DAY DREAM
-Heaven In Your Eyes 03-
「臨也」
抱き締める腕の力を少しだけ緩め、薄紅に染まった耳にキスをする。すると、ひくんと臨也は小さく震えて、その隙にあらわになった目元にもキスをすると、そこは濡れていて仄かに甘い涙の味がした。
「シズちゃん……」
「ん……」
そのまま小さな顔に幾つものキスを繰り返してから、すべやかな頬をそっと手のひらで包み込むようにして見つめる。
透明感のある色合いの瞳は、まだ水気を湛えたままだったが、臨也は目を逸らすことなく静雄を見つめ返した。
いつも二人きりで寛いでいる時よりも更に無防備な、無垢なまでに純粋な想いだけが浮かぶ臨也の表情は、これまでに見たどの表情よりも綺麗で。
何よりも貴いものが目の前にあることを強く感じながら、静雄は臨也の額に一つ、やわらかなキスを落とす。
それから、もう一度目を合わせる。と、臨也が、シズちゃん、と澄んだ声で呼んだ。
「宣誓句って知ってる? 病める時も健やかなる時も、ってやつ」
「──ああ、聞いたことあるな」
有名なフレーズだ。結婚式のときの誓句として、静雄もドラマや映画の中で見聞きしたことはある。ゆえにうなずくと、臨也は小さく微笑んで、その形のいい薄い唇を開いた。
「この者を我が伴侶とし、良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓います」
古来、連綿と続いてきたその誓いの言葉に、静雄はただ聞き入った。
言葉の内容もさることながら、臨也がそれを口にした、ということを何にも変えがたいと感じる。
「誓ってくれる? シズちゃん」
だから、最後まで言い終えた臨也が、静雄を真っ直ぐに見上げてそう問いかけた時、静雄の胸に広がったのは果てのないほどの愛おしさだけだった。
「誓う。この先死ぬまで、お前だけだ」
「──うん。絶対に離れないで。二度と俺を一人にしないで」
「しねぇ」
また潤み始めた臨也の目元を親指の腹でそっとなで、それから、ゆっくりと顔を寄せて互いの温もりが通い合い、一つになるまで触れるだけの優しいキスをする。
そしてゆっくりと離れた静雄は、そのまま軽く屈みこむようにして臨也の両膝裏を自分の腕で掬い上げた。
前触れなく抱き上げられて目を丸くする臨也が何かを言う前に、その唇を自分の唇で再度塞ぎ、やわらかくキスを深めながら、キッチンを後にして寝室へと向かう。
臨也もすぐに抵抗することを諦めたのか、単に流されたのか、静雄の首に両腕を絡めて深いキスに応えて。
辿り着いた寝室のクイーンサイズのベッドに静雄が臨也をそっと下ろすと、ゆっくりと目を開けた臨也は、静雄を見上げて甘く微笑んだ。
「シズちゃん、うちで指輪を渡すのを選んだのって、これも狙ってたんだろ」
「バレたか」
悪戯っぽく問いかけてくる臨也に、静雄も照明の明るさをリモコンで調節しながら悪ガキのように笑う。
これについてはオマケ程度の話だが、外で渡すとなれば、どこかのホテルの部屋でも取らない限り、勢いのままにベッドになだれ込むことはできない。
熱を燻らせたまま帰路を急ぐのも、それはそれでもどかしくも楽しかったりするのだが、さすがに今夜はそんな青臭い真似はしたくなかったのだ。
「でも、悪くねぇだろ」
「うん」
ふふ、と笑って臨也は静雄の首筋に回したままだった手で、静雄の後頭部からうなじを愛情のこもった手つきで撫でる。
だが、そうする間にも水気を帯びていた目に再び透き通った涙が滲んで、音もなく眦から零れてゆき。
そんな臨也に、泣くなとは言わず、黙って唇を寄せて濡れたこめかみをそっとぬぐってやると、更にほろほろと涙が零れ落ちた。
おそらく、と静雄は考える。
今、臨也の中ではこの十年間のことが怒濤のように思い出されているのだろう。
出会ってから静雄が臨也の想いに気付くまでの長い長い年月。
そして、ひたすらに幸せだった、この一年余りの月日。
その全てが飽和し、涙になって溢れ出してゆくのが目に見えるようだった。
「臨也」
どうしてこんなにも愛しいのか分からないまま、静雄は自分の指輪をはめた左手を臨也の右手に重ね、指を絡める。すると、きゅっと力のこもった細い指が握り返してきて。
離さないで、と言葉にならない言葉に請われているようで、ただでさえ溢れそうな想いが、更にいや増してゆく。
なのに、
「好き。シズちゃん。本当に好き……」
愛してる、と涙に潤んだ臨也の声が、一途に見上げる切ないまなざしが追い打ちをかけてくるのだ。自分の方こそ何もかもが溢れ出して、内側から壊れてしまいそうだと静雄は思わずにいられなかった。
「好きだ」
どうにかして想いを解き放っていかなければ、本当に自分が破裂してしまいそうな錯覚に襲われて、そう囁き、口接ける。
だが、そうする間にも、また新たな愛しさが湧き上がってきて、少しも水位は低くなる気配がない。
「くそ、止まんねぇ」
目の前の存在はとっくに自分のものであるというのに、もっと何もかも自分のものにしたくてたまらない。
細い顎先に口接け、耳の下の薄い皮膚に唇を這わせながら低く獰猛に呟けば、いいよ、と臨也の小さな声が返った。
「止まんなくていいよ、シズちゃん」
何がとも分かっているとは思えないのに、臨也はそんな風にそそのかしてくる。馬鹿言え、と静雄は呻いた。
「お前を壊しちまう」
「大丈夫だよ、俺はそんな簡単に壊れたりしない」
まるで恐れを知らない口調で臨也はそう答え、静雄の背を撫でる。
「ね、シズちゃん。俺を見て」
請われてゆっくりと上体を持ち上げ、目線を合わせれば、臨也は潤んだままの瞳で真っ直ぐに静雄を見つめていた。
「俺が誰だか思い出して。誰もが怖がって逃げだす君に十五の時からずっと喧嘩を売り続けて、それでも壊れなかった、たった一人の人間だろ。確かに俺は、頑丈さではシズちゃんには敵わないよ。でも、そんな簡単には壊れない。そんなやわじゃないよ」
「臨也」
「全部受け止めたいんだよ、俺は。昔からずっとずっとそうだった」
君のすること全部を自分のものにしたかった、と臨也は静雄を見上げる。
「一目惚れの自覚なんかなくったって、俺は出会ったあの日から君を一人占めしたかった。君を俺のものにすることができないのなら、君に嫌われるのも憎まれるのも、全世界で俺一人にしたかった。君がその目に映す人間は、俺だけでいいって……ずっとそう思ってたんだよ」
そう告白する間にも、臨也の瞳からはほろりほろりと涙が零れ落ちる。それをたまらなく綺麗だと静雄は思った。
「壊して欲しいわけじゃない。でも、たとえ壊されても全部欲しいんだよ、シズちゃん。君になら殺されても俺は文句言わない」
その余りにも純粋で貪欲な願いに、静雄の胸はどうしようもないくらいに締めつけられて。
「──言っただろ、お前が居なくなったら、俺は独りになっちまうって……」
やっとの思いでそう声を絞り出し、臨也の前髪をかき上げるようにそっと撫でた。
「壊さねぇよ。一生大事にする。大事にするから……」
「うん……」
うなずき、臨也はぎゅっと静雄を抱きしめる。
「俺を全部あげる。あげるから……シズちゃんを全部、俺にちょうだい」
「ああ」
うなずき返して静雄も臨也を抱きしめ、唇を重ねる。深く深く、貪るように口接ければ臨也も同じように貪欲に応えて。
二人の魂が一つに重なり、溶け合ってゆくのを、静雄ははっきりと感じた。
「臨也」
もう一人ではないのだ、という思いが急速に全身の細胞に染み渡ってゆく。
愛し愛されるこの存在がある限り、もう決して孤独になることはない。愛することも愛されることもできず、他人に触れることのできない自分を嘆く必要もない。
臨也の孤独が過去のことになったように、静雄の孤独も、もはや過去のものだった。
時が流れて、いつか再び一人になる日が来たとしても、それは過去に味わった孤独とは違う。全身全霊で愛された日々の続きであって、真の意味での孤独ではない。またいつか出会う日までの静かな時間だ。
「臨也、お前が俺を愛してくれて良かった」
全身を貫く深い歓喜に、たまらず幾つものキスを繰り返し、ほっそりとした首筋に唇を這わせながら、静雄は告げる。
「お前に出会わなかったら、俺はずっと独りのままだった」
「それは……違うよ。俺が、ちょっかい……んっ、出さな、かったら……」
「違わねえ」
いつか静雄は自分以外の誰かを愛して居なくなるはずだった、という臨也の強固な思い込みを静雄ははっきりと否定する。
「そりゃ俺のことを好きになってくれる奇特な奴は、世界中探せばお前以外にも居るかもしんねぇ。でも、お前みたいに全部を懸けて愛してくれる奴は、他にどこにも居ねぇよ」
全身全霊を懸けて静雄に執着し、そして、静雄もまた、手加減や気遣いなしに感情を向けられる相手。
そんな相手は、世界中探しても折原臨也ただ一人だ。
愛おしさに気が遠くなるほどの想いをこめて、静雄はその甘く、すべやかな肌に口接ける。
パジャマのボタンを一つ一つ外し、あらわになる肌に優しく手指を這わせ、しなやかで端整なその形を確かめてゆく。
そのやわらかな触れ合いだけで臨也は小さく甘やかな声をあげ、身体を震わせた。
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