ある晴れた日に 10
繰り返されるキスの温もりが、やんわりと全身に広がってゆく。
その甘い優しさが心地いい、と臨也は素直に思った。
広いベッドの上で向かい合い、座り込んだ静雄の太腿の上に完全に乗り上げる形になると、臨也の方が少しだけ目線が高い。
既に臨也は着ていたセーターを脱ぎ捨て、静雄もまた、シャツの前ボタンは全て外れて、綺麗に筋肉のついた腹部まで完全にはだけてしまっている。勿論、ボタンを外したのは臨也の仕業だ。
その辺はかつてと変わらないのに、あらゆることが過去とは決定的に違う。
こんな風に触れ合うことが自分たちにできるなんて、と感動すら覚えながら、そっと手を上げて静雄の肩に触れる。
洗いざらしのやわらかなフランネルの感触の下に、確かな筋肉で覆われた肩骨がある。首から腕へ、あるいは背中へと繋がる起点であるそこは、臨也の手のひらにぴったりと沿う形をしていて、そんなことさえも不思議に嬉しい。
本当にどうかしている、と思いながら、臨也は何度も触れては離れるキスにうっとりと溺れた。
「臨也」
響きのいい声が耳元で名前を呼び、耳の下の薄くてやわらかい皮膚を温かな唇がそっと食む。たったそれだけの刺激でも、臨也の背筋はふるりと震えて先を望む。
その言葉には拠らないサインを目ざとく読み取ったのか、静雄の唇はゆっくりと頸動脈に沿って首筋を降りてゆき、肩と首の境目で、また皮膚と筋肉を甘噛みした。
更にやんわりと痕の付かない程度に歯を立てられて、そこから小さな稲妻が身体の深い部分に向かって走ってゆく。
まるで本能だけの獣になったように、喜びをもって臨也はその感触を受け止めた。
考えてみれば今日、静雄を伴ってこの部屋に戻ってきてからというもの、性欲に睡眠欲に食欲と、本能に忠実な欲望しか満たしていない。
今も、真っ昼間から何をしているのだという思いが脳の理性的な部分から湧き出してくるが、しかし、その声は、感情を止めるには余りにも小さかった。
「ねえ、シズちゃん」
緩く抱きしめられ、肉体を構成する骨や筋肉の一つ一つを味見するかのように優しく歯を立てられ、舌を這わされる。
そこから生まれる熱に酔いそうになりながら、臨也はそっと囁いた。
「さっきの、もう一回言って……?」
さりげなく告げたつもりだったのに、自分らしくもない、ひどく甘ったるい声になってしまったことに恥ずかしさを覚える。だが、こんな場面で、他にどんな声を出せばいいというのか。
そんな風に言い訳めいたことを思ったが、幸いなことに、静雄は臨也の声音については突っ込んでくることはなく。
「何をだよ」
言葉そのものに気を引かれたらしく、臨也の鎖骨のほっそりとした形を確かめる作業を中断して問い返してくる。
そうして改めて問われれば、また新たな恥ずかしさが臨也の胸の内に差した。
言葉をねだるだなんて、一体自分はどこまで堕ちてしまったのか。
けれど、どうしてももう一度聞きたかった。三年前は聞きたくても聞けなかった、ねだることすらできなかった言葉を。
こみ上げる切実な欲求に突き動かされて、臨也はそっと唇を動かして思いを音声に変える。
「どこにも行くなって……離れるなって、もう一回言って……?」
至近距離から見つめてくる鳶色の瞳を覗き込みながら告げると、一瞬、目が見開かれ、それから深い色合いを湛えて細められた。
そこに浮かんだ表情は、切なさ、で合っているだろうか。そんな風に分析していると、静雄の目線が逸れて頭が下がってゆき、臨也の首筋、頸動脈の真上をがぶりと静雄は噛む。
痛みの一歩手前の疼くような感覚に、臨也が思わず目を閉じると、すぐ耳元で静雄の声が聞こえた。
「もうどこにも行かせやしねぇよ」
甘さを含んだ、獰猛にさえ聞こえる低い声が宣言する。
「離してなんかやらねぇ」
望んだよりも遥かに強い、引き止める言葉ではなく、捕えて我がものとする言葉を囁かれて、ぞくりと身体が震えた。
「な…んなの、その俺様宣言」
俺、そんなこと言ってって頼んでない、とかろうじて言い返すが、静雄相手に通じるはずもない。
案の定、答えは再度の甘噛みだった。
俺のものだ、と宣言するような愛撫に目がくらむ。小さく体が震え、心臓の鼓動が速くなる。
捕食者に食らわれることを期待して喜ぶような身体の反応に、臨也が戸惑い、恥ずかしさを感じるのと、静雄の掌が左胸に置かれるのとは、ほぼ同時だった。
「すげぇ心臓、速くなってんな」
それに熱い、お前、体温低いのに、と言われて更に全身がかあっと熱くなる。
反論したくても、咄嗟に言葉が出てこない。静雄とのSEXで、こんな恥ずかしい思いをするのは初めてのことだった。
元々が殺伐とした感情の上で始まった関係だったから、これまでは肌を晒すにしても身体を開くにしても、羞恥心を感じたことは一度もない。あるとしたら、仇敵相手に甘い声を上げてよがってしまうことへの屈辱であり、それも、ともすれば快楽の前に薄れてしまう儚い感情だった。
言葉もキスもろくにかわさず、身体だけを繋げる。そこには羞恥心が介在する余地など、どこにもなかったといっていい。
そんな過去に比べて今、言葉を交わしながら触れ合っていることが、たまらなく恥ずかしい。どう反応すればいいか分からないだなんて、およそ初めての経験だった。
慣れない展開に上手く言葉を操ることすらできず、固まってしまった臨也を見つめて、静雄がふっと微笑む。
臨也の前では、まずまともに笑うことのなかった静雄のその表情に、臨也の心臓がまたどくんと音を立てて逸った。しかも、静雄の掌はその上に置かれたままであり、全てを見抜かれているのかと思うと、本当に身の置き場がない。
「シ、ズちゃん」
「ん?」
「手……、どけてよ」
小さな小さな、蚊の鳴くような声で懇願する。
「なんで」
「なんでって……」
問われて、臨也は返答に窮した。
女性ではあるまいし、たかが胸の上に手を置かれた程度で、恥ずかしいだなどとは到底口に出せるものではない。
でも現実問題として、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしい。
どうにもできないまま、ぎゅっと口を引き結んで、僅かに目線の低い静雄を見下ろしていると、またもや静雄が微笑んだ。
「お前、そういう顔もできたんだな」
「そ、ういう顔って」
正直、憤死すること確定な説明など聞きたくなかったが、条件反射的につい言い返してしまう。
「そういう顔」
それに対し、静雄は臨也の目元をぺろりと舐めただだけで、それ以上の説明をしようとはしなかった。
そのことに臨也は少しだけほっとするが、しかし、『そういう顔』を静雄の眼前に晒していることには変わりない。居たたまれなさから逃れたくて、小さく身じろぎすると、背に回されていた静雄の腕の力がわずかに強くなった。
「シズちゃん……」
咎めるというよりは途方に暮れた声で名前を呼ぶと、今更だろ、という言葉が返る。
「俺と何度、こういうことしてんだよ」
「……回数の問題じゃないよ……」
先程の勢いに駆られたSEXも過去のいずれの経験とも違っていたが、今はまた話が違う。決定的な言葉だけは互いに吐いていないものの、それ以外の全てを暴露し合った直後に感情の高ぶりを抑え切れず、また寝室に戻ってきての行為である。
何もかも勝手が違うし、相手のしぐさの一つ一つにこみ上げる感情も、また色合いが違う。冷静に受け止めて対処しろという方が無理だった。
だが、ぐるぐる考えている臨也の空気を、静雄は全く読む気はないらしい。
「まあ、俺も初めて、お前を可愛いと思ったけどな」
その暴言に、さすがの臨也も絶句する。
静雄がおかしくなったのか、それとも情緒に欠ける彼にもそう言わせるほどの表情を自分が晒してしまったのか。
後者だったのなら、本当にどうすれば良いのだろう。思い切り殴ったら記憶を失ってくれたりしないだろうか。しかし、過去十年間どう手を尽くしても倒せなかった化け物を、一体どうやって昏倒させればよいのか。
「それ、シャレになってない」
さすがに本気で死にたくなりながら、かろうじてそうとだけ言い返し、手を伸ばして静雄のフランネルシャツの襟元を掴み、引き寄せて口接ける。
言葉の応酬で負けを認めるのは癪だったが、しかし、このまま放置していては余りにもダメージが大き過ぎる。
「も、いいから、続きしよ?」
ともかく黙らせたくて、そう囁くと、静雄はどこか感心したような得心したような顔でまばたきした。
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