「あなたも迂遠なことをしているわね」
不意に波江にそう言われたのは、2台の携帯電話を新たに契約して持ち帰ってきた後だった。
携帯電話の使い方は、夜に2人まとめて教えればいいと、ひとまず仕事部屋に戻った途端、波江はファイルを整理する手を止めずに言った。
「携帯電話なんか買うより、一緒に暮らした方がよっぽど早いんじゃないの」
「……一緒に、って、まさかシズちゃんと暮らせと言ってるんじゃないだろうね?」
「そのまさかよ」
当たり前のことのように、波江は言い放った。
「今現在でも、殆ど半同棲じゃない。それを同棲にするのに何の問題があるわけ?」
「ありまくりだろ。それ以前に同棲じゃない。ちょっと家に泊めてやってるだけだ」
「いい歳してプラトニックだなんて、何やってるのよ」
「よしてくれ、プラトニックもフィジカルもない。俺はシズちゃんにそういう感情を抱いたことは一度もない」
あの静雄と、今以上に距離を近づける。
想像しただけで、ぞっと鳥肌が立って、慌てて臨也はその光景を脳裏から振り払う。
「あら、てっきりあなたは、あのバーテン服を愛してるんだと思ってたけど」
「はあ!?」
思わず臨也は耳を疑って、振り返った。
だが、波江は涼しい顔で続ける。
「だって、世界中の人間を愛しているのに一人だけは絶対愛せないなんて、その一人だけは個体として意識せずにいられないってことじゃないの。それと愛とどう違うの? 少なくとも私は、世界中で唯一人、誠二しか個体として認識してないわよ」
「それは君だけに通用する極論だろう。俺に当てはめるのは止めてくれ」
かなり本気で嫌悪を込めて、臨也は波江に反論した。
彼女は性格に問題ありまくりだが、優秀な助手には違いない。こんなくだらないことで諍(いさか)いはしたくなかった。
「とにかく、あの化け物を俺がどうこう思うことはないし、一緒に暮らすのも論外だ。二度と言わないでくれ」
「──分かったわ」
少しばかり語気を強めて言うと、波江はあっさりと興味をなくしたようにうなずいた。
もともと弟以外は認識する気のない彼女である。雇い主のことでさえ、本音では生きようと死のうと関係ないのだろう。
ましてや、雇い主が誰を愛するかという問題など、明日雨が降るかどうかという情報に比べても塵芥ほどに軽いに違いない。
にしても、臨也と静雄がどうこうという発想が一体どこから出てくるのか。
──絶対無理。有り得ない。
ぞわりと背筋に鳥肌が立つのを、頭を振って振り払い、臨也は自分のパソコンに向き直った。
* *
「だから、このボタンを押せば電話が繋がって、こっちを押せば切れる。分かった?」
「うん」
「……大丈夫だと思う」
サイケには華やかなアザレアピンクのメタリック、津軽には深みのあるミッドナイトブルーのメタリック。
臨也が二人のために選んだのは、メールと通話という最低限の機能しかない子供向けの携帯電話だった。それ以上の機能は、恐ろしくてとても付けられないというのが本音である。
とにかく、このクローンズは頭の中が子供なのだ。余計な情報などシャットアウトするに限る。
「じゃあ、今から俺が電話をかけるから。まず津軽からね」
二人の番号は、既に臨也の携帯電話には登録してあるし、二人の携帯電話にも臨也と静雄の番号は登録済みだ。
もちろん静雄の番号は無断でだが、構った話ではない。
そうして発信すると、約一秒のタイムラグを置いて、津軽の携帯が鳴る。
津軽は驚いたように目を瞠り、だが、すぐにおそるおそる通話ボタンを押した。
『──はい』
生とスピーカーからのステレオ放送で津軽の声が聞こえてくる。
「OK。いいよ、津軽。じゃあ電話を切ってみて」
そう言うと、津軽は電話を耳から離し、じっと操作盤を見つめて電源ボタンを押した。
隣りでは、サイケがすごいすごいと目を輝かせて興奮している。
「はい、できたね。じゃあ今度はサイケの番だよ。シズちゃん、かけてあげて」
「は? なんで俺が」
「練習だよ練習。ほら、サイケの番号言うから」
静雄だけを傍観者にしておくつもりはなく、そう言うと、静雄は眉をしかめながらも自分の携帯電話を取り出し、臨也が言う通りの番号を打ち込んだ。
そして、今度はサイケの携帯電話が鳴ると、サイケは嬉々として通話ボタンを押す。
『はいはい、サイケです♪ シズちゃんですか?』
「おう。何かあったら、こうやってすぐかけてこいよ」
『うん』
楽しげに話し、じゃあねバイバイ、とサイケは通話を切った。
その動作の迷いのなさに、臨也は感心する。
どうやらサイケの幼さは言動のみで、道具に対する順応性や器用さは、臨也が潜在的に有していたものと同じものを持っているらしい。
これなら、教えればパソコンはすぐに使えるようになりそうだな、と思案する。
まだ早いが、そのうち玩具として、インターネットに接続していないパソコンを与えてもいいかもしれない。津軽と会えない時間も、きっとそれで紛れるだろう。
そんな風に思いながら、臨也は今度は二人に、電話をかけさせる練習をする。
そして静雄にも電話をさせると、「なんで勝手に俺の番号を登録してんだ」と臨也に向かって文句を言いながら、静雄は二人の番号を自分の携帯電話に登録した。
その静雄が携帯電話を操作する様子を、何となしに眺めながら、こういう日常作業は普通にできるのだな、と改めて思う。
臨也の観察と新羅の診断に寄れば、静雄の怪力は火事場の馬鹿力と同種のもので、彼の感情がリミッターを超えた時しか発揮されない。
普段は、通常の人間と同じく無意識に制御されているらしい。
ただ、彼の感情のリミッターは極端に外れやすく、また、筋肉及び骨格といった身体能力そのものが尋常ではない。
そして、その尋常でない身体能力と野性の本能とも言うべき勘の良さで、静雄は臨也が何かを仕掛けるたびに、ことごとくそれを跳ね返し、臨也の計画を幾つも台無しにしてきた。
だから、彼は『化け物』なのだ。
身体能力云々は、本当のところは彼を挑発し、侮辱するための後付けの理由であって、臨也の手のひらで踊らない唯一の存在だからこそ、静雄は臨也が愛する人間のカテゴリーには決して含まれないのである。
──そう、たとえ、どんなに彼が人間らしく振舞い、人間らしく笑ったとしても。
臨也の視線の先で、静雄は無邪気に話しかけるサイケに笑い返し、その手を上げて、サイケのやわらかな黒髪をくしゃくしゃと撫でる。
そうされているサイケは、とても嬉しそうだった。臨也がそうする時と同じように、気持ち良さそうに目を細めている。
そしてサイケが津軽を振り向き、笑いかけて何か言うと、津軽も微笑んでサイケに言葉を返し、そして同じようにやわらかな表情で静雄を見上げた。
そんな津軽を、静雄は同じようにその大きな手で撫でる。
それから静雄は、視線に気付いて臨也にまなざしを向けた。
「何だ?」
サングラスを外した明るい色の瞳が、敵意も害意もなく、温かな微笑の名残を残して臨也を見つめる。
臨也は、自分が今、どんな目をしているのか想像がつかず、さりげなく微笑んで目線を壁の時計へと逸らした。
「そろそろ出ないと、終電がなくなるよ」
「ああ、もうそんな時間か」
気付いたように時計を見上げ、静雄は津軽を見やった。
「そろそろ帰るか」
「──ああ」
促すと、津軽は名残惜しげにサイケを見やる。
サイケはためらいなく両腕を伸ばして津軽に抱きつき、津軽もサイケを抱き返した。
「帰ったら電話してね」
「する。明日も朝になったらかけるから」
「うん、待ってる。待ち切れなかったら、俺からかけちゃうかも」
「それでもいい」
そんな風に甘くささやき合い、互いの頬に可愛らしくお休みのキスをして、やっと二人は離れる。
こういう状況になって、早一ヶ月。
臨也も静雄も、とっくに何かを言う気を失くして、横目で見やりながら二人の挨拶が終わるのを待っていた。
そうしてようやく一同は立ち上がり、臨也はサイケと共に二人を玄関まで見送る。
「じゃあな」
「また来てね、津軽、シズちゃん」
小首をかしげてそう告げるサイケに、静雄は微笑んで、髪をくしゃりと撫でる。
それから、まなざしを上げて臨也を見た。
「邪魔したな」
「──ううん。またね」
「ああ」
そして、行くぞ、と津軽を促して静雄は出て行く。
パタン、と小さな音を立てて、ドアが閉まり。
「……帰っちゃったね」
寂しげに呟くサイケの頭に、臨也はぽんと手を載せた。
「またすぐに来るよ。電話もあるんだし。──とりあえず風呂入って、寝る用意するよ」
「うん」
臨也を見上げ、嬉しげにサイケは微笑む。
──津軽が居ないのは寂しいけど、臨也が居るから大丈夫。
そんな風にサイケが思っているのが伝わり、臨也はもう一度、サイケの頭を撫でてリビングに戻ろうと促す。
今頃は、静雄もこんな風に恋人と離れた津軽を慰めているのだろうか。
ちらりとそう思い、すぐにその思いを振り払った。
to be contineud...
長男コンビの静臨。
お兄ちゃん気質の男の人、好きです。
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