ある晴れた日に 20
「───…」
ぼんやりと目を開けた臨也は、自分の視界に映っているものが何であるのか、理解することができなかった。
しばらくぼうっとしているうちに、ひどく心地いい感覚が頭部を滑り降りては戻ってくることに気付いて、もしやこれは頭を撫でられているのか、と思い当たる。
「……シズちゃん……?」
「起きたのか」
自分の頭を撫でる人間など、この世界広しと言えど、一人しか心当たりはない。そして、そうと気付いてしまえば、目の前に移っているチェック柄の布地は、彼が羽織っているフランネルシャツであることも自然と知れた。
同時に、自分が今、ベッドに腰を下ろした彼のジーンズを履いた大腿を枕にしているということも。
シズちゃんってこんな恥ずかしい性格してたっけ、と考えながら、目の前にあるフランネルの生地に手を伸ばして、そっと握ってみる。
洗いざらしのそれは気持ちの良い手触りで、じんわりと指先が温かくなった。
その間も、一旦動きが止まっていた静雄の手は、再び臨也の頭を撫で始めていて。
「……シズちゃんさぁ、っ、けほ…っ」
俺の頭なんか撫でて楽しい?、と尋ねるつもりだったのに、かすれた声が喉に引っかかって噎せてしまう。
その原因は考えるまでもない。
からからに渇いてがさついた喉の感触に空咳を繰り返していると、おい、と頭を撫でられた。
「起きられるか?」
何、と見上げれば、愛飲しているミネラルウォーターのペットボトルが目の前にあって。
そんなものを寝室に持ち込んだ覚えはなかったから、この体勢になる前に静雄が冷蔵庫から取ってきたのだろう。そう思いつつ起き上がろうとすると、支えにした腕にろくに力が入らず、ぐらりと体が揺れた。
「おいっ」
咄嗟に静雄が抱き止め、そのまま起こしてくれたために無様に顔からベッドに突っ込むという醜態は避けられたが、全身の筋肉が疲弊しきって根を上げていることには変わりない。
快感を得れば筋肉が緊張するのは自然の摂理であり、長々とSEXをすれば長距離を走ったような倦怠感が生じるのは当然のことなのだが、ここまで憔悴したのは、もしかしたら静雄と一番初めに関係を持った時以来かもしれなかった。
「シズちゃん、無茶し過ぎ……」
やたらと重い腕を持ち上げてペットボトルを受け取りながら、臨也は眉をしかめてなじる。そして、既に蓋が開けてあったそれに口をつけて、ごくごくと飲み干した。
人心地ついてから、改めて目の前の男にまなざしを向ける。
「そりゃ俺も気持ち良かったけどさ、限度ってものがあるだろ。こっちが気絶するまでやるなんて……」
「あー、まぁ、それは悪かった」
静雄とのSEXで臨也が意識を失ったのは、実はこれが初めてである。彼自身も飛ばし過ぎたという自覚はあるのだろう。少しばかり気まずげに後ろ髪を掻き揚げながら、ぼそぼそと謝罪した。
その様子を横目で見つつ、もう一度ミネラルウォーターに口をつけながら、まったく、と臨也は心の中でぼやく。
これまでで一番気持ちのいいSEXだったことは間違いないし、あれほど満たされて幸せな気持ちで抱き合ったのも、生まれて初めてのことだった。
だから、今のこれが幸せな倦怠感であることは否定しないが、しかし、行為の最中にあれやこれやの暴言を吐かれた記憶もまた、それなりに残っている。
だが、
「俺が可愛いとか、綺麗だとか……本当にどうかしてる…よ……」
なじるためにそう口に出してはみたものの、失敗だと悟るには最後まで言い終える必要もなかった。途中からぼそぼそとした声しか出せず、語尾は細って消えてしまう。
何だこれ、と八つ当たりするように思うものの、ひどく顔が熱くなって上げられない。
最中にも思ったことだが、外見を褒められるのは臨也にしてみれば日常茶飯事で、面と向かって言われることも珍しくも何ともないことである。
だが、今はどうにもならないほど恥ずかしかった。今更ながらにSEXの間中、そんな目で見られていたのかと思えば思うほど、静雄の顔を見ることができない。
なんで俺がこんな初心な小娘みたいな反応を、とうろたえていると、静雄の深い溜息が聞こえて。
「自爆してんじゃねーよ」
そんな言葉と共に、二の腕をぐいと引き寄せられて、臨也の体はぼすんと静雄の胸の中に正面から納まった。
「ったく……ノミ蟲のくせに、そんな可愛いなんて反則だろ」
「っ……! だから、可愛いって言うな!」
「可愛いもんを可愛いっつって何が悪い」
どうやら完全に開き直っているらしい静雄に、臨也は全身が沸騰しそうになりながらじたばたと暴れる。が、元より激し過ぎたSEXで消耗している身が静雄の腕の力に叶うわけもない。
「こら、暴れんな」
ぎゅうと苦しくない程度に抱き締められて、臨也はぐったりとなりつつ諦めて肩の力を抜いた。
「……もーヤだ。シズちゃんなんか嫌い」
「はいはい」
臨也の罵言にもキレることなく、あやすように背中を撫でてくるのは、臨也の声が完全に拗ねた子供のようになっているからだろう。
シズちゃんのくせに、と思いつつも、子供にはモテる性格をしていたよな、と今更ながらに思い出す。キレやすい部分を棚上げすれば、本来の彼は細かいことに拘らず、あるがままに物事を受け止めるのんびりとした青年なのだ。
そしてその包容力は、臨也相手であっても、条件さえ変われば発揮され得るものだったということなのだろう。
(──なんか、滅茶苦茶恥ずかしいんだけど……)
悔し紛れに静雄の肩口に、ぐりぐりと額を擦り付ける。端から見れば、甘えているようにしか見えないその仕草も、彼にとってはツボだったのかもしれない。臨也の腰の辺りに回された腕にぎゅっと力が入り、ひどく優しく頭を撫でられて、臨也はほとほと自分が嫌になった。
(なんで俺、こんな甘えてんの……)
こんな風に猫が飼い主に甘えるようにデレデレになっている自分が嫌なら、突き放して離れてしまえばいいのに、現実としては大人しく静雄の腕の中に納まっている。
(でも、あったかいし、気持ちいいし、シズちゃんの匂いがするし……)
離れたくないし、と拗ねたように思いながら、小さく手を動かしてフランネルのやわらかな生地をぎゅっと掴む。
その間も、静雄の手はゆっくりと臨也の頭から背中を撫で続けていて、まるで本当に猫にでもなったような気分だった。
心地良い温もりに浸っているうちに、またとろりと眠気が差してくる。
ぼんやりとまばたきをして、そういえば、と臨也は確認することを忘れていたことを思い出す。
「シズちゃん、今、何時?」
すると、少しの沈黙の後。
「……七時」
短い答えが返った。
「七時!?」
ぎょっとして臨也は思わず顔を上げる。そして、サイドテーブルの小さな置き時計を見れば、確かに長短の針は七時過ぎを形作っていて。
「俺、何時間寝てたわけ……?」
「三時間くらいじゃねぇか。お前が気を失った時は、ちょっとビビったけどな。気持ち良さそうに寝てたから放っておいた」
「……あ、そう……」
つまりはオルガスムが深過ぎて気絶した挙句、そのまま寝こけていたということであるらしい。
三時間も寝顔を晒していたのかと思うと居たたまれなかったが、考えてみれば、既に昼前にもSEXの後、眠ってしまっている。今更かと考えることを諦めて、静雄の顔を見上げた。
「三時間も、シズちゃんは何してたの」
「別に。俺も少しうとうとしちまったしな。起きたのは……一時間くらい前か」
「ふぅん」
そして起きて、冷蔵庫に水を取りに行き、戻ってきてからは膝枕で人の頭を撫でていたということなのだろう。
恥ずかしい奴、と思いながら軽く睨み上げれば、静雄がふっと笑った。
「何だよ、その顔」
言葉と共に、左頬をむにっと摘ままれる。
「いひゃい」
「痛くねーだろ」
くっくと笑いながらも静雄は指を離し、その指の背で摘まんでいた箇所を優しく撫でてくる。彼の言う通り、全く痛くはなかったが、撫でられる感触は心地良かった。
「──意外」
そんな静雄と自分の反応に溜息をつきながら零すと、何が、という表情をされる。
「シズちゃんが、こんなスキンシップ好きだとは思わなかった」
「……そうか?」
思いがけないことを言われたというように、静雄はきょとんとまばたく。その表情は、少しだけ可愛かった。
「そうだろ。今日は、ずっと俺に触りっぱなしだしさ」
自覚がなかったのかと指摘してやると、困った顔になる。どうやら本当に無自覚というか、本能のままに行動していただけらしい。
そして、そのままの顔で、
「嫌か?」
などと聞いてくるものだから、改めて臨也は静雄のことが嫌いになった。
「あのさぁ、シズちゃん」
腹の底からの溜息をつきつつ、右手の人差し指で静雄の胸をとんと突く。
「もう少し考えてから、物言ってくれないかな。俺を誰だと思ってるわけ? どんな不本意なことでも甘んじて受け入れる健気な性格をしてるとでも? 君が知ってるノミ蟲は、そんな奴だった?」
「……その真逆だな」
「そうだよ。俺は自分が嫌なことなんてしない。嫌だと思ったら、ナイフは今ここにないけど、君を引っ叩くくらいのことはするよ」
場合によっては、目潰しくらい食らわせてやってもいい。そう思いながら告げれば、静雄は小さく笑んで、臨也の頬に手を沿え、目元に触れるだけのキスを降らせてくる。
その感触は嫌ではなかったから、臨也もおとなしく目を閉じて受け止める。
そしてそのまま、唇にも軽く触れられるのを感じて、自ら薄く唇を開き、静雄の首筋に両腕を回した。
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