はいどうぞ、と静雄に言い置いて、臨也は二人分のオニオングラタンスープをリビングに持って行く。
 クローンの二人は、今はソファーに腰を下ろしていた。
 否、その表現には語弊がある。ソファーに腰を下ろした津軽の膝の上に、サイケが横抱きにされて、仔コアラのように津軽にしがみつきながら座っていた。
「落ち着いたみたいだね、サイケ」
「臨也……」
「あーあ、目が真っ赤。後で冷たいおしぼり持ってきてあげるから、先にこれ食べて。二人とも、今日はあんまり食事してないだろ」
「……俺も、ですか?」
 ためらいがちに問われた声に、臨也は、おや、と思う。
 見ると、サイケを抱えたままの津軽が、少し戸惑ったように臨也を見上げていた。
 こうして眺めると、サイケと同様に現在の静雄よりも幾分顔立ちは若い。ちょうど自分たちが出会った頃の外見年齢だろう。
 そういえば、静雄と並ぶと明らかに身長も低かったと思い出す。
「君もだよ、津軽。大丈夫、シズちゃんはあっちで、この何倍も食べてるから」
「──ありがとうございます」
 この声では初めて聞いた気のする礼の言葉に、臨也は小さく笑った。
 同じ顔でも、サイケが臨也と全く違うように、津軽は静雄とは全く違うらしい。
「どういたしまして」
 ゆっくりすればいいよ、とひらひらと手のひらを振って、ダイニングキッチンに戻る。
 と、静雄はまだ料理に手をつけておらず、臨也が戻るのを待っていたようだった。

「どうしたの? 毒なんて入れてないよ」
「違ぇよ」
「じゃあ、なんで」
「作ってくれた奴がいるんなら、ちゃんといただきますを言ってからじゃねえと悪いだろ」
「───は、あ?」
 思わず臨也は呆(ほう)ける。が、構わずに静雄は、両手を合わせて、礼儀正しくいただきますと告げた。
「美味い」
 湯気を立てる熱々のパスタを口に運び、きちんと咀嚼して呑み込んでから、感動交じりの声でそう呟くものだから、臨也としてもどう反応すれば良いのか分からない。
「あ、そう」
 それは良かった、と口の中でもぞもぞ呟きながら、自分の分の冷水を注いだグラスを手に取る。
 何というか、変な感じだった。
 深夜の自分の家で、静雄が自分の作った夕食を食べている。それも至極美味そうに。
 どう表現すればよいのだろう。この奇妙さ、不自然さを。
 軽く途方に暮れながら、静雄が皿の上の料理を見る見るうちに減らしてゆくのを見守る。
 そして、意外なほどに静雄の食事の仕方が綺麗なことに気づいた。
 食べるのは早いが、いっぱいに頬張ったりもしないし、余計な物音も立てないし、無闇に皿の端を汚したりもしない。丸呑みせずに、きちんと味わって食べている。
「……意外」
「? 何がだ」
 口の中のものを呑み込んでからの応答のために、普段の会話に比べるとわずかにタイムラグが生じる。それもまた新鮮だった。
「シズちゃんて、食べ方綺麗」
「は? 普通だろ」
「うん、当たり前のことなんだけど」
 それができない人間が、現代ではあまりにも多い。
 若者は勿論のこと、年配者でも最低限の食事マナーがなっていない人間は、掃いて捨てるほどに居る。むしろ、綺麗に食事する人間の方が稀少だ。
「そっかー。シズちゃんて、ちゃんとした家の子なんだね。情報としては知ってたけど、初めて分かった気がする」
「──それを言うんなら、俺はお前が料理できることの方が驚きだけどな」
「なんで? 俺ができなかったら、うちの妹たちは成長期にコンビニ弁当漬けで栄養失調になってたよ」
「はあ?」
「そっか、シズちゃん知らなかったんだ? うちの母親は、俺が中学卒業すると同時に海外赴任してた父親のところに行っちゃってさ。高校三年間、うちの家事はずっと俺の担当だったんだよ」
 意外だとばかりに静雄の目がまばたきする。
 その害意のない表情に、知らず、臨也も普通の顔で微笑した。
「俺がちょうど中学を卒業する頃に、海外赴任してた父親が現地で体調を崩してさ。大した病気じゃなかったんだけど、原因は不規則な生活と食事で、母親は自分が面倒を見るしかないと思ったみたい。幸い、俺は器用で家の中のことは一通りできたしね。
 妹たちはまだ小さかったし、母親も心配だっただろうけど、父親の看病しなきゃならないのに双子のチビを連れて行くのは無謀だしね。
 そんなわけで、高校の三年間は俺が家のことをやって、妹たちも育てたんだよ。──まあ、そのせいもあって妹たちが妙な方向へ曲がったことは否めないんだけどね……」

 今の妹たちの有様は一体何が悪かったのやら、と考えると、自分の存在全てが悪いという結論に達してしまうため、臨也は思考の方向を捻じ曲げる。
 そして、静雄が食事を殆ど終えていることに気付いて、立ち上がった。
「コーヒー、お茶、何でも出るけど、何がいい?」
「……何でもいい」
「そう? じゃあ日本茶ね」
 イタリアンの食後ではあるが、臨也の今の気分はそうだった。
 ほうじ茶と緑茶、少し迷ってから、緑茶を丁寧に入れる。
 そして二人分の湯呑みをテーブルに置き、あと二人分の湯呑みをリビングに持っていった。

「あれ、サイケ寝ちゃった?」
「はい……」
 見ると、ソファーの上で先程と同じ体勢のまま、サイケはぴったりと津軽に寄り添って眠っている。
「重くない?」
「軽いです」
「そう」
 恋焦がれた津軽にやっと会えて安心したところに、熱いスープを飲んで心身ともに緊張が緩んだのだろう。
 昨夜は眠りも浅かったはずだから、恋人の温かな腕の中で眠ってしまうのも仕方がない。
「じゃあ、あとで寝室を教えるから、ベッドに運んであげて」
「はい」
 眠ってしまったサイケを離そうとしない津軽も、きっと気分的にはサイケと同じなのだろう。
 静雄と同じ顔をした生き物ではあるが、これはオリジナルと違って素直だし、中々けなげで可愛いじゃないか、と臨也は相手の存在を認める気分になった。
「君も泊まっていくといいよ。そろそろ終電もなくなるし」
「……いいんですか?」
「いいよ。部屋余ってるしね」
「……ありがとうございます」
 ぺこりとぎこちなく頭を下げる津軽に、気にしないでと笑って、臨也はダイニングキッチンに戻る。
 すると、待ち構えていたような静雄と目が合った。

「何?」
「あ……、いや、飯、美味かった」
「ああ、うん。お粗末様」
「いや粗末じゃねえだろ、これ」
「でも大して手をかけてないしね。料理作るのは、気分転換になって嫌いじゃないし」
「あー、そりゃそうかもな」
「あれ、シズちゃんも料理するの?」
「おう。外食ばっかじゃ金がもたねえしな。──それより、さっきお前、津軽に泊まってけとか言ってなかったか」
「うん、言ったよ」
 それがどうかしたか、と臨也はうなずいた。
「シズちゃん一人なら、終電無くなっても歩いて帰れって言うけどね。今日は来てもらった方だし、大マケにマケて、シズちゃんもいいよ。ベッドも二つ、空いてるから」
「……本気で言ってんだな?」
「勿論。嫌なら帰っていいよ」
「……いいや」
 手前んちに泊まるなんざ妙な気分だけどな、と静雄は申し出を突っぱねなかった。

「じゃあ、二人分のホテル代代わりに明日の朝飯は、俺が作ってやるよ」

「は、え? ええ?」
「んな驚くことかよ。言っとくけど、俺にできんのは味噌汁とか煮物とか卵焼きとか、普通のおばんざいだけだからな」
「え、いや、十分だけど」
「あ、けど、魚焼くのは上手いぜ」
 ふっと無邪気に自慢するような笑みを向けられて、心底臨也は戸惑う。
 思わず、「じゃあ楽しみにしてるよ」と何の嫌味もなしに、素直に口走ってしまったのは、おそらくその笑顔のせいの何かの気の迷いだった。

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餌付け編。
料理上手な男性、好きです。

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