NOISE×MAZE
10:待ち合わせ

「──で? どうしてお客さんが増えてるのかな?」
 玄関先でにっこり営業用スマイルを浮かべる臨也に、静雄は肩をすくめた。
「仕方ねぇだろ、ちょうどタイミングが合っちまったんだ」
 そのぞんざいな返答に、ぷちりと臨也の中で何かが切れる。
「それならそれで連絡しなよ! 何のための携帯!?」
「だから、マンションの直ぐ前で会ったんだっつーの。だったら、直接言ったって時間差なんざ殆どないだろうが」
「でも、こっちの準備だってあるっての! スリッパだって一人分しか出してなかったし、グラスやお皿だって……!」
「んなもん、全部直ぐ出せるだろ。おら、そこをどきやがれ。いつまで玄関先で話しさせんだよ」
「──これだから、ジュラ紀から一ミリも進化してない奴は……っ」
「何だと!?」
「あーもういいよ! 入って入って。お二人さんもどうぞ。俺がムカついてるのはシズちゃんに対してだけですから、どうぞ遠慮なく!」
 開かれたドアの向こうに向かって、ヤケクソのように臨也は笑顔かつ、その爽やかによく透る声で呼びかける。
 その声に応じて、入ってきたのは。
「悪いな、突然に来ちまってよ」
「失礼します」
 それほど悪びれた様子もないドレッド眼鏡と、能面のような無表情の美青年アイドルという実に珍妙な組み合わせだった。

*      *

 話の発端は、今日の昼間に遡る。
 いつもの仕事中の休憩時間だった。
 静雄は早番の時は、トムやヴァローナと一緒に昼食を取る。夜番の時は、昼食が夕食に代わるだけで、この二人と家族よりも長く一緒に居ることには変わりない。
 そんな彼らと一緒にいつもと同じように昼食のラーメンを食べ、十五分ほど残った休憩時間を、公園のベンチで煙草を吸いながら──喫煙者ではないヴァローナは自販機やコンビニエンスストアで購入した飲み物や小さな甘味を口にしながら、過ごしているその最中。
 静雄は、そういえば、と上司に伝えなければならないことを思い出した。
「トムさん」
「ん?」
 声をかければ、大きくベンチの背によりかかっていたトムは、銜え煙草のまま静雄に目線を向ける。
 静雄もまた、煙草を手に持ったまま、続けた。
「言い忘れてたんすけど、俺、ちょっと引っ越すことになりまして」
「へえ」
 何故、とはトムは問いかけてこなかった。
 静雄は自宅であるアパートでは、割合平穏に生活しているが、それでも過去に数度、部屋を壊した等という理由での引っ越しを余儀なくされている。
 その辺りを慮ったのだろう、トムが訪ねたのは引っ越しの理由ではなく新しい住所だった。
「で? 新しいアパートはどこよ」
「あー、割と近くです。アパートじゃあないんですけど」
「アパートじゃねぇんなら、マンションか」
「はい。三丁目の角地にちょっと前、新しいマンションが立ったじゃないですか。一階にちょっと高いスーパーが入ってるとこで……」
「はぁ!?」
 素っ頓狂な声を上げて、トムが静雄を見つめる。
 思わず手から煙草が落ちたが、それに気付く様子もない。足元に転がったそれをつま先で踏み消し、拾って上司に差し出したのはヴァローナだった。
「吸殻を公共の場に廃棄するのは、迷惑千万と推察します。直ちに抹消して下さい」
「あ、おお」
 ヴァローナから吸殻を受け取り、携帯灰皿に片付ける。そしてトムは、改めて静雄に向き直った。
「静雄、あのマンションってオール分譲じゃなかったか?」
「そうなんすか」
「そうなんだよ。……一体どんな事情で、そういうことになった?」
 トムは慎重に問いかける。
 静雄が高級マンションに入居する、というのは異常事態だが、実のところ、全くの可能性がないわけではない。
 静雄自身は大して収入がなくとも、彼の弟は超のつく大金持ちだ。兄思いの弟が、静雄が何らかのアパートを追い出されたら、新たな住居を提供するくらいのことは有り得る。
 が、この論には難点があり、静雄は決して弟の金を頼りはしない、というのがそれだ。彼の性格上、どれほど困窮してもそれは有り得ない。
 静雄のことを良く知っているトムは、極短い時間にそれだけのことを思い巡らせたのだろう。ならばどういうことか、と窺う上司の前で、静雄はどう答えたものかと眉をしかめた。
「事情、はあるんすけど。どう言ったらいいのか……」
 しばらく言葉を探して考え込む。が、やはり適切な表現が浮かばない。
「あー、やっぱ駄目っすね」
 諦めの色の濃い溜息をつき、ちょっとすんません、と断って静雄は携帯電話を取り出した。
 手早くアドレス帳から一つの番号を選んで電話をかければ、相手はすぐに応答する。
『シズちゃん? どうしたの。電話してくるなんて初めてじゃない?』
「あー。俺だって別に好きでかけてるんじゃねぇよ」
 臨也の口調はさほど嫌味でもなかったが、なんでわざわざノミ蟲に電話をしなければならないのか、と苛立ちが湧いてくるのを静雄は感じる。
 だが、それを抑えて続けた。
「うちの話だけどな。やっぱ駄目だ。上手く説明できねえ」
『? 説明って、例の上司さんとか社長さんに?』
「そうだ。俺があのマンションに引っ越したってこと自体、普通に考えりゃおかしいだろ。その理由をどう説明すりゃいいのか分からねえ」
『……で? 俺に代わりに説明しろって?』
「違う。どんだけ口で説明したって、実際に見なきゃ混乱するだけだろ。だから今夜、うちにトムさんを連れてってもいいか」
 そう告げると、返ってきたのは思案しているような沈黙だった。
 そして待つこと五秒、静雄があと一秒待たされたらキレる、と思った時、
『いいよ』
 臨也が溜息交じりに答えた。
「いいのか?」
 自分で聞いておきながら、静雄は臨也の素直な返事に面食らう。
 臨也のことだから、盛大に文句を言うか、何かしらの条件をつけるかと身構えていたのだが、今回に限っては、どうやらそうではないらしい。
『うん。他の人なら許さないけど、あの人なら余計なことは口外しないだろうしね。仕事終わるの、七時だったよね?』
「ああ」
『じゃあ、仕事終わったら一緒に帰ってきて。俺もその前に帰って、あいつらに事情を説明しとくから。あ、夕飯はうちでどうぞって田中さんには伝えてよ』
「悪いな」
『これに限っては仕方ないだろ。俺も諦めてるよ。じゃあね』
「ああ」
 諦めてる、という臨也の言葉に内心、ひどく納得かつ共感しながら、静雄は携帯電話を下ろして通話を切り、電話をポケットにしまいながら上司に視線を戻す。
「すんません、トムさん。そういうわけで今夜、うちに来てもらっていいっすか。飯も出せると思うんで」
 そう告げると、トムは困惑し切った顔で静雄を見つめ、首を傾げた。



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