NOISE×MAZE
004:微笑むその姿が

 この状況をどう評したらいいのだろう。
 爽やかな朝だった。空にはわずかな雲が浮かぶばかりで、すっきりと晴れた空が窓の外には広がっている。
 超高層マンションの最上階であるこの部屋の見晴らしは最高で、こんな風に天気がいいと本当に気分がいい。
 それなのに、その朝の光の中。
 ダイニングキッチンで朝食を作っているのは、何故か、金髪バーテン服なのだ。

 黒無地コットンのエプロンを着け、手際よく葱を刻み、アジの干物の焼き加減を確認する。
 いかにも手馴れた様子で朝食を作るその後姿は、背が高く足も長くスタイルが良過ぎるが、まるっきり日本のお母さんだ。
 一体これは何なんだ、と臨也は頭痛を覚えずにはいられなかった。

「……おはよ、シズちゃん」
「おう」
 臨也が声をかけると、別に愛想がいいわけではないが普通に返事が返ってくる。
 そのことからしておかしかった。
 高校入学直後に知り合って以来、自分たちは顔を合わせる毎に殺し合いを始める関係だったはずだ。以来、八年。こんな和やかな朝を迎えることがあるとは、一体誰が想像しただろう。
 だが、現実に静雄は、黙々と四人分の朝食を作り続ける。
 昨夜のうちに下ごしらえしておいた切り干し大根の煮付けに、味噌汁に、アジの干物。箸休めを兼ねた御飯の共に、明太子と昆布の佃煮。
 なんだコレは。
 何か間違ってないか。
 だが、最大の間違いは、静雄がこの家で朝食を作るのは、これが既に10回目を超えている、という事実だった。

「おい、そろそろ出来上がるから、二人を起こしてきてくれ」
「分かった」
 ぼんやりと後姿を眺めていたら、そんな風に声がかけられる。
 反論するほどのことでもないから、臨也は言われるままに二階へ続く階段を昇り、図ったように四つあるドアを眺めて溜息をついた。
 右手側の二間のうち奥側は、以前から臨也の寝室だった。そして、少し前から手前の部屋がサイケの寝室になった。
 残る左手側の二つは完全な空き部屋だったのに、今は奥側が静雄専用と化した客間、手前が津軽専用と化した客間だ。
 何かが完璧に間違っている。
 そう思いながら、臨也は津軽の部屋をノックした。
「津軽、起きてるー?」
「あ、はい」
 ドア越しにすぐ返事があって、二秒後にドアが開かれる。
「おはようございます」
 姿を現した津軽は、既に身支度を整えていた。いつもながらの銀鼠色の着流しは、オリジナルと瓜二つの端整な外見に良く映えている。
「そろそろ朝御飯だから、サイケを起こして下に来て」
「はい。すぐに行きます」
 臨也の言葉にこくりとうなずき、津軽は素直にサイケの部屋に向かう。

 臨也に似て低血圧のサイケは朝に弱く、簡単には起きない。
 臨也も暇ではないため、普段は起きるまで放っておくのだが、静雄と津軽が来ている朝は、静雄が朝食は揃って取るのが当然と思っている節があるため、臨也もスケジュールに関係なくまともな時間に起床して、サイケも津軽に起こさせるのが習慣となりつつある。
 おそらくサイケは、今朝も津軽に散々甘えてむずかりながら目を覚ますのだろう。
 サイケの寝起きのぼんやりした様は、本当に自分のクローンかと疑うほどに子供っぽくて可愛らしいのだが、その可愛らしさ全開で津軽に甘えている様子を目にする気分は、正直、溜息ものだった。
 何でこんなことになったんだか、と思いながら、臨也は階下に下りる。
 そして、そろそろ配膳を終えようとしている静雄の隣りに立ち、コーヒーを入れるためのケトルをコンロにかけた。

「ねえ、シズちゃん」
「ん?」
「あの二人にさ、携帯電話を持たせようかと思ってるんだけど」
 コーヒー豆とミルを棚から下ろしながら背中越しに告げる。
「──なんでだ」
「んー、便利だから、かな」
 和朝食の後にコーヒーというのもおかしいが、朝は飲まないとどうにも目が覚めた気がしないのだ。
 そして、それには静雄も文句を言わず、つきあってくれる。
 ただし、彼を含めた他三人は、カフェオレといえば体裁良く聞こえる、どちらかというと牛乳の方が多いコーヒー牛乳だったが。
「毎日じゃないにせよ、仕事の後に津軽を連れてくるのも大変だろ。昨夜みたいに、あいつらがイチャイチャしてるせいで終電を逃しちゃうことも多いし。だから、携帯を持たせれば、わざわざ時間のない日にうちまで来る暇が軽減できるかなって」
 ごりごりとミルでコーヒー豆を挽きながら、臨也は理由を説明した。
「サイケも、津軽が居なくなるとすぐに寂しがるしね。でも、いつでも電話で声を聞けるのなら、べそをかく回数も減ると思うし」
「──まあ、確かにな。俺も昼間、うちにアパートに一人きりで津軽を放っておくのは気になってた」
「本当は、うちで津軽を預かれればいいんだけどね」

 最初は、そういう案もあったのだ。
 だが、どういうわけか、クローンはオリジナルと離れることを極端に嫌がるのである。半日くらいならいいが、丸1日以上、オリジナルとの接触がないと精神的に不安定になるのだ。
 口数が少なくなり、見るからに表情から生気が失せる。
 最初に試した時は、サイケが何をどう言おうと、静雄が姿を現すまで津軽の鬱状態は解消しなかった。
 その原因を新羅に尋ねたところ、それはおそらく、クローンズの精神年齢が幼いからだろうという診断が下った。
 外見はどうあれ、サイケも津軽もこの世に生を受けてから、まだ四年と少しである。その上、ラボを出た今、庇護してくれる人間はオリジナルしか知らない。
 つまり、幼児が親の姿を追い求めるようにオリジナルを求めるのだろう、という説明に、臨也は深く納得した。
 その結果、仕事の後やオフ日に、静雄が津軽を連れてこのマンションを訪れるようになったのである。

「津軽は君なしじゃ駄目だし、うちには俺のお客も来る。絶対に仕事部屋の応接間以外には立ち入らせないけど、このマンションの所在が知れているのは確かだし。本当はサイケも置いておきたくないくらいなんだから、津軽なら尚更、責任が取れない」
「──手前の口から責任なんて言葉を聞くなんざ、妙な気分だな」
「君に対してならね、口が裂けたって言わないよ。君だけじゃなくて、他の誰に対しても。俺は自分の手がける仕事以外には何の責任も取らない。……でも、あの子達だけは別」
「……妹たちも、だろ」

 不意にそう言われて。
 臨也は思わず、静雄を振り返った。
 こちらを真っ直ぐに見つめていた静雄は、揶揄するでもなく、ごく自然な温かみのある表情を浮かべていて。

「お前にとって、サイケはあの二人と同じ『身内』になっちまったんだろ。分かるぜ、俺もそうだからな」
 そう言い、静雄はふっと笑った。
「俺は幽に何かあったらキレるし、津軽が泣くようなこともしたくない。お前もだろ。津軽に何かあれば、サイケが泣く。そうなるのは避けたいんだろ」
「──シズちゃんのくせに分かったようなこと言って」
「違うって言うんなら、反論してみろよ」
 今度は、ふふんと笑われる。
 そして静雄は、ふと気付いたように着けたままだったエプロンを外しながら言った。
「ま、いいんじゃねえ? 携帯ってのは悪い案じゃないだろ」
「うん。シズちゃんさえOKなら、電話代は俺持ちで構わないからさ。どうせ俺名義で契約するから」
「そりゃ助かる」
「じゃあ、早速今日、用意するから、夜にまた来てよ」
「おう」
 そうして話が纏まったところに、ちょうどよくサイケと津軽が下りてくる。

「臨也、シズちゃん、おはよー」
「……おはよう、静雄」
「おう」
「おはよう、サイケ」

 まるで家族のように朝の挨拶を交わして、テーブルのそれぞれの席に着き、いただきますと手を合わせる。
 それは実に奇妙な、だが極ありふれた朝の光景だった。

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