※『DAY DREAM -Promised Love-』の続きです。
DAY DREAM -My Dearest-
夜更けの道を、ふわふわと歩く。
その感覚が臨也は嫌いではなかった。
春は既に盛りを過ぎ、立夏は目前だが夜の空気は、まだ体から温もりを奪う。多少のアルコールは体内に入っているが、それでも肌寒さを少しだけ感じる。風がないだけマシだが、体感温度は十五度を少し超えるくらいだろう。
もう少し暖かいといいのにな、と思った時。
不意に隣から伸びてきた手に、右手首を軽く捕まれた。
え、と驚く間にその手は掴む場所を少しだけずらし、臨也の指と手を搦め捕る。
一回り大きなその手は温かく、じわりと温もりが染み込んできて。
シズちゃん?、とまなざしを向ければ、少しだけ照れ臭そうな顔をした静雄と目が合った。
「誰も見てねぇよ」
言われて、確かに、と思う。
ここは西新宿であって新宿東口ではない。ましてや連休中の中日であれば、官公庁街であるだけに、殊更に大通り以外は人通りが少ない。一本中に入った細い道を歩く自分達の周囲には、誰も見当たらなかった。
だが、そういう問題ではないのだ。
重なる手。
家の中に居る時ならまだしも、屋外で手を繋いだのは、これが初めてだった。
よく見知った手の形、馴染んだ体温と感触なのに、これは一体なんなのだろう。
今初めて、恋人の温もりを知ったかのように、心臓の鼓動が逸る。
それを、シズちゃんが照れた顔するから悪い、と臨也は断じた。
普段は可愛いだの好きだの、平然とした顔で言いまくりのくせに、何故ここで照れるのか。そんな顔をされたら、俺まで恥ずかしくなるだろ!、と心の中で罵倒するが、音声にはならない。
じわじわと温もってくる指先に、どうしようとうろたえながらも、ただ手を引かれて歩いていると、なあ、と静雄が呼んだ。
「本当にプレゼントとか、何にもいらねぇのか」
その言葉に顔を見直せば、静雄はじっとこちらを見つめている。
わずかなごまかしも見逃さないと言いたげなその目に、臨也は少しだけ困った。
「前向いて歩かないと、こけるよ」
「誰がそんなこと訊いた」
「でも事実じゃん」
そう口答えすれば溜息をつかれ、繋いだ手の指に絡む力が少し強くなった。
「お前って、うざい割には、具体的にはあれ欲しいこれ欲しいって言わねぇよな」
「……別に、欲しいものがあれば自分で買うし、わざわざプレゼントとか……」
「俺は嬉しかったけどな。お前が買ってきた箸とか湯呑みとかスリッパとか」
日常品じゃん、と言おうとして声が詰まる。
二人で一緒に暮らすことを決めたのは、今から一月ほど前のことだ。
翌日から臨也は、部屋の物件探しと同時に、新居用の家具や小物を買うのにも夢中になった。
幸か不幸か、静雄はそういった物品には何のこだわりもなく、特に家具については「お前が選べ。良し悪しとか、俺には分かんねぇし」と一任してくれたため、それはもう張り切った。家具屋に入り浸り、カタログや材料見本を片っ端から取り寄せて、吟味に吟味を重ねてベッドやソファーやテーブルセットを揃えたのである。
そして、今度はそれに合わせて、次から次に小物を買った。
臨也の部屋を訪れるたびに増える小物に静雄は呆れた顔をしながらも、お前が楽しいんならいいんじゃねぇの、といかにも彼らしい鷹揚さで、それを受け入れてくれた。
そうして引越しして新生活を始めた今、静雄は文句を言うこともなくそれらの全てを使っている。
だが、嬉しかった、というのは初耳だった。
「嬉しかった、って……必要なもの揃えただけだろ。別にプレゼントしたわけじゃ……」
「でも、お前が俺のこと考えて選んでくれたもんばっかだろ。嬉しかったし、はしゃいでるお前を見てるのも楽しかった」
「はしゃいでなんか、」
「すげぇ浮かれてたっての。でも、そういうお前を見てると、俺もすげー楽しみになってきてよ。お前んち行く度に段ボール箱が増えてくのが嬉しかった」
「そんなの……」
言いかけた言葉が続かない。
そんな風に受け止めていてくれたのか、と思う。
確かに新生活の準備に夢中になっていたのは事実だし、端から見れば、浮かれていたとかはしゃいでいたとか言われても仕方がないかもしれない。
だが、一方で、やり過ぎているのではないか、という気持ちが頭を掠めないでもなかったのだ。
静雄は持ち前の暢気さで、自分の好きにさせてくれているが、本当は呆れているのではないか、うんざりしてきているのではないかと。
なのに、そうではないと静雄は言う。
嬉しかった、楽しかった、と。
「けどよ、今はうちン中、全部ぴかぴかで何でも揃ってるだろ。だから、お前に何をやりゃいいのか、考えても全然思いつかなかったんだよな」
「シズちゃん……」
「なあ、本当に欲しいもんとかねぇのか」
重ねてそう問われて、臨也は本当に途方に暮れた。
どう言えば静雄に伝わるのだろう。
多分、全てを正直に言ってしまえばいい。でも、どうやったらそんな真似ができるのか。
窺うようにちらりとまなざしを向ければ、静雄は相変わらず真っ直ぐな目でこちらを見ている。だが、その目は途方に暮れているようにも見えて、いよいよ臨也は進退窮まった。
そんな目をさせたいわけではない。
困らせたいわけではないのだ。少なくとも、今夜は。
「……何か欲しいのかって言われたら、ない、って答えるよ」
考え考え、臨也は言葉を喉から押し出す。
「シズちゃんの言う通り、今、うちには何でも揃ってるし。これが何年か経てば、新しいフライパンが欲しいとか言うかもしれないけど」
「フライパンを誕生日プレゼントにしろってか」
「だから、そういうこともあるかもって譬え話だってば」
こういう会話は苦手だ、と思った。
いつもの軽い調子のやりとりや、静雄にちょっかいを出す時なら、これ以上ないほどスムーズに言葉が出てくる。だが、自分の心情を正直に語るのは、本当に不得手だった。
何をどこまで話せばいいのか分からないし、どんな言葉を使えば、真っ直ぐに伝わるのかも分からない。
そのくせ、何もかも知られるのも嫌だと思うから、途方に暮れる羽目になる。
でも、今、静雄は彼に出来る目一杯の気持ちを向けてくれている。できる限りそれに応えたいと思う気持ちも本物だったから、更にバランスが難しかった。
「……何でもいいよ、俺は」
「あ?」
懸命に言葉を選び選び、紡ぎ出す。
プレゼントが要らない、というわけではない。
ただ、何が欲しいと言えないだけなのだ。
「さっき、シズちゃんが言っただろ。俺が君のこと考えて買った小物が嬉しかったって。──同じ、だよ」
「俺は、君が俺にあげたいと思ってくれたものなら、多分、何でも……嬉しい」
たとえば、それが丸い石ころでも、ドングリの実でも、道端の花でも、飴玉一つでも。
何を寄越すのだと呆れた顔をしながらも、それでも、こっそりと机の引き出しの中にしまうだろう。花なら写真に残して保存するだろう。
だから、何が欲しいとは言えないのだ。何をもらっても、ガラクタを宝物にしてしまう幼児かカラスのように、きっと物の価値など問わずに、嬉しいと喜んでしまうのが目に見えている。
どれほどこの恋のために愚かになっているのかと、自分でも呆れてしまうが、それが掛け値なしの真実だった。
「それに、今日はシズちゃん、わざわざ休み取ってくれたじゃん。……この一年半、君が取った有休は全部、俺のためだろ」
あの運命の分かれ道となった霧雨の夜、発熱したノミ蟲を部屋に連れ帰って看病するために、休みを取ってくれた。
今年の一月末にインフルエンザで倒れた時も同じだ。彼の誕生日をふいにしてしまったのに、怒らなかった。それどころか、元気になったらどこかに美味いものを食べに行こう、と約束してくれたのだ。
そんな小さな出来事を一つ一つ積み重ねて一年余りを過ごしてきた。
だから、彼にどれほど大切にされているか、知っている。
どんなに愛されているか。
自分も、誰よりも何よりも彼を愛しているから、分かる。
「一緒に暮らして、会社の稼ぎ時にわざわざ休み取って。これ以上何する気だよ」
うつむき加減にそう告げると、静雄はぴたりと足を止めた。否、先程から段々速度が落ちていって、それがとうとう時速ゼロになったのだ。
「シズちゃ……」
どうしたのか、と顔を上げかけると。
それよりも早く、繋いだ手を引かれ、胸に抱き込まれた。
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