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DAY DREAM
-Heaven In Your Eyes 01-

 臨也、と静雄が呼んだのは、その日にやるべきことを全て片付け、羽島幽平主演のドラマも見終わって、そろそろ寝る支度をしようか、という頃合だった。
 ダイニングキッチンのシンクでティーセットを洗っていた臨也は、「なにー?」と振り返らないまま応じ、手にしていたポットをすすいで傍らの食器籠に伏せてから、タオルで手を拭きつつ、静雄を振り返る。
 静雄を見上げた臨也の表情は、何の気負いも無い、極自然なものだった。険もなければ、毒に満ちた薄笑いもない。ただ真っ直ぐに、何の用かと静雄を見つめてくる。
 そんな臨也に対し、やわらかな微笑みが浮かんでくるのを感じながら、静雄は手にしていたものを差し出した。
「何、それ」
 見た瞬間は、臨也はそれが何であるのか分からなかったらしい。否、正確には、中身が何であるのか、だ。
 静雄の右手の上に載っているのは、さほど大きくはない桐箱だった。
 赤と黄色の組紐がかけられて上部でしっかりと結ばれており、何かの小物が入っているのだろうとは推測できる。だが、知らなければ、中身が何であるのかを正しく察するのは、かなり難しい代物だった。
「湯呑みや茶碗にしちゃ箱が小さすぎるし、箱書が無いし……あれ?」
 とことこと好奇心旺盛な猫のように近付いてきた臨也は、桐箱の上部に押してある落款に気付いて、目をまばたかせる。
「え……これ、って……」
「あー、やっぱりこのブランド知ってたか」
 さすがに出し抜くのは無理だったかと微苦笑しつつ、静雄はその箱をダイニングテーブルの上に置いた。
「昨日、届いたっつー連絡が入ったんだよ。だから、今日、仕事の休憩時間に受取ってきた」
「──え…、あ……」
 しゅるりと組紐を解く静雄の指先を見つめたまま、臨也は言葉になっていない声を微かに零す。
「なんで……シズちゃん……」
「あ? 指輪やるっつっただろ?」
「いや、そうじゃなくて……それは覚えてるけど、でもなんで、ここのブランドなんか……」
「──まさか、嫌いだったか?」
「嫌いじゃないよ!」
 もしやと尋ねれば、強い口調で否定が返る。
「じゃあ、何が気に入らねぇんだ?」
「気に入らないなんて言ってない! ていうか実物見てないのに、気に入るも入らないもないだろ!?」
「……そりゃそうだな。じゃあ、見ろよ」
 桐箱の中に収められているのは、更にもう一つ、清らかな白磁の箱だった。
 それを丁寧に取り出して、そっと蓋を開ける。
 そこに純白の絹に半ば埋もれるようにして収められていたのは──揃いの銀色の指輪だった。
 照明の光を受けて白く輝くそれを、臨也は目をみはって見つめる。
 それから、ゆるゆると顔を上げ、静雄を見つめた。
「俺のために……これを買ってくれたの?」
「別にお前のためだけじゃねぇよ。ちゃんと二つあるだろ」
「そうだよ、一つじゃないよ。ってことは値段も倍だ。……一体、給料何か月分、突っ込んだんだよ」
「額面なら一月で釣りが来るけど、手取りなら二ヶ月ちょいってとこだな」
 肩をすくめて静雄は答える。
 静雄は仕事内容が内容なだけに、給料の総支給額は決して低くは無い。多額の法人税を国に納付する気などこれっぽっちもない会社の意向もあって、同年代のサラリーマンに比べたら倍近い金額を得ている。
 しかし、そこから税金や社会保険料の控除が約三割弱、更に器物損壊分の実費弁償分を控除すると、実際に手取りとして振り込まれるのは、同年代のサラリーマンの手取りよりもやや少ないくらいの金額だった。
 とはいえ、静雄は別に浪費家ではないし、家賃と水道光熱費、食費と煙草代があれば大体足りる生活をしている。故に、はたけばこれを買えるくらいの貯蓄はあったのである。
「いいんだよ。こんなもんを買うのは一生に一度のことなんだしな。ケチって妥協するより、これだっていう奴を選んで買いたかったんだ」
「シズちゃん……」
 名前を呼んで、臨也は静雄を見上げる。が、感動しているようだった表情が、ゆっくりと渋いものになってゆき。
 やがて、はっきりと眉をしかめて、臨也は静雄を睨んだ。
「ねえ、シズちゃん。誠心誠意を込めて、ついでに貯金もはたいて指輪を買ってくれたのは分かったよ。でもさあ、このシチュエーションは無いんじゃない?」
「そうか?」
「そうかって……別に正装しろとは言わないけどさあ、パジャマだよパジャマ! 俺も君も! しかもキッチンでって……!」
 毛を逆立てた猫のような勢いで臨也は文句を付けてくる。しかし、静雄も伊達に一年以上も恋人として付き合ってきたわけではない。その辺りの反応はとっくに予想済みだった。
「俺ららしいだろ」
 笑みを浮かべて言ってやれば、更に臨也の眦(まなじり)は吊り上がる。
「どこが!? それとも俺が所帯じみてるとでも言いたいわけ!?」
「バーカ。んなわけねぇだろ。俺だって一応、考えたんだよ」
 尋常でない力を持つ静雄は、これまで一度もごく普通の結婚というものに憧れたことは無い。正確に言えば、憧れることを無意識に諦めていたのだが、ともかく正面切って考えたことはなく、結婚にまつわるあれやこれやに関する知識にも乏しかった。
 だが、それでも今回の件については、伴侶に指輪を贈り合う儀式は神聖なものであって、絶対にぞんざいに扱うべきではない、というくらいの知恵は働き、それなりに渡すシチュエーションを考えてみたのだ。
「お前も考えてみろよ。俺とお前だぜ? 普通のカップルが婚約指輪を贈るみたいに、正装して夜景の綺麗なレストランかホテルで……なんて似合わねぇだろ?」
 そう言ってやれば、臨也は反論したそうな顔をしつつも眉間に皺を寄せる。
「……確かにシズちゃんのキャラじゃ、そういうベタな演出は無理だろうけど」
「な? だったらどこがいいんだって考えたら、もう、うちしかねぇなって」
 臨也の答えにはいささか失礼な物言いが混じっていたが、それに取り合っていたら、指輪を渡し終えるのは日付変更線を超える羽目になる。だから、静雄は敢えて聞き流して、会話を先に進めた。
「この部屋にいる時が、一番俺たちらしいだろ。俺も、お前も」
 言い切ってやると、臨也は複雑そうに顔をしかめて静雄を睨む。
「……そこまでの理屈は、とりあえず理解したけど。じゃあ、なんでよりによってダイニングキッチンなわけ? リビングだって寝室だってあるのに」
「それには、あんま意味はねぇよ」
 二人で暮らすこの部屋で渡そう、と決めたものの、しかし、この3LDKのマンションの中のどこで、とまでは決めていなかった。
 どこででもいいよな、とリビングのソファーで寛ぎながらぼんやりと考えているうちに、先程、寝支度をしようとティーセットをトレイに載せた臨也がダイニングキッチンに入っていった。その後姿を見た時、不意に、いま渡したいと思ったのだ。
「もともと全部片付けて寛いでる、この時間になったら渡すつもりだったんだけどよ。さっき、お前がここに入ってくの見た時、今だと思ったんだよな」
 そう言い、静雄はぴかぴかに磨き上げられたシステムキッチンを見やる。
「お前と一緒に暮らすのは何でも楽しいけど、お前と一緒に飯作ったり、それを食ったりするのが、俺はすげぇ好きなんだよ。だからじゃねぇかな」
 そんな静雄の説明をじっと聞いていた臨也は、やがて、小さく溜息をついた。
「なるほどね。キッチンはシズちゃんにとって家庭の象徴なわけだ。シズちゃんのお母さんも料理上手みたいだし、きっと、シズちゃんちの食事風景は毎日、絵に描いたような家族団欒だったんだろうな」
「──あー、言われてみればそうかもしんねえ」
 確かに臨也の言う通り、静雄の家は家族四人、いつも揃って食卓を囲むのが常だった。
 静雄は口下手、弟は無口で、両親も穏やかに喋るタイプだったから、決して賑やかではなかったが、温かな御飯を家族と共に食べた記憶は、おそらく、静雄の中に家庭や家族のアーキタイプを作り上げている。
「お前、やっぱりすげーな」
「……シズちゃんが単純なんだよ」
 素直に感心すれば、それなりに嬉しいのだろう。そんな憎まれ口が返ってきた。
 そして臨也は、降参とばかりに胸の前で両手のひらをこちらに向けて、ひらひらさせる。
「はいはい、了解。シズちゃんなりに考えた結果が、これなわけね。俺的には色々残念だけど、いいよ、もう」



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