池のほとりに天敵の姿を認めて、思わず目が点になる。
 人がいるのは分かっていたが、それが静雄だと遠目に気付かなかったのは、彼がトレードマークのバーテン服を着ていなかったせいだ。
 サングラスもなく素顔のままで、白地に青いストライプのシャツと程よく色の抜けたジーパンは、驚くほどシンプルかつ爽やかに静雄のモデル体型を引き立てている。
 が、今はそんなことは問題ではない。

「何で、こんなとこにシズちゃんがいるんだよ」
 言いながら、そういえばシズちゃんの心の癒しは、小川のせせらぎとか何とか昔、言っていたような、と臨也はカビの生えた高校時代の情報を脳裏に蘇らせる。
 だが、小川を愛する森ボーイとはいえ、どうしてよりによって今、ここに居るのか。せっかく、極力顔見知りが居ない場所を選んだつもりなのに。
 だが、静雄の方も、臨也の登場を歓迎する気は微塵もないのだろう。
「手前こそ、何でこんなとこに居やがる」
 池袋の街で遭った時と同様、険悪に顔をしかめ、サングラスをかけていない素の瞳で睨みつけてくる。
 ぴしぴしとこめかみに青筋が浮かんでゆく、その音さえ聞こえそうな気がして。
「そりゃあ、用事があるからに決まってるだろ」
 じりじりと間合いを計りながら、臨也は右手の袖に仕込んであるナイフの感触を確かめた。──何も問題はない、一振りすれば即、手の中にナイフの柄は納まる。
 自然公園という地形上、パルクールの技術は使えないが、植物という遮蔽物は多い。その辺りの小道に逃げ込んでしまえば、まず、そのまま逃走できるだろう。
 ──ああ、でも駄目だ。今日はサイケが居る。サイケを何とかしないと。
 ふと、同行者の存在を思い出し、内心で舌打ちする。
 そして、

「──へ?」

 ちらりとサイケが居るはずの方角へ、まなざしを向けた臨也は、思わずフリーズした。
 そこに静雄の拳がうなりを上げて飛んできたために、慌てて我に返り、避ける。が、髪がわずかにかすったらしく、ちっっと空気を切る鋭い音が鳴る。
「ちょ、ちょっと待った! シズちゃんストップ!!」
「往生際が悪ィぞ、ノミ蟲!!」
「いや俺の大往生は、まだまだ先だから! 臨終まであと50年はあるから! それよりアレ!!」
「アレもクソもねえ!!」
「いいからあっち見ろって、この脳筋!!」
 怒鳴りつけながら袖を振ってナイフを出し、右から左に静雄の目をめがけて薙ぐ。
 そして、その隙に、静雄の左側へと回り込んだ。
 そうしておいて、右手を正面に突き出し、静雄の眼前にナイフをかざす。静雄の目がそのナイフを捉えると、即座にそのナイフを動かして、刃先で自分の背後を指し示した。

「アレが目に入らないのか、シズちゃん!!」

 ナイフの動きを反射的に目で追った静雄は、それでようやく動きを止める。というより、先程の臨也と同様にフリーズする。
 呆然とそちらを見つめ、臨也を殴ろうとしていた拳は力を失い、重力に引かれて落ちて。

「な……何してやがるんだ、お前ら!!」

 静雄が叫んだその先、きらきらと水面輝く池のほとりで。
 臨也のそっくりさんと静雄のそっくりさんが、手に手を取り合い、頬を染めて見詰め合っていた。

*     *

 時間は少し遡る。
 小道から池のほとりに走り出たサイケは、目を輝かせながら大きく深呼吸した。
 これほど広い場所に来たのは初めてだったし、こんなにたくさんの草木を見るのも、池という大きな水溜りを見るのも初めてだった。
 ドキドキわくわくしてたまらない。
 歌い出したいような気分で、池のほとりに駆け寄る。
 そして、水面を覗き込みかけたその時、サイケの視界の端で何かがひらりと揺れた。
「?」
 顔を上げ、そのひらひらの輪郭を追ってまなざしを上げる。
 すると、そこには。

「……かぁっこいい……!」

 きらきらと日に輝く金茶色の髪、明るい茶色の目をした、端整な顔立ちの着物姿の青年が驚いたようにこちらを見つめていて、吸い寄せられるようにサイケは彼に近付いた。
 手を伸ばせば届く距離まで近付くと、彼は頭半分以上、サイケより背が高い。
 そんな彼の目からまなざしを逸らせないまま、サイケは問いかける。
「君は……?」
「?」
 質問の意味が分からない、と目をまばたかせた青年に、サイケはもう一度、言葉を付け加えて繰り返す。
「俺はサイケ。サイケっていうの。君の名前は……?」
「──津軽」
 サイケが目を離せないのと同様、どうやってもまなざしを逸らせないような面持ちで、青年は答えた。
 その低い、魅惑的な響きに、サイケの胸はどきどきと高鳴る。
「津軽?」
「そうだ。……サイケ?」

 低い、優しい声が確かめるように、自分の名前を呼んだ。
 その響きを、サイケは紛れもない喜びとして感じる。

「うん、そうだよ、津軽!」
 湧き上がる歓喜のままにサイケは手を伸ばし、津軽の手を取った。
 すると、一瞬驚いたような顔をした津軽も、すぐに軽く微笑んでサイケの手に自分の手を重ねる。
「サイケ」
「津軽」
 見詰め合ったまま互いに手を取り合い、微笑みを交わして。
 サイケの内なる喜びは、至福にまで膨れ上がり、高く舞い上がった。

*     *

「何してんのサイケ! 離れなさい!!」
「お前も何やってんだ、津軽!!」
 臨也と静雄は揃って、それぞれのそっくりさんに飛びかかり、羽交い絞めにして引き離す。
「え、何? ヤだ臨也!」
「な、何だ、静雄!?」
 ジタバタと暴れるサイケを押さえ込み、臨也は三メートル向こうで同様にそっくりの顔をした、ただし髪の色が明るい薄茶であるために、容易にオリジナルと見分けられる存在を押さえ込んでいる静雄に声をかけた。

「ねえ、シズちゃん」
「何だ」
「思うんだけどさ、俺たち、今日のところは休戦した方が賢いんじゃないかな?」
「──そうだな。大いに不本意だが、同感だ」
「嬉しいね、出会って八年、初めて君と意見が一致したよ。盛大にお祝いしたいところだけど、そうも言ってられそうにないよね、お互い」
「だな」
「で、帰る前に一つだけ聞いておきたいんだけどさ。それ、連れて来たの新羅だよね」
「手前のものだな?」
「当然」
「よし、今度殴りに行くぞ。手前も一緒に来い。手前にも一発殴らせてやる」
「おやおや、また意見が一致か。最近、異常気象が多いのはきっとこのせいだね。明日は槍が降るに違いないよ」
「つーか、この場合は新羅のせいだろ。じゃあな、ノミ蟲。今日のところは勘弁してやるから、池袋には来んなよ」
「あはは、それは無理。俺も仕事があるからね。じゃあね、シズちゃん」

 臨也は爽やかに、静雄は獰猛に笑いながら、それぞれのクローンをずるずると引きずって御苑を後にする。
 そうして帰ってきたマンションで、サイケは当然のことながら、ひとしきり泣いて、怒って、わめいて。
 とうとう臨也は、

「あの男との交際は、何があっても認めないからね!!」

 と、どこぞのお茶の間ドラマのような雷を落とす羽目になり、しかも、それを波江に聞かれて、生まれて初めての激しい自己嫌悪に陥ったのだった。

to be contineud...

公園デビュー編。
身長は、津軽176cm(静雄−9cm)、サイケ164cm(臨也−11cm)が理想。

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