Stardust City 06

 何度目かのキスを交わした後、臨也は、待って、と静雄を制した。
 何だ?という顔をした静雄にかすかに微笑んでから、身を捩ってサイドテーブルに置いてあったリモコンを手にとる。すると、静雄も臨也が何をしたいのか、すぐに理解したようだった。
「真っ暗にはするなよ」
「しないよ」
 真っ暗闇の中でするSEXなど、大して面白いものではない。
 少なくとも男は、相手の姿や表情が見えてこそ一際興奮できるのだと分かっているから、臨也は互いの姿形、瞳の色まではっきりと分かる程度の薄明かりにまで照明の明度を下げたところで、リモコンをテーブルの上に戻した。
 そして改めて向き合うと、薄明かりの中では返って静雄の金色の髪が映えて見え、思わず胸の奥がざわめく。
 まるで恋を覚えたての子供のように心臓がときめくのを感じながら、心の欲求に素直に臨也は静雄の髪に手を伸ばした。
 ゆっくりと指先を絡め、梳き下ろすと、少し感触はぱさついてはいるが引っかかりはせず、するすると指の間から逃げてゆく。
 本来は、きっと弟のように癖のない、やわらかそうな髪質なのだろうに、と惜しみながら数回撫でると、こちらを見つめる静雄と目が合った。
「──見た目よりは痛んでないね」
「なんだそりゃ」
 臨也の感想に、少し呆れた顔をした後、静雄は指先で自分の前髪を摘んで眺める。
「月イチで、脱色して染めてっからな……。まあ、店の人の腕がいいんだろ」
「──幽君に紹介してもらった店だっけ?」
 そう言うと、静雄は少しだけ嫌そうな顔になった。
「なんで知ってんだ、ってお前に言うだけ無駄か」
「そうそう。無駄無駄。無駄なことはしない方がエコだよ、シズちゃん」
 溜息をついた静雄に便乗して、ついでとばかりに唇を盗む。
 バードキスをして離れ、至近距離から悪戯に見上げると、静雄の瞳が仕方ねぇなと微笑むのが見えて。
 額や目元、頬や鼻先に軽いキスの雨が降ってくる。
 その優しい感触に軽く目を閉じて唇へのキスを期待すると、何故か通り過ぎてしまい、代わりに耳の下をやわらかく吸い上げられる。
 予想していなかった刺激に思わず肌が震えると、耳朶をやんわりと噛まれた。
 薄く柔らかな皮膚に歯を立てられているのに、何故か痛みはなく、そこからぞくりとした何かが広がってゆく。
 かすかに吐息が震えたことに気付かれたのか、ニ、三度、甘噛みを繰り返されて、その得体の知れない感覚が広がって行く先を無意識に追っていると、不意に胸元で何かが動く感触がして、目線を落とせば、静雄の指先がパジャマのボタンにかかっていた。
「シ…ズちゃん……っ」
「ん?」
 手際が良過ぎる!と思わず呆れ慌てて名前を呼べば、どうしたと顔を覗き込まれて、その鳶色の瞳の邪気の無さに、喉元まで出掛かっていた文句が霧散してしまう。
 だが、静雄の目は自分をじっと見ていたから、何かを言わねば、と臨也は少しだけ慌てた。
 その結果、出てきた言葉は。
「──シズちゃんて、俺相手にその気になるの?」
 なんとも間抜けなもので、内心、臨也は頭を抱える。聞いた側の静雄の感想も似たようなものだったらしく、至近距離で静雄はにやりと笑んだ。
「ならなかったら、抱かせろなんて言うわけねぇだろ」
「……そ、うだったね」
 ひどく男っぽい笑みを見せられて、知らず応じる声が震えてしまう。
 静雄が獰猛に笑う顔は、これまでにも散々に見てきた。が、目の前の笑みは違う。憤怒が爛々と目を輝かせるのではなく、一人の男としての艶が鳶色の瞳に鋭さを添えていて、臨也は今更ながらにうろたえた。
 ───これから抱かれるのだ。この男に。
 好きで好きでたまらなかった、たった一人の相手に。
 そう思った途端、急に胸の鼓動が速くなる。
 自分とて何も知らないわけではない、と思ってはみても、じわりと顔が熱くなるのを止められない。
 何といっても、好きな相手と触れ合うのは初めてなのだ。緊張するなという方が無理だった。
 そして、その変化は、臨也の体を緩く抱きしめ、至近距離から顔を見ている静雄には筒抜けだったらしい。
 艶めいたままの鳶色の瞳に甘やかな色が加わり、頬に軽いキスを落とされる。
「緊張すんなとは言わねぇし、お前が無理だって言ったら途中でも止める。だから、嫌だと思ったら言えよ。今だけは無理に我慢したりすんな」
 目を覗き込まれ、そんな風に言われて。
 とくとくと速い鼓動が、更に切なさを増す。
 愛おしい、というのはこういう感覚を言うのだろうかと思いながら、臨也は目を伏せて、こつんと額を合わせた。
「実際どうなるかは、やってみないと分かんないけどさ……誘ったのは俺の方だよ?」
 最後までしたい、全部欲しい、とはさすがに口には出せない。けれど、口に出せる範囲では最大限の言葉を告げると、静雄は、ああ、とうなずいた。
 そしてまた、唇を重ねられる。
 甘く濃厚なそれを、臨也は静雄の首筋に腕を回して受け止め、自分も同じように返す。
 随分と長く絡み合ってから、ゆっくりと唇が離れ、濡れた感触が首筋へと降りていっても嫌だとは感じなかった。頚動脈を辿るように、やわらかく唇と舌を這わせられて、ぞくぞくとした何かが背筋を駆け上る。
 そうする間に、妙に器用な静雄の手は臨也のパジャマの前ボタンを外してしまい、首筋を伝い降りた唇が肩口に辿り着くのとほぼ同時に、パジャマの上はするりと両肩から落とされた。
 エアコンは入っているから、春の夜であっても寒さは感じない。けれど、静雄の眼前に肌を晒すことに、どうしても背筋が微かに震える。
「──ちゃんと食べてるよ」
 一旦離れて、まじまじと上半身を見つめる静雄が何か言いたそうにしたのを、機先を制することで封じた。
 確かに骨格は細いし、肩幅も広いとは言えないが、これでも必要十分の筋肉は付いているのだ。肋骨は浮いていないし、腹筋だって薄く割れている。そうでなければ、パルクールなど習得できない。
 ただ、筋肉が付きにくい体質であるのは事実だし、食もどちらかといえば細い。だが、臨也としては、自分のスレンダーな体型がそれなりに気に入っていたから、文句を付けられたくはなかった。
 しかし、静雄は静雄で、それなりに感想はあったらしい。
 小さく溜息をついて、左の鎖骨の上にキスを落とし、呟くように低く告げてくる。
「どっちかっつーと、呆れてんだよ、俺は。こんな細っせえ体で俺に喧嘩売ってくるような馬鹿は、世界中探したってお前だけだ。しかも、今年で九年目だぞ。普通の奴なら一度で懲りるのに、お前は一体何百回、同じ事繰り返してんだよ」
 どんだけ馬鹿なんだ、と心底呆れたように言われて、仕方ないじゃん、と臨也は心の中で返す。
 相容れない自分たちが関わり続けるには──静雄の目を自分の方に向けさせるには、それしかなかったのだ。
 自分を見ようとしない静雄が大嫌いで、卑劣な罠を仕掛けて、静雄の怒り狂った目が一瞬、自分を見ればひどく満足して、けれど、そのわずかな時間が過ぎれば、また自分を見なくなる彼をまた嫌って、憎んで。
 そんな歪んだ連鎖を延々、繰り返してきた。それがどんなに愚かなことだったのかは、臨也自身が一番分かっている。
 けれど、どうしようもなかったのだ。それ以外の方法を知らなかった。
 今こうしていられることの方が奇跡なのであって、この冬に静雄が臨也の想いに気付いてくれなかったら、この先も十年でも二十年でも、もしかしたら死ぬまで同じ事を繰り返し続けただろう。
 そう思う間にも、静雄の温かな両腕が、ぎゅっと優しく臨也を抱き締める。
「──取り返しのつかねぇ怪我をさせずに済んで、良かった」



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