「……ねえ臨也」
二人のクローンについて考えを巡らせていた臨也に、ひとまず涙の止まったらしいサイケが、まだしょんぼりモードのまま呼びかける。
「何」
勿論のことながら、臨也は深くも考えずに返事をした。
臨也と同じ遺伝子をもっている以上、サイケは決して馬鹿ではない。
だが、臨也のような思考回路の使い方をしないサイケの言葉には裏はないし、意図的に臨也を困らせようとすることもない。
だから、また何を思いついたのやら、と言動の予測のつかない幼児に対するような気分で答えたのだが。
サイケは付けられたその通称の通り、サイケデリックだった。
「どうして臨也はシズちゃんと一緒に住まないの?」
「は……あ?」
サイケという名前が付けられた意味を、はっきり言って臨也はこの瞬間まで理解していなかった。
少し前に、どうして日本人のクローンに対して、そんな奇妙な通称が与えられたのか新羅に訪ねたことはあるのだが、返ってきた答えは「そりゃあ彼がサイケデリックだからだよ」という答えになっていない代物だった。
だが、今ははっきりその意味が分かる。
突拍子もない。
奇天烈。
確かにサイケデリックとしか言いようがない。
「シズちゃんがここに居てくれたら、津軽も一緒に居てくれるでしょ。そうしたら俺はいっつも津軽と一緒に居られるんだよ。どうして、臨也はシズちゃんと一緒に住まないの?」
サイケは、臨也と同じ造りの脳細胞を使っていないわけでは決してない。
使う方向が臨也と全く違うだけで、ある意味では二人の思考は非常によく似ている。
自分の欲望を満たしたいがために猛進することに疑問など持たない。その一点においては、二人は全く一緒なのだ。
しかし、と自分を棚上げして臨也は思わずにはいられなかった。
欲求に素直なのにも程がある、と。
「シズちゃんとなんて一緒に住めるわけないだろ!!」
思わず自制を忘れ、声を荒げて臨也は叫ぶ。
その剣幕にサイケは驚いて目を丸くしたが、それだけだった。泣き出しもせずに、心底不思議そうに首をかしげる。
「どうして? だってシズちゃん、電車が無くなっちゃったらいつも泊まってくし、御飯も一緒に食べてるでしょ。どうして一緒に暮らせないの?」
「たまに来て泊まるのと、一緒に暮らすのとは全然違うだろ!」
「違わないよ。先週だってシズちゃんと津軽、三回も泊まっていったよ? 一日おきとか二日続けてとかに泊まるのと一緒に暮らすのと、どれくらいの差があるの?」
「通いと同居じゃ、月と地球くらいの距離があるんだよ。暗くて深い、どうやっても越えられない溝があるんだ」
「ないよそんなの。全然」
「ある!」
「ないもん! 一緒にご飯食べて、同じ屋根の下で寝るだけじゃない。シズちゃんが、行ってきますってお仕事に行って、ただいまーってここに帰ってくるだけじゃない!」
「その『だけ』が大問題なんだよ!!」
毎日毎日朝夕、休日は朝から晩まで、どちらかが出かけない限り一緒。
想像するだけで虫酸(むしず)が走る。
絶対に、何があっても、恒久的に、永遠に、無理だった。
「シズちゃんとなんて、死んだってお断りだ」
「そんなの変だよ。一番最初にシズちゃんにご飯作ってあげて、泊まっていけばって言ったの、臨也じゃないか」
「あーそうだね、そうだったね。俺の一生の過ちだ。黒歴史だよ、認めてもいい」
むしろ過去の俺を呪い殺す。そんな気分で臨也は投げやりに言い捨てる。
そして、サイケは臨也のそんな内心を感じ取ったらしい。
「……もういいよ、臨也の馬鹿!!」
むくれて、つんとそっぽを向き、すたすたとソファーに歩み寄っていって、ソファーの隅っこで足を抱えてうずくまる。サイケお得意の、拗ね拗ねポーズだ。
横目でその様子を見ながら、勝手に拗ねてろ、と臨也は心の中で呟く。
平和島静雄と一緒に暮らす?
死んだって御免だった。
* *
「ねえねえシズちゃん」
その夜、静雄が津軽と共に臨也のマンションを訪れたのは、いつもより早い午後八時半前だった。
夕食は食べずに来たという二人に、同じくまだ食事を済ませていなかった臨也は渋々四人分を作り──勿論、静雄にも手伝わせながら。料理ができると分かった以上、ただ座らせておいてはやらない──、一同に食べさせる。
そうして食後のお茶を飲んでいる最中に、サイケの冒頭のセリフは発せられた。
「おい、サイケ」
サイケが何を言おうとしているのか。そんなものは予知の才能などなくても想像がつく。
いささか焦って名を呼んだ臨也など綺麗に無視して、サイケは言葉を続けた。
「どうしてシズちゃんは、ここで一緒に住まないの?」
「は……あ?」
サイケの爆弾発言に対する静雄の反応は、非常にムカつく一方で安心することながら、昼間の臨也と全く同じだった。
しかし、他の誰かに言われたのなら、ほぼ漏れなくキレるだろう静雄も、『子供』かつ『身内』のカテゴリーに入るサイケに対しては沸点が高い。
いっそブチ切れて、サイケを心底怯えさせて出入り禁止になればいいのに、という臨也の心情などまるで気付かない様子で、静雄は眉をしかめたまま首をかしげた。
「何だ、いきなり」
「あのね、俺の携帯、壊れちゃったでしょ? 原因は電話のし過ぎなんだって」
「ああ、らしいな。津軽から聞いた」
「それでね、新しいのは買ってもらったけど、またすぐに壊れちゃうと思うの。俺、どうしても津軽と繋がっていたいし。最初のうちは割と平気だったけど、津軽のことどんどん好きになるから、電話切るのもどんどん寂しくなってきて、今は夜寝る前に電話を切るのがすっごく悲しいんだよ」
「あー、まあ、そんなもんかな」
「うん。でもそんな風にずーっと電話してたら、また携帯がすぐに壊れちゃうかもでしょ? そういうの勿体ないし、俺も悲しいし。だからね、考えたの」
「……津軽と一緒に暮らせば、携帯は壊れねえってか」
「うん。なのにね、臨也はダメだって言うの。シズちゃんもダメって言う……?」
うるっと大きな目を潤ませて、サイケは雨に濡れた捨て子猫のような風情で、テーブル越しに静雄を見上げる。
ちょっと待てそれは反則技だぞ!、と臨也が心の中の声を上げるまでもなく、静雄ははっきりと困った顔になった。
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