Day Dream -Precious Day- 02
「──もしもし、俺です」
『おう、どうだった?』
「やっぱり駄目っすね。熱が結構高いみたいで、完全に潰れてます。なんで、申し訳ないんすけど……」
『ああ、そんなこったろうと思ってたぜ。分かった。社長には俺から言っとくから、明日は休めよ』
「ありがとうございます」
心の底からそう告げると、電話口の向こうでトムは小さく笑った。
『なんか思い出しちまうなぁ。お前らが付き合うようになったきっかけも、こんな感じだったろ。もう一年以上前になるんだよな』
「──そう、ですね」
『最初聞いたときは、とうとう池袋滅亡かと思ったが、結構仲良くやってるみてぇだしな。良かったぜ、マジで』
「まあ……、でも、喧嘩はしょっちゅうなんすけど。あいつは、とにかく俺を怒らせる天才なんで……」
『でも、だからって相手に愛想尽かしたりとかはねぇんだろ? だったら、そりゃあただの痴話喧嘩で、喧嘩の内には入らねぇって』
「はあ」
『ま、とにかくお大事にってな。折角休むんだから、しっかり看病してやれよ』
「はい。じゃあ、すみませんでした。遅くに電話しちまって」
『いいってことよ。じゃあな』
「はい」
電話を切り、小さく溜息をついて静雄は携帯電話をポケットにしまう。
言われてみれば確かに、前回に有休を取ったのも一年余り前、臨也が熱を出して倒れたせいだった。
だが、あの夜のことがなければ、多分、今の自分たちもなかった。そういう意味では、とてつもなく大きな意味を持っていた一日ではある。
それからしばらくして、静雄と臨也は付き合い始めたのであり、更に数ヵ月が経過する頃までにトムや新羅、セルティに門田といった身内の面々にも、二人の関係は芋蔓式にバレた。
その点について、静雄は最初から気にしていなかったが、職業柄、保身に敏感な臨也は二人の関係をオープンにすることを嫌がっており、彼らにバレた時には結構な勢いで静雄に八つ当たりした。──バレた原因は、どちらかというと、わざわざ静雄の顔を見るために、仕事と称して頻繁に池袋にやってくる臨也の方にあったのだが。
もっとも、バレた全員が全員、語られるべきこととそうでないことをわきまえている連中だったために、現時点ではそれ以上には二人の関係は広まっていない。
そんな感じで、頻繁に喧嘩──俗に言う痴話喧嘩を繰り返しながらも、二人は既に一年近く、交際を続けていた。
それも多分、かなり甘ったるく、幸せに。
「粥じゃ味気ねぇし、卵雑炊にすっかな」
キッチンに立ち、行平鍋を下ろして少しだけ思案してから、静雄は水と出しパックを放り込んでコンロにかけ、煮立たせて出し汁を作る。
そして少し薄味に味付けから、臨也が目覚める少し前に炊き上がって、冷凍保存するために一食分ずつ小分けにしてあった米飯のうちの一つを鍋に投入した。
全体をざっと混ぜて、溶き卵をふんわりと流し、小口に切ったネギを散らす。
そして火を止め、大き目のトレイに行平鍋と茶碗にレンゲ、白湯の湯のみを載せて、二階へと戻った。
「起きてるか?」
「──うん…」
かろうじて返事は返ったものの、ベッドの上に転がったままの臨也は相変わらず辛そうだった。
「無理すんなよ。食っても、戻しちまったら意味ねぇんだからよ」
「大丈夫……胃がムカムカしてるわけじゃないから。死にそうにだるいし、頭も割れそうに痛いけどさ」
「……薬は一応、食後って指示だしな」
仕方ない、と静雄はサイドテーブルにトレイを置き、臨也の身体を支えて起き上がらせる。
そして、少し考えてから、自分がベッドの上に乗り上げて腰を下ろし、膝の上に臨也を抱え上げて、自分に寄りかからせた。
もちろん布団と毛布をも引き寄せて、寒くないように細い身体をくるむ。
「しんどいんだろ。こういう時くらい、大人しくしとけ」
小さく抵抗しかけた臨也の身体を軽く左手で抑え込んで、右手だけで行平鍋から茶碗に雑炊をよそい、レンゲと共に毛布の端から出ている臨也の手に持たせた。
すると諦めたのか、臨也はもそもそと食べ始める。
いつもに比べると、ひどくゆっくりではあったが、一口ずつ確実に咀嚼し、呑み込んでゆくのに静雄はほっと安堵した。
具合が悪くとも、食べられるのなら、大抵は大丈夫なものだ。静雄自身は物心付いてから寝込んだ経験はなかったが、弟は普通の体力の持ち主で、何年かに一度は風邪で寝付いていたから、その辺りのことは何となく見当がつく。
「──ねえ、シズちゃん」
「ん?」
「作ってもらっといて、アレだけど。全然、味しない」
「あー、お前、熱出すと味覚が無くなるタイプか」
「うん。特に塩味が分かんなくなる。なんか、米のえぐみ? 苦いみたいな感じしかしない」
「そりゃ仕方ねぇな。ちょっと薄味に作ったから、余計にそう感じるんだろ」
「そうなの?」
「ああ。幽がお前と逆で、熱出すとやたらと味覚が敏感になんだよ。何食ってもしょっぱいって言うもんだから、ついその感覚で作っちまった。悪かったな」
「……別に、いいけど。こういう状態だと、かなり濃く味付けされたって、多分、分かんないし」
「そうか」
宥めるように黒髪を撫でてやると、臨也は抵抗しなかった。
そして、時間を掛けて茶碗一杯分の卵雑炊を平らげる。
「ごめん、もう限界」
「十分だろ。こんだけ熱あって、これだけ食えたんなら上等だ」
米の量でいうのなら、茶碗に半分ほどだろう。だが、それでも大したものだと思えたから、素直にその根性を賞賛して、薬と白湯の湯呑みを手渡す。
臨也がそれを飲むのを見届けて、静雄は元通りにベッドに寝かせてやった。
肩まですっぽりと羽毛布団で覆ってやり、もう一度、冷水で絞ったタオルを額に載せてやる。
「とりあえず寝ちまえ。俺は風呂借りて入ってくるから」
「……帰れって言っただろ」
「帰れるわけねぇだろ。明日は仕事も休みもらったしな。ちゃんと傍にいてやるから、安心して拗ねてぐずってろ」
「はぁ? 休み? シズちゃん、何言ってんの?」
「いいんだよ、こういう時くらいしか、俺が有給を消化する機会なんてねぇんだし」
「余計なお世話だよ。とっとと帰って、明日も仕事行って」
「行かねえっての」
はいはい、とまた黒髪をかき回して、静雄はクローゼットに歩み寄り、自分用の引き出しからパジャマと下着の替えを取り出す。
そして、それを小脇に抱え、トレイを手に寝室を出た。
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