「お前も結構、料理できんだな」
「……シズちゃんさぁ、俺のこと何だと思ってるの? 悪いけど、俺、シズちゃんよりは生活能力あると思うよ?」
「風邪でぶっ倒れてたくせに」
「あれは特別。普段はそんなヘマしないよ」
「一度でもヘマはヘマだろ」
「体力馬鹿の君と一緒にしないでよ。俺は人間で、しかも繊細なの」
「どの面下げて繊細だなんて言いやがる」
「この面だって。とにかく、俺は家の中のことは全部できるんだよ。積極的にやるほど好きじゃないけどさ」
「……みたいだな」
料理をする臨也の手つきは、確かに慣れたものだった。昨日今日に料理を始めた者の手際ではない。そういう意味では、静雄といい勝負だった。
「俺としてはむしろ、シズちゃんができる方が意外」
「ンなもん、ガキの頃から手伝ってりゃ普通にできるようになるだろ」
「────」
「何だよ」
「シズちゃん、家の手伝いとかしてたの?」
心底不思議そうに聞かれて、静雄は少しだけ答えに迷った。
だが、溜息をついて鍋をかき回しながら口を開く。
「……うちは母親もパートで働いてたからな。俺はこんなだし、せめて自分にやれることはやろうと思ったんだよ」
静雄は、本人の性向とは少し別のところで、両親に迷惑をかけることしかできない子供だった。
だが、そんな静雄に対し、両親は一緒に悲しんでくれはしても決して怒らなかったから、せめて、できる範囲で良い子でいようとしたのだ。
学力的には大学進学も別段、難しくなかったのに、敢えて就職の道を選んだのも、一日でも早く自立したかったからだ。
とにかく、親に迷惑をかけない存在になりたかった。
それが成功しているかどうかは分からないが、今はもう親に損害賠償がゆくこともないし、盆暮れ正月に実家に顔を出せば、両親は手放しで温かく迎えてくれる。
静雄の気分としては、少なくとも、昔よりは今の方が幸せであることには間違いなかった。
そして、十代の頃の静雄の不幸の何分の一かの元凶であった男は、さすがに思うところがあるのか、ふぅんと他人事のように呟く。
「シズちゃんって結構、親孝行だったんだ」
「なんで過去形だよ。っつーか、孝行っつうほど何にもしてねぇよ」
「んー、でも俺の方は、親孝行云々以前に必要に駆られてだったからさ。まあ、親の海外勤務についていくのも嫌だ、家政婦を家に入れるのも嫌だって言った以上、自分でやるしかなかったんだよね」
「……そういや、高校時代にお前が一人暮らしだって聞いたことあったな」
「そうだよ。あの頃は妹たちも両親のとこに居て、静かだったんだけどねぇ。中学入学を期に帰ってきてからは、もう……」
「──九瑠璃と舞流が中学生、っつーと、お前はもう新宿に居たんじゃねえか? あいつらはどうしてたんだよ?」
「ああ、あいつらは素直に家政婦雇うのに賛成したから。俺も一応、時々は様子を見に行ってたし。まあ、最近はあいつらも更に余計な知恵をつけてきたから、極力、実家には寄り付かないようにしてんだけど」
「……実の兄妹でそれって、どうなんだよ」
「シズちゃんこそ、うちの妹たちを知ってて、よく言うよね。一遍、あいつらと暮らしてみれば分かるよ。あいつらと一つ屋根の下に居るのが、どんなに危険なことかさ。夜中に寝込みを襲われて、すっぽんぽんに剥かれて弄ばれても、俺は驚かないよ」
「──そんなことすんのか、あいつら?」
「しても驚かないってこと。とにかく俺の言葉は絶対に聞かないしね。触らぬ神に祟りなしってさ。近寄らないのが一番だよ」
「……お前も、妙なところで苦労してんだな」
「そーだよ。弟妹に関しては、正直、シズちゃんが羨ましいね。幽君が君を困らせることなんて、殆どないだろ?」
「あいつは出来過ぎだ。俺には勿体ねぇ弟だよ」
昔から真面目で優しい弟の姿を思い浮かべ、静雄は溜息をつく。
あれだけ賢い弟なのだから、こんな兄貴のことなどとっとと見限ってしまえば良いのに、未だに幽は、事ある毎に連絡を寄越し、気遣ってくれるのだ。
本当に申し訳ないとも思うし、ありがたいとも思う。
そんな風に久しぶりに弟に対する感慨に耽っていると、視線を感じた。
「何だよ?」
「別に? 俺は何も言ってないけど?」
言ってなくても、と思う。目は口ほどにものを言うという格言もあるのだ。
「──何、シズちゃん」
「……いや」
「何もないってことはないんじゃないの? 嫌な感じだなぁ」
陰険に絡んでくる臨也に、静雄は、気にするな、と自分に命ずる。
どうせ臨也が素直に認めることなどないのだ。──ほんの一瞬とはいえ、平和島幽の存在が気に食わなくなりました、などとは。
それを静雄が口にしたら最後、臨也の毒舌は救い難いレベルになる。
図星を指されて黙り込むのは、本当に限られた場合だけなのだ。言い返せる隙があれば、この男はとことんまで可愛げのない生き物になれるのだと、静雄は知っている。
だから、沈黙は金とばかりに臨也を無視して、食器棚から小皿を取り出し、完成の近付いたシチューを少量取り分けて、臨也に差し出した。
「──味見。手前が食いたいって言い出したんだぜ」
「…………」
臨也とても、その話題で引っ張りたいわけではなかったのだろう。すっきりしない表情をしながらも、小皿を受け取って口をつける。
そして、沈黙すること数秒。
「どうだ?」
「……すごーくムカついて不本意なんだけど、結構美味しい」
「そりゃ良かった」
その枕詞は何だ、と思いながらも、静雄はうなずく。
もともとホワイトシチューなどというものは、市販のルーなど使わなくとも、誰が作っても大きく失敗するものではないし、味も大きく変わるものではない。
それなら、この辺で良いかと、コンロの火を止めた。
そうして臨也を振り返ると。
どこか微妙な感じのする無表情が、静雄を見つめていて。
「──何だ?」
そう問いかけると、臨也はしばらく沈黙した後、溜息と共に言葉を吐き出した。
「何か、色々と面白くない。色んなこと全部。気に食わないとまでは言わないけどさ」
「……そうか」
おそらく、今更ながらに一緒に料理をしているという現実に、何だか理不尽なものを感じ始めたのだろう。
これまでの自分たちの関係や、臨也の性格を思えば理解できないことではなかったから、静雄も何となく納得してうなずいた。
それから、右手を伸ばして臨也の肩を掴む。
軽く引き寄せ、唇に触れるだけのバードキスを落として、小さく瞠られた瞳を覗き込んだ。
「慣れろ、全部。今すぐにとは言わねぇから」
そう言うと、臨也の瞳が小さく揺れて。
険がある、と呼ぶには、どこか切なさを含んだ目付きで静雄を睨んだ。
「シズちゃんの癖に生意気。その余裕ぶった態度、滅茶苦茶ムカつくんだけど」
「おう、好きなだけムカついてやがれ」
別に静雄とて、余裕というわけではない。ただ、臨也がどんな反応を返そうと、気持ちはもう変わらないという確信のようなものはあった。
鬱陶しいことを言ってこれば、ウザいとも面倒くさいとも思うが、それだけだ。時折、可愛らしい素振りを見せれば愛おしくなるものの、常にそれを求めようとも思わない。
捻くれて天邪鬼でどうしようもない、時には悪意の塊のような折原臨也、そのままでいいのだ。
だが当分、臨也はそれを認めようとはしないだろう。この先も散々に足掻き、無駄な抵抗を続けるに違いない。
けれど、それで良かった。
「とりあえず、食おうぜ。腹減ってきた」
「──分かったよ」
静雄が言うと、仕方ないとでもいうように臨也は溜息をつき、食器棚から皿を出し始めた。
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