DAY DREAM
-Heaven In Your Eyes 02-

「いいのか?」
「うん」
 仕方ないだろうと言いたいのか、静雄の問いかけに臨也は肩をすくめてうなずいた。
「最初からやり直せって言うのも馬鹿みたいだし、俺も別に、一流ホテルのスイートルームで、なんて考えてたわけじゃないしね。ていうか、もう忘れてるのかと思ってたんだよ。あれから一ヶ月以上経ってるし」
「忘れてねぇよ。もともと注文から受渡しまでの期間が五週間だったんだっての」
「それがね、一番の意外。まさかシズちゃんがこんな高いブランドのやつ、買ってくれるなんて思わなかったから」
 そう言い、ふふ、と臨也は笑う。楽しげなその笑みは、ひどく嬉しげでもあって、静雄もまた嬉しくなる。
 このブランドを選んだのは、純粋に良いものが欲しかったからでもあるが、臨也のこういう顔を見たかったからという理由も勿論ある。
 好きな相手──それも生涯の伴侶と決めた相手に、その証を贈るのである。そのためには自分ができる限りの範囲で最上のものを選ぶべきだと思ったし、また、叶うことならば臨也には、その気持ちを受け止めて心から喜んで欲しかった。
 そして、臨也の笑顔を見る限り、それには成功したと言っていいだろう。
 よし、と静雄はケースから煌めくペアリングのうち、小さい方を取り上げる。
 すると、臨也も一歩静雄に近付いて、左手を差し出した。
 顔は真っ直ぐに静雄を見つめ、やわらかく微笑んでいる。そのとても綺麗な表情に静雄も微笑んで、臨也の手を取った。
 入浴を済ませた後だから、いつも人差し指にしているシルバーリングも今は無い。
 節の目立たないすんなりとした形のいい五本の指のうち、迷わず薬指を選んで、手にした指輪をゆっくりと通す。
 ややきつめの感触で第二関節を通り抜けた指輪は、ぴったりとその先に納まった。
「きつくねぇか?」
「ううん、大丈夫。ちょうどいいよ」
 自らの左手に輝く指輪を嬉しげに見つめながら、臨也は答える。
 そして、手を伸ばしてテーブルの上のケースから、もう一つの指輪を取り出した。
「あれ、文字入れしたの?」
 リングの内側に刻印があることに気付いたらしい。照明に翳しながら、臨也は目を近づけて小さなその文字を読み取ろうとする。
「──201X.5.4. from I to S、って……」
「日付をどうしますかって言われてな。いいだろ、それで」
「………馬鹿じゃないの、シズちゃん」
 驚きよりも呆れが勝ったような表情で小さく笑い、まぁいいけど、と臨也は呟いた。
「でも、なんでよりによって俺の誕生日かなー」
「じゃあ、他にいつにしろっていうんだよ」
「まあ、確かに他にないけどね。あとは……ここに引っ越した日とか?」
 くすくす笑いながらも、臨也は静雄用のリングを指先で揺らめかせ、その鮮やかなきらめきを確かめてから、静雄を見上げた。
「シズちゃん」
 呼ばれて、おう、と左手を差し出す。
 すると臨也も、静雄がしたのと同じように静雄の手を取り、その薬指にゆっくりと指輪を通した。
 やはり少しきつい感触と共に第二関節を金属の輪が通り抜け、そして指の付け根近くにしっくりと納まる。
 そして二人は、自分と相手の手に輝くリングに、しばし見惚れた。
「……本当にお揃い、なんだね」
 サイズの差はあれど全く同じ、何とも言えないなめらかな線を描くプラチナの造形は、天井の照明をきらきらと眩しいほどに反射して煌めいている。
「よく似合うな」
「シズちゃんも。不思議だよね、俺の手と君の手は全然感じが違うのに、同じデザインが似合うなんて」
「それは店の人にも言われたな。一人ひとり似合うデザインが違うから、本当はお相手の方にも来ていただいた方がいいのですけど、って」
「うん。結婚指輪って普通、男女対のデザインで作られてるセットリングなんだけど、最近は、ブランドは同じでも違うセットのをそれぞれ選ぶケースも半分くらいあるらしいよ。そっちの方が自分に似合うからって。そんなの、ペアリングの意味ない気がするけどね」
「あー、でもこれも、対になってるのは少し違うデザインなんだぜ。小さなダイヤがついててよ。けど、店の人に聞いたら、うちのデザインには男女の別はないから、大丈夫だって言われて、同じデザインのサイズ違いにしたんだ」
「へえ、そうなの」
「対の指輪も綺麗だったけどな。お前のイメージじゃなかった」
「──これ、俺のイメージなの?」
「まあ、それだけでもねぇけどな。お前も知ってるかもしれねぇが、ここの指輪は全部、銘がついてるんだ。それが気に入ったってのもある」
 言いながら、静雄は自分の手元を見つめる。
 デザインもだが、その銘にこそ強く惹かれたのだ。二人が一生身に付け続けるだろう指輪に、その銘とそこに込められた意味をどうしても欲しいと思った。
 店頭で感じたその時の強い気持ちを思い返している静雄の心を察したのだろう、そっと臨也が問いかける。
「なんていう銘?」
「──『祈り』」
 短く静雄は答えた。
「添えてあった具体的な文句は忘れちまったけどな。繋いだ手を離さず、一生一緒にいられますように、っていうような意味合いだった」
 そう告げると、臨也は軽く目を見開き、それから微苦笑するように表情を崩す。
「恥ずかしいなあ、シズちゃん」
「別に恥ずかしかねぇよ」
「シズちゃんは平気でも、聞いてる俺が恥ずかしいの」
 くすくすと笑い声が零れる。
 だが、そこまでだった。
「────っ」
 不意に、臨也の両目からぼろぼろと涙が零れ始める。
「臨也」
 こうなるだろうということも予想していたから、静雄は驚かなかった。
 静雄の前だけでは泣き虫になる臨也が、揃いの指輪をして泣かないはずがない。だが、もし外で渡してしまったら、臨也は素直に泣けないし、たとえ泣いても、静雄は抱きしめてやることもキスしてやることもできない。
 それが指輪を渡すのに、この部屋を選んだ一番の理由だった。
 ここでなら、二人とも本当の自分をさらけ出せる。そのことが何よりも大事だったのだ。
「ごめ…っ、泣くつもり、なかったのに……っ」
「構わねぇよ。お前が泣き虫なのは知ってる」
 そう言った静雄の言葉に反論しかけ、しかし、臨也は声を詰まらせて、更にぼろぼろと涙を零す。
「──っ…全然、…」
「ん?」
「こ…んな、日が来るなんて……全然、想像したこともなかったから……っ」
 口元に手の甲を押し当て、嗚咽交じりに告げた臨也の言葉に、静雄は目をみはる。
「臨也」
「すごい……嬉しい……」
 涙に濡れて赤くなった目が、懸命に静雄を見上げてくる。静雄も、そこが限界だった。
 両腕を伸ばし、臨也を胸の中に強く抱き込む。細い体はすんなりとそこに納まり、臨也もまた、静雄の背中に両腕を回して、力いっぱいにしがみ付いてきた。
「シズちゃん、シズちゃん……っ」
「臨也」
 ほんの僅かな隙間も厭うように擦り寄ってくる体をきつく抱き締めながら、いざや、と何度も繰り返し、愛しい名前を呼ぶ。
 だが、想いは後から後から溢れてきて、尽きる気配もない。
「シズちゃん」
 泣き濡れてくぐもった臨也の声も、何度も何度も飽きもせずに静雄を呼んで。
「あの、さ」
 静雄の肩口にぎゅっと顔を押し付けたまま、臨也がかすれて震える言葉を紡ぎ出す。

「一目惚れだった、って言ったら、信じる?」

 その言葉を聞いた瞬間、静雄は心臓を鷲掴みにされたような気がした。比喩だけでなく、本当に胸の奥が締め付けられるように切なく痛む。
 馬鹿野郎、と思いながら、声を絞り出して。
「だったら、もっとそれらしい態度しろよ。気付くまで九年近くも遠回りしちまっただろうが」
 そう文句を付けると、腕の中で臨也が小さく泣き笑った。
「そんなの無理だよ。俺だって自覚なかったんだから。絶対、認めたくなかったもん」
 シズちゃんを好きだなんて。
 そんな捻くれたことを言う臨也が心底、愛おしい。
 もう二度と離れたくない、と強く思う。
 一生離さない。
 この腕の中の存在は一生自分のものだ、と思いながら、静雄は抱き締めた臨也の背中を撫でる。
「好きだ、臨也。もう一生、離してなんかやらねえ」
 想いのままに、黒髪の間から覗くこめかみに口接けながら告げると、うん、とうなずきが返った。



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