* *
携帯電話の時刻を確かめ、そろそろかとアパートを出る。
自宅アパートから駅までは徒歩で十分ほどだが、そこへ行くまでに二箇所ばかり寄り道をする必要がある。
まずはと、静雄はレンタルショップへ向かった。
店内に入ると迷わず、旧作アニメのコーナーへ向かい、二本のDVDを手に取る。
いい年をしてアニメをレンタルするというのは、少しばかりの気恥ずかしさがあるが、それも繰り返すうちに薄れてきている。
毎回借りるのが、どちらかというと硬派なアニメ作品であることも大きいかもしれない。宇宙戦艦とか超時空要塞とかいう単語は、幾つになっても男のロマンを掻き立てるものなのだ。
ともかくも真っ直ぐにカウンターへ行き、貸し出し手続きを経て青い袋を受け取る。
そして店を出て、今度は真っ直ぐ駅へ向かうのとは一本違う通りへと足を向けた。
駅の近くにあるケーキ屋は、こじんまりとした綺麗な造りで、店頭に並んでいるケーキはどれも美味い。
特にプリンが美味しいのが、静雄としてはポイントが高くて、気に入りの店の一つだ。
ショーケースを眺め、さて、としばし悩む。
前回は月限定のフランボワーズが載った真っ白なレアチーズケーキを買っていったから、ローテーションとしてはプリン、なのだが。
「杏仁プリンの方が好きだって言いやがったからなぁ」
毎回ではないが、手土産を持って行く時には季節物のケーキとプリンを交互に買って行く静雄に、前回、臨也は少し呆れた口調で、「あの店なら、俺は杏仁プリンが好きなんだけど」と言ったのである。
それは意味合いとしては、リクエストと言うより嫌味に近かったかもしれない。
だが、言われたからには、それを買っていってやるべきなのではないか、と思う。人の家を訪ねるのに、相手の好物を持っていくのは基本だという程度の常識は、静雄も持ち合わせている。
しかし、問題なのは相手が臨也ということだ。
好物を買っていったところで、果たして普通に喜ぶものだろうか。「なんで俺の言うこと聞いてんの? 下僕志望なの?」とか、「俺の機嫌を取ろうとするなんて気色悪い」とか言われるのが関の山ではないのか。
それはそれで、非常に腹立たしい。
しかし、買って行かなかったなら行かなかったで、杏仁プリンが好きだって言わなかったっけ、と肩をすくめて言ってくるだろう。
「──ったく、面倒くせぇな」
そこまで考えを巡らせて溜息をつくと、静雄は注文を待っていた店員に杏仁プリンを二つ、頼んだ。
「杏仁プリンをお二つですね? 持ち歩き時間はどれくらいになられますか?」
「二十分くらいなんで、保冷材は無しでいいっす」
「はい、ありがとうございます」
そんなやりとりを経て、代金を支払い、手提げ袋に入った杏仁プリンを受け取って、店を出た。
そして、店を出たところで手提げ袋を見下ろし、一つ溜息をつく。
「何て言いやがるかな……」
しかし、買ってしまったものを返品するのも大人気ないし、きまり悪い。諦めて、静雄は駅に向かって歩き出した。
新宿駅で山手線を下り、西口を出て歩きながら、こうして臨也のマンションを訪ねるのも何回目だろうと考える。
少なくとも両手に余るだろう。何しろ、ヤマトのTV版を全て見終え、今はマクロスなのである。
静雄の仕事は不定休であり、平均して週に一度、唐突に休みが決まる。そして、この二ヶ月余り、そのほぼ全部を臨也のマンションを訪ねるのに費やしていた。
そのことに別に不満があるわけではない。
休日に家に居たところで、やることはないのだ。窓辺で光合成をしながら雑誌や本を読むか、昼寝するか、レンタルDVDを見るか、ともかくもぼんやりと過ごすのが常である。
だからといって、別に出不精でもないから、用があれば外出するのは苦にはならない。
そういう意味では、誰かの家でレンタルDVDを見るのは、ちょうどいい休日の過ごし方だった。
だが、しかし。
「臨也と、っつーのが未だに信じられねぇんだよな」
二ヶ月と少し前、池袋のレンタルショップで鉢合わせした折に、臨也が言った言葉には度肝を抜かれた。
正直なことを言えば、とうとう狂ったか、とまで思ったのだ。
それくらいに有り得ない言葉だった。──うちで一緒にDVDを見ないか、なんて。
だが、そう言った臨也自身が、自分の言葉が信じられないというように呆然としていたから、それで、逆に静雄はその言葉を信じる気になった。
加えて、そんなことを臨也が言い出したきっかけにも心当たりがあったのだ。
その十日程前に臨也に告げた、「お前が俺に『普通』をくれるんなら、俺はきっと、お前のことばかり考える」、という言葉だ。
無論、その言葉は即座に却下されたから、話は終わったものと思っていたのに、どうやら臨也の中には何かが残っていたらしい。
ともかくも、そんな成り行きで、半ば有耶無耶のうちに新宿の臨也のマンションで、肩を並べてDVDを見て。
挙句、終電を逃した静雄に、泊まっていけばいいと臨也は勧めたのである。
風邪の看病をしてもらった借りを返したいだけだと言っていたが、決してそれだけということはなかったはずだ、と静雄は思う。
それならそれで、もっと皮肉な言い方をしても良さそうなものなのに、その時の臨也の声には何の抑揚もなく、表情も静かな無表情だった。
勿論、その時は静雄も、無条件に信じて油断したわけではない。
だが、寝入って間もない頃に、一度だけ臨也の気配を近くに感じて意識が浮上したものの、臨也が何もしなかったために、そのまま再び深い眠りに落ちて、気がついたら朝だった。
そして、臨也の部屋で穏やかな時間を過ごしたという事実に奇妙な感動を覚えながら、帰ろうとした静雄に、臨也は再び、誘いをかけたのだ。
昔のアニメを一緒に見る気はないか、と。
そう言った時の臨也は、泊まってゆけばいいと言った時と同じ、無表情だった。
いつものニヤニヤ笑いも、毒に満ちたまなざしもなく、ただ静かな表情で、まっすぐに静雄を見つめていた。
だが、その透明なまなざしの底に、何かが見えたのだ。
かすかに、曖昧に揺らめく何か。
どこか不安定な色合いをしたそれに、静雄はうなずくことを決意した。
罠だという可能性を考えなかったわけではない。だが、臨也から差し伸べられたその手を振り払うのは、してはならないことだと脳裏で何かが告げたのである。
そうして応じれば、臨也も表情を殺したままうなずき、静雄の携帯電話に自分のアドレスを登録して、静雄を送り出した。
以来ずっと、休日毎の逢瀬が続いている。
その間、臨也は最初に約束した通りに、一度も静雄に対して挑発的なことを言わないし、肉体的な攻撃もしてこない。
ただ静かな無表情で静雄を部屋に迎え入れ、紅茶やカフェオレを淹れ、画面に向かって時々突っ込みを入れながらDVDを見て、終電を逃してしまった時には、当たり前のようにベッド代わりのソファーと毛布を提供する。
素っ気ないほどの対応だが、しかし、その行動の一つ一つに、何かがひそやかに覗くことに静雄は気付いていた。
───かすかに、曖昧に揺らめく、臨也が必死に隠している何か。
それが何であるのか、そろそろ静雄は確信を持ち始めている。
最初のうちは、うん?、と思うばかりだったが、回数を重ねてくれば、勘違いだろうかという思いも確信に変わってくるのは当然のことだった。
「でも、あの馬鹿は全然気付いてねぇよな……」
自分が必死に隠しているはずの何かを揺らめかせてしまっていることも、それに静雄が気付いていることも。
だから、当然のことながら、それに伴う静雄の心の変化にも気付いていない。
「お前のことばかり考える、って言ってやったのにな」
そんな風にぼやきながら、辿り着いた臨也のマンションのエントランスで、部屋番号を打ち込む。すると、十秒ほどの間があって、エレベーターが開いた。
それに乗り込み、最上階まで上がって筐体を降りる。
そして、目の前にある玄関のドアを開けた。
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