ある晴れた日に 11

「お前って言葉責めに弱いタチだったのか?」
「は、あ?」
「すっげえ予想外」
「ち、ちょっとシズちゃん、妙な誤解やめてよ」
「あー、でもSMっぽい普通の言葉責めは平気そうだよな。平然と言い返してくる気がする。――なるほどなぁ」
「ちょっと、何一人で納得してんのさ!」
 抱き締める腕を何とか引き剥がそうともがきながら、臨也は静雄の妄想を止めるべく声を上げる。
 だが、静雄の方は、まるで気にする様子がなかった。
「別にいいだろ、今更お前の弱みを握ったからって、どうする気もねぇし」
「だから、弱みとかじゃなくて! 俺はそんな気(け)はないから!」
 決して言葉責めに悦ぶような性情の持ち主ではない、と強く訴えると、静雄はわずかに目を細めて、ふぅん、と呟く。
「臨也」
「――何」
 はっきり言って悪い予感しかしない。直感的にそう思ったものの、抱き締められて体のあちこちが触れ合っているような状態では逃げようもなかった。
「可愛い」
 顔を寄せ、わざわざ耳元でそう囁き込まれて。
「真っ赤になって泣きそうなお前の顔、すげぇ可愛い」
 顔面ばかりか全身が、再びかあっと熱くなる。
「シズ、ちゃん」
 やめて、と懇願するが、聞いてくれる相手ではない。
「食っちまいてぇ」
 そんな囁きと共に首筋に歯を立てられて、臨也は耐え切れずに目を閉じた。
 まるで自分らしくない反応だと分かっていても、どうにもならない。それほど静雄の声と言葉には破壊力があった。
 そんな臨也の様子をどう見てとったのか、緩く抱きしめていただけだった静雄の腕が臨也を更に引き寄せて、胸の中にぎゅっと抱き込む。
 顔が見えなければそれだけましのような気がして、静雄の首筋に頬をすり寄せると、どこかアンバーの香りに似た彼自身の肌の匂いが感じられて、とてもではないが頬の熱さも逸る鼓動も収まる方向には向かない。
 もうやだ、とフランネルシャツを掴む手を爪を立てる形に変えれば、静雄が小さく含み笑うのが触れ合った箇所から直接伝わってきた。
「なんか、誰かがもういい、って言ってくれたような気がするな」
「――?」
 不意にそう言われて、臨也は閉じていた目を開き、まばたきする。僅かに身じろいだだけの仕草でも問いかけの意は通じたのだろう。静雄の手が慣れない手つきで臨也の髪を撫でた。
「お前ともう会っても大丈夫だ、ってよ。今なら会ってもいいっつーか、会え、って誰かが許してくれたみたいだ」
 それは多分、十日前の再会のことを言っているのだろう。
 確かに、静雄は臨也を探していたとは言ったが、それは気持ちの上での話で、具体的に臨也を探すための手立てを彼が持っていたわけではない。
 そして一方、臨也はと言えば、もう二度と静雄に会うつもりはなく、少なくとも自分から会いに行く気はなかった。
 だから、再会は本当に偶然の産物で、臨也があの日あの時、あの道を歩いていなければ、静雄は臨也を見つけることは出来なかったはずなのである。
 本当に千載一遇のチャンスだったのだ。
 こういうのを天の配剤というのかもしれない。本心では神も運命もまるで信じていない臨也だったが、今の自分たちの現状を考えると、その全てを否定するのは難しいような気がした。
 だとすれば、自分たちはもう大丈夫なのだろうか。あの頃のように否定し合い、傷つけ合うことはもうないのだろうか。
 こんな風に温かな感情だけで繋がっていけるだろうか。
 臨也がそう思った時、なあ、と静雄の声が臨也を呼んだ。
「そういや俺、お前の答えを聞いてねぇ気がすんだけど」
「――答えって?」
 何の話かさっぱり分からず、顔を上げないまま、おそるおそる問いかける。
 すると、静雄の手が少しじれったそうに臨也の背中を撫でた。
「どこにも行くなっつったろ」
 そう言われて、三秒ほど考えてから臨也は首をかしげる。
「……それって、答えが必要な話だったの?」
「要らねぇとは言ってねぇ」
「……俺、うなずかなかったっけ」
 昼食前のSEX中に、もう離れんな、と言われた時に、うなずいたような気がする。そう思い、問いかければ、静雄はきっぱりと答えた。
「あー、そうだったな。でも、言葉では聞いてねぇよ」
「……あ、そう」
 でも、言って欲しいとねだった時点で、答えは分かっているのではないか。そう思いはしたものの、しかし、理屈の通じる相手ではない。
 静雄は単純に臨也の答えをはっきり聞きたいと思ったのだろうし、臨也が答えるのを拒めば、機嫌を損ねるまではいかなくとも不満を感じるだろう。
 そんな小さな不満など直ぐ忘れる性格だということは分かっていたが、頑強に拒むほどのものでもない、という結論に達して、臨也は目を閉じる。
「──もう、どこにも行かないよ」
 小さな声で、静雄の髪に頬を寄せたまま、そう告げる。
 だから離さないで、と続けるのは、さすがに無理だったが、それでも十分に伝わったらしい。ぎゅっと一瞬静雄の腕の力が強まり、それから力が緩んで、頬にやわらかく触れた手が顔を上げろと促してきた。
 やだ、と小さく首をすくめれば、親指の腹でそっと頬骨の辺りを撫でられる。そのくすぐったさに絆されかけたタイミングを見計らったかのように、静雄の指が顎にかかって顔を上げさせられた。
 至近距離で合った鳶色の瞳にじっと見つめられて、臨也は居心地の悪さにまばたきし、目線を伏せる。
 すると、その目元にそっとキスを落とされた。
 目元ばかりでなく、頬にもこめかみにも鼻先にも愛おしむようなキスの雨を降らされて、臨也はたまらない気分になる。
 くすぐったくて、むず痒くて、何だか逃げ出したい。むしろ泣き出してしまいそうな、そんな心許ない感覚に耐えきれず、小さく身を引いて静雄の唇から逃れ、シズちゃん、と制止の意味を込めて名前を呼びながら目を開ける。
 だが、それは間違いだったかもしれなかった。
「シ、ズ…ちゃん」
 こちらを見つめる静雄のまなざしはひどく真摯で、それでいて甘く酔ってしまいそうな光を湛えている。
 その目を見て、臨也は唐突に気付いた。或いは、気付いてしまった。
 愛おしむような、ではない。本当に愛おしまれているのだ。
 十日前に再会した時点で、執着を持たれていることは分かっていた。今日、駅で目と目が合った時点で、自分たちの間にある感情が、煮えたぎった糖蜜のような想いであることも分かっていた。
 だが、おそらく本当の意味では分かっていなかったのだ。
 自分の感情を制するだけで手いっぱいで、静雄の感情を真実、理解するにまでは至っていなかった。
 そんなここまでの一連の流れで分かっていたつもりのことが、突然、怒涛のような理解を伴って臨也の内に流れ込んできて、息が止まりそうになる。
「臨也?」
 静雄を見つめたまま固まってしまった臨也を心配して、静雄が名前を呼ぶ。その声すらも優しくて、臨也は泣きたくなった。
 こんな瞳で自分を見つめて、こんな声で自分を呼んでくれるのなら、もう他に何もいらない。心の底からそう思いながら、そっと顔を寄せて、静雄の唇に自分の唇を重ねる。
 触れて離れるだけの、情けないほど拙いキスだったが、そうすることしかできないこの想いが伝わればいい、伝わって欲しいと思いながら、静雄の目を覗き込む。
 そこには泣き出しそうな自分の顔が映っており、静雄は真摯な感情にほんの少しだけ困惑を混ぜ、臨也を見つめ返していて。
「……泣くなよ」
 不器用な言葉を唇に乗せて臨也の頬を撫で、それからゆっくりと口接ける。
 臨也ももう抗わず、静雄の首筋に素直に両腕を回してそれに応えた。
 たかがキス、たかが粘膜の触れ合いだ。なのに、とろけてしまいそうに甘い。泣けてくるくらいに切ない。
「シズちゃん……」
 キスの合間に自分でも分かるほどに潤んだ声で名前を呼べば、宥めるように情感の込められた掌が背を撫でてくれる。
 単に優しいだけではない、そこに熱のこもったその感触に臨也はまた心臓の鼓動を早めながら、静雄のシャツの合わせに指先を掛けた。
 そうする間にも、また口接けられて反射的に目を閉じてしまうから、シャツを脱がせるのは、ほぼ手さぐりになる。
 だからといって白旗を上げるわけにはいかず、臨也は半ば意地のようになってキスに応えながら、律儀に静雄が留めていた袖口のボタンをも外し、肩からシャツを引き下ろして静雄の肌からやわらかな布地を引き剥がした。
 すると、それを合図にしたかのようにキスが途切れ、くるりと視界が回転して、臨也はベッドの上に仰向けに組み敷かれる。
 その姿勢のまま見上げれば、静雄は優しさと楽しさがないまぜになった光を目に浮かべて臨也を見つめ、伸ばした掌を臨也の頬に当てる。
 そして、そこからゆっくりと下へと手を動かした。



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