ある晴れた日に 21
「──っ、ん…ふ……」
まるで夜の始まりのような濃厚で甘いキスに、唇の間から零れる吐息が熱を帯びる。
ゆっくりと唇を離した後、臨也はひどく甘ったるく感じる溜息をつきながら、静雄を至近距離で見つめた。
「もう一回、っていうのは勘弁してよ? さすがに疲れてるからさ……」
お手軽なSEXであれば日に複数回でもどうということはないが、気を失うほど激しく長いSEXの後は、さすがに足腰がガタガタになる。無理な体勢や緊張を強いられていた腰も背中も腹も大腿も、筋肉が張りを訴え始めていて、だるいことこの上ない。
この状態で更にもう一回求められたら、たとえ一時でも心底この男が嫌いになりそうで、釘を刺してやれば、静雄は呆れた顔で臨也の額に額をぶつけてきた。
「そこまで無茶言うわけねーだろ。手前こそ、俺を何だと思ってやがる」
どれ程の加減をしているのか、こつんとする程度の頭突きであるから痛みはない。だから、臨也もこつんとやり返してやる。
「本能に忠実な野生動物。っていうより、むしろ恐竜辺り?」
ゴジラでもいいかも、とわざとらしく思案してやれば、このノミ蟲野郎、と低く呻るように静雄が懐かしい呼び名を口にする。
だが、身の危険を感じるような響きでは全くなかったから、臨也は小さく笑いながら、大して抗いもせずにベッドの上に仰向けに押し倒された。
そのままぎゅうぎゅうと抱き付かれて、臨也もまた両腕を静雄の背に回して抱き締める。
全身を包む自分のものではない体温と、抱き潰さないように加減していてくれる体重が、ひどく心地いい。
「……何だったら、俺が抜いてあげてもいいけど……?」
もう一度SEXをするのは体力的にお断りしたいが、触れ合うだけなら、それほどは消耗しない。そう思って提案したのだが、静雄は、いい、と首を横に振った。
「何もしなくていい」
その言葉と共に、更に体が密着するように抱き寄せられる。
臨也は先程目が覚めた時に毛布こそかけられていたが全裸のままで、静雄もまた、下はジーンズを身につけているものの上半身はシャツを羽織っただけの半裸だ。
だが、そんな状態でぴったりと体を重ね合わせているのに、何故か性の匂いのしない抱擁に、臨也も静雄を抱きしめる腕の力を強める。
「──うん」
もう少しだけ、このままで。
そんな想いを込めてうなずき、静かに目を閉じた。
* *
二人が起き上がったのは、今回もまた、空腹が原因だった。
成長期はとうに過ぎたものの、健康な成人男性である以上、前回の食事から六時間以上の間が空けば、必然的に空腹は限界に近付く。
空っぽになった胃に急かされて、渋々ながらも二人は互いから手を離し、身支度を整えてキッチンへと向かった。
外へ食べに行く、という発想は、何故か浮かばなかった。それはどちらも一応の料理ができるからだと臨也が気付いたのは、並んでシンクの前に立った時である。
二人で冷蔵庫の中身を覗き込み、米を炊く間にハンバーグと野菜スープでも作るかと決めて、静雄が当たり前のように玉葱を手に取り、鮮やかにみじん切りを始めた時には、臨也は唖然とその手元を見つめるしかなく。
「……なんか、すごく慣れてない?」
半割にした玉葱の芯の部分を残して縦に包丁を入れ、それから横に包丁を入れて、あっという間に荒みじんを作り上げてしまう。その手際はセミプロか、熟練の主婦のレベルだった。
「今の仕事に落ち着くまで、色々やったからな。厨房系の仕事も何度かやってるうちに覚えちまった」
「……そうなんだ」
「お前、だるけりゃ座ってていいぞ。ハンバーグと野菜スープくらいなら、そんな手間かかんねぇし」
飯が炊ける間にできる、と言われて、少し考えたものの、臨也は首を横に振る。
体がだるいのは事実だが、そんな風に気を遣われるのは、あまり気分の良いものではない。虚勢ではあっても、静雄の目の前ではしゃんとしていたかった。
「料理作るくらいはできるよ。俺は野菜スープやるから、シズちゃんはそのままハンバーグお願い」
「おう」
それぞれ調理時間は三十分程度の料理である。二人掛かりでやれば何ということもなく、余った時間で臨也はマカロニサラダまで作り、四十分後には、炊き立て御飯とハンバーグ、野菜スープ、マカロニサラダにお茶という、シンプルではあるものの至極健全な食卓が出来上がっていた。
いただきます、と向かい合って手を合わせ、箸を手に取る。
静雄の作ったハンバーグは、塩と胡椒、ナツメグの加減がやわらかく、炒めた玉葱の甘みが生きている優しい味だった。
これが静雄の慣れ親しんだ家庭の味なのだろうかと思いながら、一口一口、味わいつつ口に運ぶ。
そうしながら、臨也は胸に湧き上がる不思議な感覚と必死に戦っていた。
こんな風に自分の部屋で向かい合って、一緒に作った食事を、一緒に食べている。
先程抱き合っていた時に感じたものとはまた違う、豊かな泉がこんこんと溢れて心の隅々まで潤し、満たしてゆくような感覚に心が震えそうになって、慌てて思考を逸らす。
そのまま浸っていたら、また何かとんでもない醜態を晒してしまいそうで、無難な話題を探して切り出した。
「シズちゃんは普段、料理するの?」
「しねえ」
返事はあっさりとしたものだった。
「あ、そうか。君のアパート、そんなに台所を使ってる感じしなかったもんね」
「ああ。朝飯にトースト焼くか、茶を淹れるか……そんなもんだな」
「ふぅん」
「お前は?」
「俺? 俺もしないね」
料理はできるが、一人暮らしでそう熱心にやるものでもない。どちらかと言えば、駅ビルに入っているお気に入りのデリカデッセンで出来合いのものを買ってくる方が多かった。
「そうなのか? 包丁がすげぇ使いやすかったから、もっとやってんのかと思った」
「あー、うん。あれは結構いい奴だから」
形から入る癖のある臨也は、調理器具もそれなりのものを取り揃えてある。宝の持ち腐れと言われても仕方がないのだが、包丁もまた、関の刀匠による銘の入った上物だった。
「プロ用の奴じゃねぇの? そういう感じしたぜ」
「うん、正解」
何故分かるのかと思ったが、その答えは先程もらっている。高校卒業後、色を転々としている間に、プロの調理器具に触れる機会もあったのだろう。
そんな風にどうでもいいことを話しながら食事をしているうちに、食卓の上の料理も大半が片付く。
その頃合になって、ぽつりと静雄が言った。
「なんか、変な感じだよな。俺とお前が、向かい合ってこんな風に飯を食ってるなんてよ」
「──今更?」
思わず眉をしかめてしまった臨也に罪は無いだろう。昼間に続いて、二度目の食事なのである。それも、そろそろ終わろうとしているのだ。のんきなのにも程があるというものだった。
俺はさっき、そのことについて結構必死だったのに、と白い目で静雄を睨む。
だが、静雄には静雄の言い分があったらしい。
「仕方ねぇだろ。なんかすげぇ自然だったんだからよ」
「……俺と御飯食べるのが?」
「おう」
「……あ、そう」
他に何と答えればいいというのか。
つくづく、この怪獣との会話は嫌いだと思いながら、臨也は野菜スープを飲み干す。
その間にも、静雄はのんびりと食事を続けて。
「でも、悪くねぇよ」
マカロニサラダをつつきながら、そんなことを言った。
「悪くねえ」
皿の上に目線を落としたその表情は、ひどく穏やかで満足そうで。
どう返したものか、言葉を散々に探した挙句、
「──そう」
臨也はそんな返事しかすることができなかった。
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