Stardust City 02
ニ度目は、頭の中を疑問符だらけにしながらも、一度目と同じように耐えた。
三度目は、相手の胸ぐらを掴んで思い切り揺さぶりたい衝動に駆られながらも、どうにかこらえた。
だが、もうさすがに堪忍袋の緒が切れた。世間でも言うではないか、仏の顔は三度まで、と。
無論、臨也も自分が聖人君子だなどとは、欠片ほども思っていない。本来ならば、一度だって我慢しない、できない性格なのだ。むしろ、聖人よりも悪魔の方が余程近い存在だということくらい、自分で分かっている。
なのに、そんな自分が耐えた。
ならば、御褒美にこの世界くらい貰っても良いのではないか。いいや、今すぐ寄越せ。とっとと寄越しやがれってんだこの糞野郎。
いつもの就寝時刻、「毛布を貸してくれ」と言った静雄の前に立った臨也は、内心、それくらいにブチ切れていた。
「あのさぁ、シズちゃん」
どんな目つきよりも得意な、世界一の馬鹿を見る目でパジャマ姿の静雄を見上げる。いつもならわざとだが、今夜は本気だった。
「何でわざわざ、いつも毛布貸せって言うわけ? 一応俺のベッド、クイーンサイズのダブルなんだけど? ここまで来ると、返って嫌味なんだけど、自覚ある? 無いよね?」
目一杯の皮肉を込めて告げると、静雄は不思議なものを見るかのように臨也を見つめる。
一番最初の夜であれば、臨也はそれに心の中で怯(ひる)んだかもしれない。
だが、三度目ともなれば、その表情は目潰しでも食らわせてやりたいだけだ。さすがの静雄でも、眼球に指を鋭く突き込まれれば、多少は痛いと感じるだろう。
「言っとくけど、俺は今、かなり機嫌が悪いんだよ。君のせいで。だから、これが最後通牒。今夜もここで寝る気なら、もう二度と、うちの敷居を跨がせない」
「────」
「分かった? まあ、キャパの小さい君の脳味噌に理解力なんか期待しないけどさ。じゃあね、おやすみ。毛布は出さないから、帰りたければ帰ったら」
新宿から池袋までなんて、歩いて帰っても大した距離ではないし、日付が変わる前の今なら、大急ぎで着替えて駅まで走れば、最終電車にも間に合う。
だから、もう二度と振り返ってなどやるものか、と思いながら、臨也は二階に続く階段に向かう。
だが、そこに辿り着くよりも早く。
「臨也」
静雄の声が、臨也を呼んだ。
「悪かった」
思わず足を止めた臨也の背中を、静雄の穏やかな声がそっと撫でる。
「お前の部屋、行ってもいいか?」
その声で、そんな風に言われたら。
他にどう答えられるだろう?
「──勝手にすれば」
背を向けたまま言い捨てて、階段を上がる。少しだけ間を空けて、静雄がついてくる気配と足音が聞こえたが、振り返りはしない。
そして、寝室のドアを開け、中に入った。
明かりを点けたままだった室内は、本当に寝るためだけの部屋で、ベッドとサイドテーブル、オーディオしかない。
茶色い板張りの壁と、ベッドの白いリネン。
さほど冷たい色の取り合わせでもないのに、どこか無機質な印象のその部屋の中で、臨也はゆっくりと体の向きを変え、部屋に入ってきた静雄を見た。
「……あんまり物を置いてねぇんだな」
「寝るためだけの部屋だしね。物をごちゃごちゃ置くのは好きじゃないんだ。掃除が面倒になるだけだし」
「下の階もそんな感じだよな」
納得したように言いながら、静雄はドアを閉め、ゆっくりと臨也との距離を詰める。
静雄の手が臨也の肩をそっと引き寄せても、臨也はその手をはたき落としたりはしなかった。
抱き締められて、少しだけ迷ってから肩口に頬を寄せる。肌に触れる上質のコットン生地は、静雄の温もりを移して温かい。
このパジャマは、関係が変わったというのに、パティスリーの紙袋とレンタルショップの袋を除いたら身一つでやってきて、バーテン服のまま泊まろうとする静雄に呆れ、溜息混じりに臨也が用意したものだった。
さすがにデパートの売り場で明らかにサイズ違いのものを買う気にはなれず、ネット通販したのだが、素材と色やデザインを吟味するのに数時間もかけてしまった記憶は、とうにシュレッダーに放り込んで粉砕してある。
だから、今覚えているのは、これを差し出した時の静雄の顔だけだ。あれは実に間抜けで良かったと思う。
「悪かった、不安にさせて」
耳元でそう言われて。
思わず眉をしかめ、反論しようと口を開いたが、何故か言葉が浮かんでこない。
代わりに零れたのは、短い言葉だった。
「……なんで」
それは、この半月の間、繰り返し繰り返し、心の中で呟いていた言葉だ。
───なんで、ソファーで寝るの。
───なんで、欲しがらないの。
───なんで、キスだけはするの。
───なんで、いつもは見透かしたようなことばかり言うくせに、俺の機嫌が悪いことに気付かないの。
そんな声に出せない問いばかりが頭の中を巡って、前回も今回も、静雄と同じ空間にいても何も楽しめなかった。
それどころか、一人でいる時さえ、或いは仕事の合間でさえ、そんなことが思い浮かんでしまう自分は、心底馬鹿だと思った。
だが、それ以上の馬鹿は、目の前に居る馬鹿だ。
今夜ばかりは、きっちりと説明させる。でなければ、ベッドには入れてやらない。
そんな風に心に固く誓っていると。
「お前に触りたくなかったわけじゃねぇよ」
不思議に穏やかな声で、静雄は告げた。
詫びた割には、殊勝でも申し訳無さそうでもない声に、臨也は内心、首をかしげる。
だが、その理由はすぐに分かった。
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