ある晴れた日に 17

「臨也」
 熱の籠もった声で名前を呼ばれる度に、胸の奥がじんと痺れる。
 それだけでも甘く湧き起こる感情にどうにかなりそうなのに、声以上に優しい指が、ゆっくりと肌の上を滑り、一方で身体の奥深くをやわらかく探り、狭い器官を解すように蠢く。
「…っあ…、シ、ズちゃん……っ」
 ゆるゆるとした指の動きは苦しいどころか焦れったいばかりで、臨也は縋るように静雄の名を呼んだ。
 もどかしさに小さくもがいた踵がシーツの上を滑り、乾いた衣擦れの音を立てる。
「んっ…、ね……、ま、だ…?」
 まだ駄目なの、と震える声で問いかければ、ああ、と短い答えが返った。
「なんで……っ」
 すげなく拒否されて、思わずなじる。
 だが、本当に分からないのだ。
 先程から臨也の最奥は、決定打のないやわらかな愛撫にひどく焦れていて、複数挿入された静雄の長く骨ばった指をきゅうきゅうと締め付けている。
 柔襞がひくつきながら異物を奥へ引き込もうと蠢き、舐めしゃぶるように絡み付いているのが臨也自身にすら知覚できるのに、当の静雄が感じ取っていないはずがない。
 なのに、指ではない彼の熱をまだ与えてくれない理由が、どうしても分からなかった。
 このままでは、もどかしさと訳の分からなさに泣きじゃくってしまいかねないと愉悦にぼやけ始めた思考で思った時。
「俺だって全部欲しいんだよ」
 臨也の混乱を読み取ったらしい静雄が、低く囁いた。
 それが先程臨也が言った、全部欲しいという言葉に対になる言葉だと気付くには、今の状態では数秒の時間が必要だった。
「お前の反応や表情を全部見てぇんだ。前はまともに見ちゃいなかったからよ」
 言いながら、深く挿し入れられた指先が感じやすい箇所を狙って、柔襞をゆるゆると擦り立てる。
 その刺激にたまらず臨也は、小さな声を上げて背筋をのけぞらせた。
「お前が居なくなった後、思い出そうとしても、断片的にしか覚えてなくてよ……なんかすげぇショックだった。数えたら多分、百回以上やってたのに、俺はお前のこと、何にも見てなかったんだってな」
 ひどく真摯にそう告げられて。
 与えられる愛撫よりも、その言葉に臨也の胸の奥が切なく疼く。
 ───同じだった。
 繰り返し身体を重ねる本当の意味も分からないまま抱き合っていたあの頃。
 静雄の手指の温かさも、情欲を帯びた荒々しい息遣いも、その重みも熱も、臨也は遠く離れてからも思い出そうと思えば思い出せた。
 だが、それは覚えようとして覚えたものではない。持ち主の意志を無視して、静雄の優しさを欲しがった身体が必死に記憶していたものだ。
 だから、その時の静雄の表情はと言えば、記憶は朧気だった。静雄と同じように臨也もまた、断片的な一瞬の表情や目の色しか覚えていない。
 静雄が臨也を正面から見ないようにしていたように、臨也もまた抱かれている間、極力彼を見ないようにしていたからだ。
 自分の心から目を逸らしていた結果が、その惨憺たる思い出の欠落だった。
「だから、今度は全部きちんと見てぇんだよ」
「…ひ、っん……!」
 その言葉と同時に、過敏な箇所を指の腹でぐっと押さえられて、目の裏に白い火花が散るような感覚に、びくりと全身が跳ねる。
 そして、知らぬ間に眦から零れ落ちた涙を、静雄の熱い舌先がぺろりと舐め取った。
「すげぇエロい顔してんのな。自分で分かってっか?」
「──っ、そ、んなの、分かるわけ……っ」
「その顔も。すげぇ可愛い。……ぞくぞくする」
 分かるわけがない、と涙目で睨み上げながら言いかけた言葉尻を押さえられ、更に爆弾を落とされて臨也は絶句したまま静雄を見上げる。
 すると、じっと臨也を見下ろしていた静雄が、楽しくてたまらないとでもいうようにくっと笑った。
 そして頭を下げて、こつんと臨也と額をくっつける。
「こんな風にもやれるんだな、俺等」
 その声は深い喜びに溢れていて。
 ぎゅっと臨也の胸が詰まる。
 何かを言おうとしても言葉にならず、ぐっと唇を引き結べば、代わりのように目から涙が零れて。
「泣くなっての」
 ほろほろと零れ続ける涙を、苦笑しながら静雄の唇が一つ一つ吸い取る。
「シ、ズちゃんが、泣かせてんだろ…っ」
「だから、なんで泣くんだよ」
 聞かれて、臨也は言葉に詰まる。
 間近から覗き込んでくる静雄の表情は、全く何も分からないという風ではなかった。間違いなく分かって言っているのだ、この男は。
 なのに、それでいて目の色はひどく優しい。
 その目を見上げながら、あの頃は、と臨也は考える。
 きっとあの頃は、静雄もこんな目をして自分を抱いていたわけではないだろう。情欲の滲んだ目は何度か見た覚えがあるが、こんな目は再会するまで記憶にない。
 そして、自分もきっと初めて見せる表情で、彼を見つめている。
「シズちゃんが、馬鹿だから」
「……あ?」
 だから俺が泣いてる理由、と臨也は眉をしかめた静雄にそっと手を伸ばす。
 両手の指先で包み込むように静雄の頬に触れれば、自分のものとは異なる肌の温もりが切なく、愛おしかった。
「そんで、俺も……馬鹿だから」
 互いに欲しいものを欲しいと気付けなかった。百回以上SEXを繰り返しても、その行為の意味を理解できなかった。
 本当に馬鹿馬鹿しいほど遠回りをして、やっと答えを見つけた時には既に何もかも遅くて。
 でも、奇跡のような再会を果たすことができたから。
 そっと両手ごと引き寄せて、静雄の薄い唇に口接ける。
「もう、入れてよ……」
 今なら欲しいものを欲しいと言える。
 その言葉を受け止めてもらえると、信じることができる。
「ヤってる時の俺の顔なんて、これからも幾らでも見れるだろ」
 指だけではもう足りない、我慢できないのだと訴えれば、静雄は目をまばたかせ、それもそうか、とうなずいた。
 そして、ずるりと指が引き抜かれる感触に臨也は反射的に目を閉じ、身体を震わせる。
「──っ…」
 両膝に手をかけられ、更に大きく脚を開かされたが、感じるものは既に羞恥よりも安堵や期待の方が大きい。
 さらけ出された蜜口に熱を押し当てられて、疼く柔襞がひくつくのを感じる。
 だが、なかなか押し入ってこない静雄に焦れて目を開ければ、彼は二人の結合部をじっと見下ろしていて。
「な…にしてんの……っ」
「あー」
 そんな風に全てをしげしげと見つめられていることに羞恥に駆られつつ咎めれば、静雄は大して悪びれる風もなく、臨也の顔をちらりと見た。
「なんかすげぇと思ってよ。ここも、ここも……すげぇひくひくしてて」
「…っ、そんな、風に、触るな…っ……!」
 とろとろに濡れた蜜口と熱とを指先で優しくなぞられて、堪えきれずにのけぞりながら、馬鹿っ、と臨也は叫ぶ。
 しかし、静雄は意に介する様子もなかった。
「今更だけどよ……、お前のこと、メチャクチャ気持ちよくしてやりてぇ」
 ぽつりと呟くようにそう言われて、どういう意味かと見上げれば、静雄はひどく真面目な顔をしていて。
「お前の体がこんな風になってんのは、言ってみりゃ俺のためだろ。だったら、その分大事にしてやりてぇし、もっと気持ちよくしてやりてぇよ。そう思うのは変か?」
 そんなことを真面目に言われて、全身がかあっと熱くなる。
 馬鹿だの天然だのと頭の中を罵声が飛び交うが、何一つとして言葉になって出てこない。
「…だ、ったら……っ」
 これ以上余計なことを言われたら爆発して死ぬ、と本気で思いながら、臨也は恥ずかしいのか嬉しいのか悔しいのか全く分からない涙で潤んだ目で静雄を睨んだ。
「早く、入れてよ……!」
 そうなじれば、静雄は意表を突かれたかのようにきょとんとして、それから、ふっと笑んだ。
「──ああ」
 応じる言葉と共に上体が傾けられて、唇が重ねられる。
 深いキスにひとしきり応えたところで、最奥にぐっと重みがかけられた。



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