※街角シリーズの二人が付き合い始めて、1年ちょっとが過ぎた頃のお話です。
DAY DREAM
-Promised Love- 01
「じゃあ、ここで失礼します」
「おー、また明日な」
交差点の角で静雄はトムに別れを告げ、駅へと足を向ける。
いつもより幾分ゆったりとした足取りで歩きながら、何か買って帰ろうか、と考えた。
だが、プリンも杏仁プリンも最近、というか、ここ十日くらいの間に食べたばかりだった。同じものばかりを買って帰れば、少々皮肉を込めたからかいを受けるのは目に見えている。
「……いちご大福、今年はまだ食ってねぇな」
何となく思いつき、さて、と思案する。
池袋周辺にもいちご大福を扱う店舗は幾つかあり、有名なのは、池袋の中心から少し離れるが、護国寺にある群林堂だ。
しかし、地下鉄の駅二つ分の距離がある上に、今日はもう少し遅い。まだ店が開いていたとしても、評判が高いだけに売り切れている可能性も高いだろう。
「デパ地下で手を打つか」
少しばかり高くつくが、目玉が飛び出すほどの値段でもない。四つばかり買ったところで、千円を少し超えるというところだ。
よし、と気持ちを定めて、静雄は駅に向かう足を心もち速める。宵の口の駅へと向かう道は、やはり人通りが多い。
池袋の都市伝説となっている静雄ではあるが、キレるのは気に食わないことがあった場合のみ、という『常識』も同時にまかり通っているため、普段歩いている分には、そうそう滅多なことはない。
そして、都市伝説を知らない輩から見れば、ただのバーテン服のチンピラっぽい青年であるため、こんな時間帯では普通にスルーされるのが常である。
色々と騒動は起きるものの、生まれた時から住んでいた街であり、居心地は悪くない。いつか田舎暮らしをしたいという願望はあっても、静雄はこの街のことが好きだった。
「なのに、何の因果でこんなことになっちまってんだか……」
西武百貨店の地下食料品売り場で目当てのものを見つけて買い、JR線のホームへと向かいながら静雄は苦笑する。
山手線のホームへ上がり、来た電車に乗ってドア近くに立ち、宵闇の中に光る街明かりをぼんやり眺めていれば、新宿までは直ぐだ。ラッシュ時の人の多さに顔をしかめつつも、キレるほどのことは何もなく、静雄は電車を下りて西口から外へと出た。
さすがに葉桜の新緑も目に鮮やかなこの頃合となると、夜風もほんの少しではあるが、ぬるい。雨が近いのかもしれないな、と上空に目を向けながら歩道を歩くこと十五分。
白っぽい外壁の高層マンションのエントランスにカードキーを通して、静雄は中に入り、そのままエレベーターに乗って、最上階まで上がった。
ほどなくやわらかく上品なチャイムが鳴り、エレベーターのドアが開く。筐体から降り立てば、ほんの数歩先に瀟洒な玄関のドアがあった。
一応、インターフォンだけは鳴らしてドアにカードキーを通し、開錠する。
そして、室内に入れば、ニャア、と甘い声が出迎えた。
「サクラ」
ふかふかの玄関マットの上で、赤い首輪に金色の鈴を付けた生後三ヶ月ほどの黒い仔猫が両手両脚を揃えて座り、静雄を見上げる。
その金色を帯びたエメラルドグリーンのきらきらした丸い目に、静雄は相好を崩した。
革靴を脱ぎ、開いている左手でひょいと仔猫を抱き上げる。
すると、今度は奥から、「おかえり、シズちゃん」という声が届いた。
開け放したままだったドアから姿を現した臨也は、仔猫を抱いている静雄を見て笑顔になる。
「サクラね、シズちゃんが入ってくるほんのちょっと前に、玄関に出て行ったんだよ。君が帰ってくる時のエレベーターの音を覚えたみたい」
「へえ」
それはすごい、と静雄は胸元の仔猫を見つめる。
サクラは、少し前に静雄が拾った仔猫だった。まだ肌寒い春の夕方に、道端の植え込みの下でうずくまっていたのを、どうしても放っておけなかったのである。
だが、あいにく静雄が住んでいた池袋のアパートはペット禁止だったため、臨也と相談(というには少々揉めたが)した上で、二人で新しく部屋を借りることにしたのだ。
部屋を手配して引っ越したのは、まだ極最近のことで、二人が一緒に暮らし始めてからは、まだ二週間にもならない。
しかし、一年以上付き合い、デートは殆ど臨也の部屋での家デートだった二人にしてみれば、帰る所が一緒の部屋になっただけで、特に何かが大きく変わったわけではなく、これまでのところ問題らしい問題は一つも起きておらず、二人の生活は平穏そのものだった。
「猫って耳がいいんだってさ。車のエンジン音とか足音とかで、飼い主が帰ってくるのをちゃんと分かるんだって」
言いながら臨也は手を伸ばし、静雄からサクラを受取る。そして、サクラを抱いたまま、静雄が右手に持っていた紙袋の中を上から覗き込んだ。
「今日は何?」
「いちご大福。今年はまだ食ってなかったと思ってよ」
「あー、そういえば俺も食べてないかも。そろそろシーズン終わりだよねぇ」
「ああ、駄目だったら柏餅で手を打とうと思ってたんだけどな。まだあった」
「ま、年中売ってる店もないわけじゃないしね。そういう店では買いたくないけど」
じゃあ食後のお茶菓子に、と臨也はその紙袋をも静雄から取り上げ、至近距離から静雄を見上げた。
「で? 何か忘れてない、シズちゃん?」
「忘れてねぇよ。言う暇がなかっただけだ。……ただいま」
臨也の催促に苦笑しながら静雄は答え、そして触れるだけの軽いキスを交わす。すると、臨也は満足げに笑んで、静雄から離れた。
「とりあえず着替えてきなよ。で、夕食の支度、手伝って」
「おう」
一足先にリビングへと戻ってゆく臨也の後を追って、静雄も奥へ向かう。
十畳以上の広さのあるリビングには、ソファーとテーブル、テレビやオーディオのセットが置いてはあるが、まだ物が少なく、モデルルームのような雰囲気が残っている。
向かって右側にダイニングキッチンがあり、あとは洋間が三部屋と、二人で暮らすには十分過ぎるほどに広い間取りのこの部屋が、いわゆる二人の愛の巣だった。
二人暮らしなのに三部屋、というのは二人の微妙なこだわりである。
内訳は、寝室とそれぞれの私室であり、普段使っているのは、はっきりいって寝室だけだ。
静雄は自室に閉じこもるタイプではないし、臨也もまた、仕事は以前と同じ事務所でしており、この部屋には持ち込まないと最初に約束しているため、わざわざ部屋にこもる理由はない。
にも関わらず、それぞれに部屋を用意したのは、喧嘩をした時の避難場所としてだった。
とにかく愛情はあっても二人の性格は水と油であり、相手に少々腹を立てるレベルの小さな喧嘩は、付き合い始めてからのこの一年間で幾度もしている。頻度で言えば月に一回近い。
そんな関係であるのに、それぞれの私室がなかったら、喧嘩をした場合、家の外に出て行くしか選択肢がなくなる。それはまずいだろう、というのが二人の一致した意見だった。
内鍵のかかる自室があれば、とりあえずはそこに篭城すれば良いし、鍵本体をリビングに置いておけば、相手が餓死する前に救出できる。
静雄の方は、家賃的に少し贅沢なのではないかと気にしたのだが、臨也と暮らすためには必要な経費だと直ぐに割り切り、渋い顔をしたのは物件探しのほんの初期だけだった。
そして、今のところは部屋の内鍵を使うこともなく、二人と一匹は仲良く暮らしている。
何もかもに満足の日々是好日、というのが今の彼らを表す言葉だった。
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