RAINY CITY 03
「ねえ、どうして俺が、こんなにも執拗に君を傷つけようとし続けてるのか、考えたことはなかった? なんでだろうって」
「……それは、」
「あるよね? 考えないはずがない。理由がないじゃ済まない年月と回数だ、俺が君を殺そうとし続けてきたのは」
もうどうでもいいと思いながら、臨也は言葉を紡ぎ出す。
頭が割れそうに痛んで、寒気が止まらない。
何もかも、もう、どうでもいい。
もう楽になりたい、と心の底から願いながら、静雄を見上げて、これまで溜めに溜めた言葉を吐き出す。
「俺はずっと苦しかった。今だって苦しい。苦しいから、君を消そうとしてるのに、君はどうやっても消えない。この世からも、俺の中からも。──俺はどうしたらいいんだよ、シズちゃん」
シズちゃん、と名を呼ぶと、涙が零れ落ちた。
静雄の前で泣くのは初めてだった。
泣くのはいつも一人きり、自分の部屋で。そう決めていたのに。
「君と出会って、もう八年以上だ。あと少しで九回目の春が来る。なのに、相変わらず君は俺の思い通りにはならない。傷付けることも苦しめることもできないのなら、いっそ忘れてしまいたいのに、それもできない。
傷付くのも苦しむのも、俺ばっかりだ。今までも、これからも。それなのに、君は俺にとどめすら刺してくれない。それじゃあ、俺はどうしたらいいんだよ」
睨みつけるように静雄を見つめる瞳から、ほろりほろりと涙が零れ落ちる。
またたく間に冷えてゆくそれを、拭う気にも隠す気にもなれなかった。
初めて、生の感情を剥き出しにしたまま、臨也は静雄と向き合う。
いつの間にか霧雨は降り止み、しっとりと冷えた初冬の空気が二人を包み込んでいる。その中で身動きすらせず、どれ程視線を結び合わせていたのか。
不意に静雄が動いた。
ゆっくりと右手が動いて、臨也の頬を伝い落ちる涙を拭う。
「シズちゃ……」
「手前の言葉は、さっぱり分かんねえ」
低い声が、静かに臨也の鼓膜を打った。
「でも、一つだけ、手前の言いたいことが分かったような気がする」
涙を拭い終えても、静雄の手は臨也の頬を包み込むように触れたまま、離れてゆかない。熱のせいで火照る頬に、本当なら温かいはずの静雄の手のひらは仄かに冷たく、ひどく心地良かった。
「言われてみれば、確かに俺は、今までお前とはきちんと向かい合ってなかったかもしれねえ」
一言一言、考えるようにゆっくりと静雄は言葉を紡ぐ。
「手前のやることなすことに反応せずにはいられねぇし、反吐が出るくらい嫌いだと思ってるけどよ、それだけだ。自分からお前にどうこうしようと思ったことは、多分、一度もねえ」
それが嫌だったのか、と静雄はぽつりと尋ねた。
「でもな、臨也。お前は俺の性格、分かってんだろ。お前みたいなノミ蟲、どうして俺が自分から関わろうと思うってんだ。手前と関われば関わるほど、俺はこの嫌いでたまらねえ自分の力と向き合わなきゃならないってのに」
そう言い、静雄は臨也に触れていない方の自分の手を広げて、見つめる。
そして、もう一度臨也と目を合わせた。
「手前、本当は馬鹿だろ。誰のことも都合のいいように操るくせに、なんで俺のことは扱い方を間違えるんだ。自分の方を向いて欲しいなら、そう言え。俺がそっぽを向きたくなるようなことばかりして、勝手に傷付いただの苦しいだの言うんじゃねえよ」
正論を口にされて、臨也は唇を噛み締める。
だが、そんな言葉を口にできるわけがないし、自分がそんな言葉を口にしたところで、どうして静雄が信じるだろう。
そもそも、出会いからして最悪だったのだ。
初対面の時、臨也は静雄の力を利用することしか考えておらず、下心丸出しで彼に近付いて、この上なく嫌悪された。その時点で、臨也の方向性は決まった。
やり方を間違えたと静雄は言うが、しかし、他にどうする方法があったのか。
こっちを向けと我武者羅に攻撃する以外、臨也は思い付けなかったし、他の方法を試したところで静雄は頭から疑い、拒絶以外の反応をしなかったに決まっている。
こんな風にしか自分たちはなれなかった。
それはもう、揺るぎのない確信だ。
「……俺が何言ったって、信じないくせに」
「手前が信じられるような真似をしたことが、これまで一度でもあるかよ」
「───…」
ない、と臨也は心の中で呟く。
信じて欲しいと思ったことなど一度もないのに、そんな真似をするわけがない。
じっと押し黙っていると、静雄は溜息をついて、臨也の頬に当てていた手を額へとずらした。
「熱、上がってきてんじゃねぇのか。さっきより熱い感じするぞ」
「この状況で下がるわけないだろ、シズちゃんじゃあるまいし」
憎まれ口を叩くと、静雄のこめかみがぴきりと引き攣る。
「……ったく、手前は、俺を怒らせたいのか怒らせたくねえのか、一体どっちなんだ」
「二者択一なら、怒らせたいに決まってるだろ、勿論」
「なんで決まってんだ」
「──普通なんて、面白くも何ともないじゃん」
たとえば、高校時代。
普通に朝夕挨拶して、ノートを見せ合う関係なんて望みもしなかった。
卒業して社会人になってからも同じだ。
ひたすらに自分の存在を、彼の中に刻み付けてやりたかった。
誰よりも強い彼を、世界で唯一自分だけが傷付け、血を流させたくて、いつも必死だった。
───結果としては、そのいずれも、何の意味もありはしなかったのだが。
「手前は一体、どこまで歪んでんだ」
大きな溜息混じりに、呆れられる。
だが、それは臨也にとっては褒め言葉だった。
「俺が歪んでなかったら、シズちゃんは俺に気付きもしなかっただろ。歪みまくった俺はシズちゃんが大嫌いで、自分の手でどうにかしたくてたまらなくて、そんな俺をシズちゃんは大嫌い。相性ぴったりじゃないか」
「どこがだよ。……ったく、暴れんなよ」
「へ?」
後半の台詞の意味が全く分からず、聞き返すと、答えよりも早く腕を掴まれ、体を反転させた静雄の背中に担ぎ上げられる。
「え、うわっ、シズちゃん!?」
「新羅んとこ行く。手前、さっきから言ってることが支離滅裂だぞ。薬もらって飲んで、寝ちまえ」
「そんなの自力で行けるよ! 下ろしてってば!」
「下りられるもんなら下りてみろ。ヘロヘロのくせに」
言いながら静雄は、成人男性を背負っているとは到底思えないごく普通の足取りで歩き続ける。両脚をがっちりと抱え込まれている状況では、逃げようにも逃げられないし、抵抗しようにも、そろそろ体が限界だった。
少しだけ悩んでから、肉体の欲求に素直になって静雄の背中に体を預ける。細身ではあっても、明らかに自分よりもずっと広い背中から、じわりと温もりが伝わってきて、臨也は細く溜息を吐き出した。
規則正しい揺れは急速に眠気を誘うが、頭痛に苛まれている頭には多少響いて辛い。
一言二言、自分らしく憎まれ口を叩きたかったが、言葉が何も浮かんでこず、代わりに瞼が重く下がってくる。
目の前にある首筋にそろそろと重い頭を預けると、雨に濡れた静雄の肌の匂いが、煙草の残り香と相まってふわりと嗅覚に届く。
目を閉じながら、シズちゃん、と心の中で呟いて、臨也はそのまま意識を手放した。
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