「悪い、全然事情が見えないんだが……。とりあえず、お前は訳ありで、今、あのマンションに誰かと同居してんだな? で、その訳は口では説明できねぇくらいややこしいと」
問題を綺麗にまとめてもらえたことに、静雄はほっとしてうなずく。
「そうです。うちに来てもらうのが迷惑なら、ここで事情を説明してもいいんですけど、ちょっとややこしいことになっちまってるのは確かなんで。迷惑をかけるつもりはないんすけど、できればトムさんにも承知してもらっといた方がいいと思うんで、来てもらえると嬉しいんすが……」
申し訳なさげに告げた静雄に、トムはじっと考えていたが、やがてうなずいた。
「分かった。どうせ今夜は何も予定ねぇしな。そんで、じっくり聞かせてくれ。その事情ってやつをよ」
「はい。ありがとうございます」
「いいっての。こんくれぇでいちいち頭下げんな」
トムがそう言い、笑った時、黙って事情を聴いていたヴァローナが首をかしげる。
「詳細が不明です。先輩は転居されたのですか?」
「あー、まあな。男所帯だから、ちょっとお前は呼んでやれねぇけど」
「へ? 男所帯なのか」
「はい。……俺と暮らそうって酔狂な女はいないですよ」
「そうなんか。あれ、でも飯が出るとか言ってなかったか」
「はい。俺もあいつも料理はできるんで。不自由はしてないです」
「あー、そっか。お前も独り暮らし長いもんな」
俺は全然ダメだわ、とぼやきながら、新たな煙草に火をつけるトムから、静雄はヴァローナに目を向ける。
そして、その頭をぽんと撫でた。
「悪ぃな。マジで俺も混乱するくらいややこしい話だからよ。お前を仲間外れにするつもりはねぇんだが、説明はちょっと保留させてくれ」
「……了解です」
しばらく上目づかいに静雄をじっと見つめていたヴァローナだが、やがてこくりとうなずく。
そんなヴァローナを見て、静雄も小さく笑んだ。
「よっしゃ、じゃあそろそろ午後の仕事に行くか」
「はい」
「新たな目標はいずれに所在しますか」
「大久保だな。学生さんだよ。親の脛かじりの身で出会い系のツケを二十万も溜めやがって」
「……学生だと取り立てに苦労しそうですね」
「まあ逆ギレくらいすっかもな。それでもやりようはあるさ」
そんな風にいつもの会話を交わしながら、三人は次のターゲットを目指して歩き始めた。
* *
「悪い、静雄。もう一遍言って……、いや、いい。とにかく、それはマジなんだな?」
「はい」
単に驚いたではすまない難しい顔でトムが問い質したのは、この日の仕事が終わり、静雄が暮らすマンションへと向かう路上でのことだった。
やはり何も話さないで、いきなり臨也やクローンと御対面というのは刺激が強過ぎるだろうと、静雄なりに考え、非常に大雑把に説明を口にしたのだ。
臨也と静雄のクローンが悪徳製薬会社によって生み出されていたこと、それらを引取って一緒に暮らすために共同生活を始めたこと。
端的な言葉で語ったのはその二点のみではあったが、案の定、トムの度肝を抜くには充分であったらしい。
「──よりによって、まあ……」
開いた口が塞がらないといった風情で、トムは溜息をつく。
「お前と、あの折原をどうこうだなんて、その製薬会社は頭がどうかしてんじゃねぇのか。池袋が滅亡するだけだろ」
「あー、その辺は、あいつらは俺や臨也とは全然性格が違うんですよ。津軽は俺みたいな力はないですし、サイケちょっとウザいくらいに人懐っこい素直な奴ですし」
「お前らのクローンなのにか?」
「はい。俺らも不思議なんすけどね」
「はー……」
もう一度感心とも呆れともつかない溜息をつき、トムは、ふと道の先に見えたコンビニエンスストアに目をとめた。
「あ、静雄。コンビニ寄ってっていいか? お前んち行くのに手土産くらいねぇと悪いだろ」
「そんなのいいですよ。俺が無理に誘ったんですし」
「いやいや、まあ礼儀としてな」
そんな風に笑って、トムはコンビニエンスストアに入り、こんなもんでいいか、とビールの六本パックを手に取る。
「折原はビール飲めるか?」
「あ、はい。結構好きみたいっすよ」
静雄はビールは飲まないため興味はないが、冷蔵庫には常に缶ビールが一、二本常備されている。食事時に臨也が飲んでいるところは見たことがないから、おそらく静雄がいない時か、部屋で一人で楽しんでいるのだろう。
その辺りは、静雄もピーチネクターやナタデココドリンクを見つけると、つい購入して冷蔵庫にしまってしまう癖があるため、どうこう言うつもりはない。
そして静雄の答えを聞いたトムは、さっさとレジに向かい、支払を済ませて二人は店の外に出た。
「しかし……、よくお前、折原と一緒に暮らせてるな。大丈夫なのか?」
また肩を並べてぶらぶらと歩きながら、トムが慎重に問いかけてくる。
「そうですね。まあ、何とかっつー感じで」
心配してくれる先輩に対し、静雄も言葉を探しつつ、ぽつりぽつりと答えた。
「時々キレそうにはなりますけど、あいつも俺を怒らせないようにはしてるみたいですし、津軽とサイケがストッパーになってくれてるんで、今んとこは大丈夫です」
「そうか」
大変そうだな、よくやってるなと言いたげな、しみじみとしたトムの相槌に、静雄は何となく心が温まるものを感じる。
同情されたいわけではないが、きちんと理解した上での思いやりは、いつも染みる。そういう相手が少ないだけに、トムに対しては余計に感謝の気持ちは深かった。
そして、他愛のない会話をしながらしばらく歩いた時。
ポケットの中で静雄の携帯電話が鳴った。
「ちょっとすんません」
歩きながら断って、携帯電話を取り出す。
そして二つ折りのそれを開き、そこに表示された名前に静雄は軽く目をみはってから、応答した。
「はい」
『あ、兄さん?』
「おう。どうした?」
珍しい、と静雄は携帯電話のスピーカーから聞こえる弟の声に耳を傾ける。
仲の良い弟ではあるが、その冷めた気性からか直接連絡をしてくることは、あまり多くない。どちらかというと用事がある時にのみ電話なりメールなりをしてくるのが常だ。
一体何事かと、つい内心で身構えた静雄の耳に、静かに落ち着いた幽の声が響いた。
『突然で悪いんだけど、肉、要らないかと思って』
「肉?」
『うん。今日ロケ先で、松坂牛を大量にもらったんだ。スタッフたちと分けたんだけど、まだ五kgくらいあって。兄さん、要らないかな』
「豪勢な話だな」
弟の話に素直に感心して、静雄は三秒ばかり思案する。
「そうだな。お前さえ良ければもらうぜ。取りに行きゃいいのか?」
『いや、今、車だから届けに行くよ。アパートに行けばいい?』
「あー、いや」
それよりも、と静雄は新しいマンションの住所を告げた。
どうせ、この弟にも引っ越したことは伝えなければならないのだ。ついでに今日ならば、トムもいるから五kgの肉を消化する人員にも不足はない。
「ちょっと色々あってな、つい最近引っ越したんだよ。事情は、口で説明するより見てもらった方が分かりやすいと思うからよ、時間があればちょっと寄っていってくれねぇか?」
『いいよ、今日はもう仕事は終わってるから。その住所なら五分くらいで着けると思う。確か、そのマンションと同じブロックに駐車場あったよね』
「ああ、ある。この時間帯なら空きはあると思うぜ。五分後なら俺もちょうど着く頃だから、マンションの前で会おう」
『分かった。じゃあ、また後で』
抑揚の無い声から一秒置いて、通話が切れる。
静雄もまた電話を切り、スラックスのポケットにしまって、黙って隣りを歩いていてくれたトムを振り返った。
「すみません、トムさん。ちょっと成り行きで幽も合流します」
「俺は構わんぜ。お前の弟に会うのも久しぶりだしな」
「あー、そうですね」
トムと幽の面識があったのは、それこそ静雄が中学生の頃だから十年も前の話である。
「あの頃から綺麗な顔してたけどな。まさかアイドルとはなぁ」
「俺も最初はどうかと思いましたけど、あいつの性には合ってるみたいですよ」
もともと芸能事務所のスカウトに遭ったのは、静雄の方だった。ずば抜けた長身と金髪が雑踏の中でも目立ったのだろう。
だが、スカウターのへらへらと軽い口調にキレて半殺しにしかけたところを、偶然通りかかった幽が止めたのが、彼の芸能界入りの発端だ。
きっかけが自分にあるだけに、今現在、弟が上手く芸能界に馴染んで活躍していてくれるのは、静雄にとって嬉しいと同時にほっとすることでもあった。
そんなわけで、じゃあ行くかと二人はそのままマンションに向かって歩き続けて。
五分後、大量の肉の入った発砲スチロール箱を提げた幽と合流し。
話は冒頭へと戻るのである。
NEXT >>
<< PREV
<< BACK