STARDUST CITY 04
ふわりとやわらかな感触がこめかみに触れて。
キスをされたのだ、と気付く。
触れるだけの優しいキスは、一つだけにとどまらず頬にも、唇の端にも触れ、そして、薄い耳朶をそっと喰(は)まれて。
唇で挟み込まれ、耳朶の中心にやんわりと痛くない程度に歯を立てられるのを感じた途端、臨也の中の何かがぞくりと震えた。
「ま…、待って、待ってってば、シズちゃん!」
先程からフリーズしたままの思考では、どう対処したらよいのか分からず、混乱したまま、とにかく相手を制止しようと慌てた声を上げる。
すると、その声が明らかにパニックを起こしていることに直ぐに気付いたらしい静雄は、臨也の耳から口を離し、代わりに、腕の中に抱き込んだ臨也の後頭部を宥めるように撫でた。
ぽんぽんとやわらかく撫で、髪を梳く感触はひどく優しいのに、臨也の心臓の鼓動は収まるどころか、更に跳ね上がる。
───なんだなんだコレ……!
静雄に可愛いと言われるのは、いい加減耳タコだし、抱き締められるのだって、もう珍しくはない。
なのに、何かのスイッチが入ったかのように、どくどくと耳の奥で心臓の音が轟いている。
なんで、と必死に考えるうち、不意に先程の静雄の言葉が脳裏に蘇った。
「───っ、」
多分、先程のあれは。
静雄なりの二度目の告白だ。
初めてプリンを持参した日、絶句して固まった臨也が可愛かった。だから、好きになった、きっと彼はそう言いたかったのだ。
けれど。
───なんでそんなのがツボに嵌まるんだよ……!
あの日、二人分のプリンを見て、本当にどうすればいいのか分からなかった。喜べばいいのか、馬鹿にすればいいのか。自分がどうしたいのか、どうすればいいのか。
そして、静雄はどうしたいのか、どうして欲しいのか。
そして混乱した挙句、何かを言わねばと口にしたのは、「シズちゃんて本当にプリン好きだね」という憎まれ口だ。
それに対して、静雄も「悪かったな。嫌なら手前は食うな」と普通に返してきていたはずなのに。
実は、それがきっかけだったなんて。
一体どこまで規格外で、馬鹿で、悪趣味なのか。
たまらない、と思う。
確かに今の静雄は、臨也を傷付けないし苦しめない。けれど、その代わりに滅茶苦茶にしてしまう。
折原臨也たる何かを粉々に破壊して、只の愚か者にしてしまう。それも、恋に落ちて、溺れた、軽蔑すべき最低最悪の愚か者に。
けれど。
今、臨也を抱き締めている男は、それ以上の馬鹿だ。
規格外の化け物で、世界一の馬鹿野郎だ。
ならば、臨也が少しくらい馬鹿なことを言ったとしても、きっとそれは些細な出来事、なのではないか。
そう、多分、大したことではない。
静雄の馬鹿さ加減に比べたら、こんなことは。
「……あのさぁ、シズちゃん」
静雄のパジャマのコットン生地を皺になるくらいに握り締めながら、臨也は声を絞り出す。
心臓の鼓動がうるさい。
息が苦しい。
いっそのこのまま死んでしまいたい。
けれど、それでも。
「さっきの、こと、だけど。そこまで言うんなら、ちゃんと言ったら? 俺、まだ一度も君からきちんと聞いた覚え、無いんだけど?」
言葉を紡ぎながら、爆発してしまいたい、と心の底から願う。
今すぐ息絶えて、この世界から消えてしまいたい。
そう思うのに。
不意に静雄の腕が動いて、ぴったりと重なっていた上半身を引き剥がされる。
何、と思わず顔を上げれば。
静雄がひどく驚いた顔で臨也を見つめていた。
「……シズ、」
「好きだ」
低く、はっきりした声が耳に届いた瞬間。
臨也の中に一瞬の空白が生じ、そして。
ありとあらゆる感情がうねり、膨れ上がり。
爆発、した。
「───っ…」
たかが一言だ。
たかが、三音節。
なのに、静雄の顔を見つめたまま、言葉が出ない。
口を開いたら、体の中で爆発した何かが噴き出してしまいそうで、必死にそれを噛み殺す呼吸が震える。
けれど、それをこらえることができたのは、ほんの十秒足らずだった。
耐え切れずに両手を伸ばし、静雄の首筋にすがりつく。
───俺の大事な、大好きな、シズちゃん。
必死に抑えようとしても嗚咽が零れ、きつく閉じた眦(まなじり)から溢れる涙が次から次へとパジャマのコットン生地に吸い込まれてゆく。
「シ…ズ……ちゃん……っ」
嗚咽交じりに名を呼び、ぎゅうとすがりつくと、静雄の温かな両腕が同じように抱き締め返してくれる。
そして、静雄が、臨也、と呼んだ。
臨也の大好きな、低い良く響く声で。
「ごめんな、焦らしてたわけじゃねぇんだよ」
静雄の指の長い大きな手が、そっと優しく臨也の髪を梳くように撫でる。
「ただ……好きだって口に出して言ったら、お前が逃げちまうような気がしてよ……」
濁した語尾に、それだけは嫌だったのだと怖がる静雄の気持ちを感じて、臨也は泣きながら強くかぶりを振った。
確かにずっと、突然静雄が自分を見てくれるようになったことには戸惑っていた。何度も、自分の白昼夢なのではないかと疑った。
けれど、だからといって好きだと言って欲しくなかったわけではない。
言われても容易には信じられなかっただろうし、その言葉に依存して繰り返し欲しがる自分を恐れたかもしれないが、それでも、好きという言葉は特別だった。
「逃…げたりなんか、するわけないだろ……! 俺はずっと、好きだったんだから……!!」
憎まれ口を叩いてナイフを突きつけ、不良やチンピラたちをけしかけながら。
それでも、本当は自分を見て欲しかった。
愛して欲しかった。
けれど、それが決して叶わないことは分かっていたから、絶望をもたらすだけの想いには見て見ぬふりをして、ただただ静雄が嫌いだと憎み続けた。
それはどこまでも絶望的な恋で、自分が自分である以上、そうなるしかないと分かっていた。
それなのに……自分で選んだことなのに、苦しくて苦しくて。
いっそ消えてしまいたくて、どうせなら静雄の手で殺されたいと、熱でぼやけた思考で霧雨の池袋の街を彷徨った。
それがどうして、こんな結末に繋がると思うだろう。
都合が良過ぎて怖いと、何度も思った。
悪い夢を見ているだけで、目覚めたらまた一人きり、冷たい部屋の中に居るのではないかと何度も疑った。
けれど、それでも何度もメールは届いて、夕食も何度も一緒に食べて、その帰り道には裏通りでキスをして、されて。
だから、少しずつ信じてもいいような気になって、最近はメールが届いたらただ嬉しくて、会える時は本当に幸せで。
「シ、ズちゃん……っ」
好きで、本当に大好きで。
もっと傍に行きたくて、傍に来て欲しくて。
叶うなんて思ったこともなかったのに、今は。
「臨也」
まるで夢のようだと思う。
静雄がやわらかな声で自分の名前を呼び、力強い腕が自分を抱き締めて、長い指が優しく髪を撫でる。
「臨也、そんなに泣くな。俺が悪かったから」
耳元で宥めるように言われて、また強く首を横に振る。
悪いのは多分、静雄ではない。臨也のどうしようもない天邪鬼な性格が、ここまで二人の関係をこじらせた。
だが、そうと分かっていても臨也は、自分の性格を変えられなかった。
おそらくこれからも、度々静雄を怒らせるような言動を繰り返す。それはもう、確定事項だ。
これまでと同じように、人間離れした化け物の強さと優しさに甘えて、付け込んで、好き勝手ばかりするだろう。
どうしようもない。
けれど、そのどうしようもない折原臨也という人間を、静雄は好きだと言ってくれたから。
そのままでいいと、素直になどならなくてもいいと許してくれたから。
───もう、シズちゃんになら殺されてもいい、よ。
心の底からそう思いながら、力の限りにしがみ付き、抱き締める。
すると、静雄が微苦笑するような気配があって、やわらかく背中を撫でられた。
そして、耳元に優しい囁きが落とされる。
「臨也、顔を上げろ」
いつかもそんなことを言われた、と思いながらも、冗談ではないとかぶりを振って一層しがみ付く力を強くする。
こんな風に泣いたら顔面はぐちゃぐちゃだ。自分でも鏡を見たくないのに、よりによって大好きな恋人になど見せたいはずがない。
だが、静雄は相変わらず容赦なく無神経だった。
「仕方ねぇなあ」
そんな言葉と共に、またもや肩に手をかけられ、抵抗する間もなく、べり、とはがされる。
まだ嗚咽も収まっていないのに目と目が合い、何をしやがるこの野郎!、と恨めしく睨めば、何故か静雄は優しく微笑んで、臨也の濡れた目元にそっと口接けた。
その感触がくすぐったくて目を閉じれば、また涙が零れ落ち、それを静雄のキスが優しく吸い取る。
「──シ…ズちゃ……」
「臨也」
羞恥に駆られて思わず名を呼べば、自分の名を呼ぶ声に遮られた。
何、と鳶色の瞳を見つめれば。
「抱いても、いいか?」
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