目線を上げると、静雄の目はまだ臨也を見つめていた。
無防備に心臓を臨也の手に預け、ひどく優しい目をしている。
それは、臨也が何をしようと自分は傷付かないというような傲慢な自信ではなく、全てを臨也に委ねているやわらかな表情だった。
「シズ、ちゃん」
「ん?」
手のひらに感じる鼓動は、幾分速いような気がする。普段の静雄の心拍数など知らないし、自分の鼓動も逸っているから、よくは分からないが、安静時よりは間違いなく速いだろう。
「緊張、してる?」
だから、そう尋ねると、静雄はふっと笑んだ。
「してねぇつったら嘘になるかもしれねえけど……どっちかつったら、興奮、してるかもな」
「……そう、なんだ」
さらりと言われると反応に困る。
急に、静雄に触れている自分の手が意識されて、どうしようかと臨也はひどく戸惑った。
ここで手を離すのも、なんだか意識してますと宣言するようだし、かといって、この手をこれ以上どこへ動かせばいいのかも分からない。
もっと触れてみたい気はするが、そうしてもいいのかどうか。
こんな風に戸惑うことは、初体験の時ですらなかった。その時は相手が年上の経験者だったこともあって、好奇心の赴くままに自由に振る舞えたのに、今はまるで物知らずな子供のような気分だった。
どうしよう、と思った時。
静雄の手が、ふっと動く。
「シズちゃ……」
長い指を持つ手が臨也の頬に触れ、するりと髪を梳き下ろしながら首筋に触れて、ゆっくりと頚動脈をなぞりながら、肩口へと滑り降りる。そして、温かな手のひらは更に下へ。
目と目を合わせたまま、ゆっくりゆっくりと下りてゆき、臨也の心臓の上で、そこを包み込むようにして止まる。
「……お前の鼓動も速ぇな」
当たり前だろ、と言おうとして唇が動かない。
皮膚と薄い筋肉とを挟んで、心臓に触れられている。
静雄なら素手でも、肉体を突き破ってこの心臓を潰せる。が、それに対する恐れではなく、自分の命の源に静雄の手が触れているという事実にこそ、臨也は身動きができなかった。
「臨也」
真っ直ぐに臨也を見つめて、静雄は名前を呼ぶ。
「好きだ」
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