ある晴れた日に 04

 熱い唇がゆっくりと首筋を辿りながら降りてゆく。そして首と肩の境目に、かぷりと甘く歯を立てられて、ああ同じだ、と臨也は安堵する。
 静雄の愛撫の手順は、三年前と何も変わっていなかった。そのことが不思議に嬉しくて、安心する。そんな自分に内心で苦笑しながら、臨也は静雄の少し痛んだ金の髪に指を差し入れて、ゆったりと梳いた。
 余裕などない、と言った割には、静雄の動きは優しかった。
 性急さが全く感じられないわけではなく、戯れるような余裕は無さそうだったが、決して乱暴ではない。
 だがこれは、昔から、というより、一番最初からそうだった。
 一番最初に誘い込んだのは臨也の方だったが、その時は路上での殺し合いの延長のような、レイプまがいのSEXになるだろうと予想していた。
 それでも構わない、どうしても傷付けられないこの男の胸の奥に焼印を押せるのならば、と思って仕掛けた辺り、当時の自分がかなり追い詰められ、いかれていたことは臨也自身も分かっている。
 だが、蓋を開けてみれば、静雄は乱暴なことは何一つしなかった。
 不器用な性格だから、過去の女性相手の経験をそのまま応用したのかもしれない。壊さないように、傷つけないように。そう気遣っているとしか思えない慎重な手つきで触れ、最奥を暴(あば)いて体を繋いでからも、無茶はすることなく、臨也を絶頂に導いてから自分も達した。
 無論、その間に睦言めいた言葉は一言も無かったし、キスも一度しかしなかった。
 それでも臨也は予想外の結果に呆然とし、相手の不可解さに対する嫌悪と憎悪を更に募らせたのだから、今から思い返しても本当に救い難い。
 だが、一番最初のSEXが予想通りの苦痛のみのものであったなら、性的な関係はそれきりで終わっていたはずなのだ。肉を切らせて骨を絶つ。そんな捨て身の作戦は、一度決行したら終わりだ。何度も試みるほど、臨也は被虐気質ではない。
 最初で最後。そう事前に思い定めていたのに、その後もずるずると回数を重ねたのは、間違いなく彼とのSEXが気持ち良かったからだった。
 或いは、三年の月日を経た今、素直に認めるのなら、睦言の一つもない夜の中で、静雄の愛撫だけはその文字通り、確かに優しかったからだった。
 あの頃は自分の心さえ理解できずにひたすら苛立っていたが、本当は、その一滴(ひとしずく)の優しさが欲しくて必死に縋り付いていただけなのだと、今なら素直に認められる。
「──っ、ん…くすぐったいよ……」
「それだけじゃねぇだろ」
 臨也の受け止め方がどうあれ、相変わらず静雄の愛撫はやわらかく、優しい。
 Vネックセーターの裾からもぐりこんだ指の長い大きな手が、脇腹を撫で上げる。その感触に身をすくませながら、臨也は唇に落とされるキスに応えた。
 案外に前戯に時間を掛ける手順は変わらない。けれど、昔はこんな風にしつこくキスはしなかったな、と思う。
 そもそも、部屋になだれ込むなり濃厚なキス、という流れ自体が、過去には一度もなかった。キスをしたことがなかったわけではないが、行為の最初から最後まで、互いに相手の出方を探り合うような、張り詰めた緊張感が漂っていたと記憶している。
 だが、今日はそれが無い代わりに、言葉にしがたい、敢えて表現するなら煮え立った糖蜜のような緊迫感が二人の間に張り詰めている。
 どちらが先に、その煮え立った甘さの中で融けてしまうのか。或いは、二人共になのか。
 分からない、と思ううちにも感じていたくすぐったさが、ある一瞬を境に甘いものにすり替わって、ああ、と臨也は無意識に安堵の息をついた。
 もう大丈夫だった。久しぶりの行為に一抹の不安が無かったといえば嘘で、けれど、身体のスイッチは入ったから、後は何をされても気持ちよく感じられる。心のままに欲しがることができる。
「シズちゃん……」
 その想いが滲んだのか、名を呼ぶ声は自分でも分かるほどに甘ったるくなった。すると、報復のように胸元に軽く歯を立てられる。
 小さな尖りを甘く噛まれ、舌先でつつかれて、ぞくぞくとするような快感が背筋を走った。
 絶え間なく生まれる快感は熱に変わり、体の中心へと集まってゆく。身体の線にフィットしたジーパンの前が苦しく感じられてきて身をよじると、脚と脚の間に入り込んでいた静雄の太腿に、ぐ、とそこを押されて、臨也は脳天まで突き抜けた快感と苦しさに小さく呻いた。
「もうキツそうだな」
 そう呟かれて、揶揄するつもりかと臨也は閉じていた目を開く。だが、予想に反して、静雄は 情欲に彩られた、どこかぼんやりとした印象の表情をしており、臨也の視線に気付くと、何だ、というように小さく目を動かす。
 臨也は何でもない、とごく小さく首を横に振り、ジーパンのボタンを外し、チャックを下ろした静雄の求めに応じて腰を浮かせる。するりと下着ごと脱がされて、布地による圧迫感が無くなった開放感と、肌がほんのりと冷えた空気に触れる感覚に、ぶるりと身体が震えた。
「寒いか?」
 目敏くそれに気付いたのだろう。気遣う声を静雄がかけてくる。
 こればかりは、昔は無かったことだ。愛撫は優しくとも、暑い寒いを気遣われたことは過去に一度も無い。彼もまた変わったのだと改めて思いながら、臨也は小さく首を横に振った。
「平気……エアコン入ってるし」
「なら、いいけどよ」
 そう言いながら触れてくる手のひらは温かい。狭いアパートで身体を重ねていたあの頃、唯一認めることができていたのは、この温かさは嫌いではないということだけだった、と思い返しながら臨也は目を閉じて、再び全てを委ねる。
 核心には触れることなく、周囲をゆるゆると撫でる手指の感触の心地良さに浸っていると、不意に、なぁ、と呼びかけられた。
「この三年間、誰ともしてなかったのか? 女とも?」
 その思いがけない問いかけに、臨也が目を開くのと、熱く張り詰めた中心に静雄の長い指が絡むのとは同時だった。
「……っ、な…にを……っ」
「なぁ、答えろよ」
「そ…んな、無茶…っ…」
 全体を包み込むようにした手指で急所をゆるゆると上下に扱かれて、平然としていられる若い男がいるわけがない。臨也も例外ではなく、そこから生まれる目の眩むような快感に背筋をのけぞらせて喘ぐ。
 だが、静雄は求めを引っ込めることは無かった。
「臨也」
 響きのいい低音で名前を呼ばれて、臨也は何故か無性に泣きたくなる。どうにかしてその衝動を押さえ込もうと、懸命に目を開けて、静雄を見上げた。
「シ…ズちゃんは、どう…なんだよ……っ」
 自分にばかり答えさせるのはずるい。少なくとも、他の男とは寝ていないことは既に明かしたのだから、次はそっちが先に答えろとばかりに要求すると、静雄は臨也をじっと見つめたまま、ゆっくりと唇を動かした。
「してねぇよ」
 その短い、端的な返答に、臨也の胸のうちに込み上げたものは何だったのか。
 見極めが付く前に、静雄が続ける。
「元々、女なんざ俺には寄ってこねぇしな。寄って来ても、ガキばっかだしよ」
「あの…金髪美人の、後輩ちゃんは……?」
「あいつもガキの一人だ。俺は年下は、そういう目じゃ見れねぇ」
 でも、と臨也は思う。
 取立ての仕事で繁華街を回っていれば、好みの年上美人に出会う可能性だって少なくは無いだろう。その中の幾人かは、興味本位であったとしても、静雄の強烈な都市伝説と、それとは全く裏腹の端整な外見に惹かれたはずだ。
 なのに、誰にも応えなかった。
 誰にも触れなかった。
 そのことを、どう解釈したらいいのだろう。
 喜んでもいいのだろうか。込み上げる気持ちのままに、泣いてもいいのだろうか。
 そう惑った臨也の思考を更に乱すように、ゆるゆると動いていた静雄の指の動きが変わる。
「──っふ、っ、あ、あぁ…っ、や、だぁ……っ!」
 熱の先端を包み込むようにして、親指と人差し指でなめらかな薄い肌をくりくりと可愛がられる。そこから生まれる快感に耐え切れず後から後から溢れ出す先走りが濡れた音を立てて、鼓膜からも臨也を犯してゆく。
「やだじゃなくて、答えろよ。俺は答えただろ」
「そんな…の…っ、無理……!」
 内容が、ではなく、筋道の通った言葉で説明することが、どうしてこの状態でできると思うのか。
 だが、静雄は容赦しなかった。
「ローションなんて殆ど要らねぇんじゃねぇか、これ」
 そう言いながらも、開いている片手だけで器用にローションのボトルのキャップを外し、透明な粘液を臨也の熱の先端にたっぷりたらす。
 室温のままのひんやりとした粘液が先走りと交じり合い、とろりと幹を伝い落ちてゆく感触に臨也は耐え切れず、細い泣き声を上げた。
「やだ…っ、や……! シ…ズちゃんっ、手、離してよ……っ!」
「だから、答えろっつってんだろ。早く答えねえと、どんどんキツくなるぜ」
「何を……っ!?」
 何を言っているのかと混乱したまま問おうとした時、最奥にぬるりと触れてくる感触があった。
 肌に触れてほんのりと温まった粘液で、既にそこは触れれば水音を立てるほどに濡れている。そこを丸く撫でる、指先の感触。
 この三年間、誰にも触れられなかったそこに静雄の指を感じて、臨也はたまらず目をきつく閉じた。



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