「……よう」
「いらっしゃい。今日も時間通りだね」
出迎える臨也は、今日も微笑未満の静かな表情だ。だが、静雄を捉えた瞳の奥で、何かがほのかに揺れる。
「これ、今日の分な」
それを見つめながら、手土産の紙袋を差し出すと、臨也は、またか、とでも言いたげな表情でそれを受け取った。
そして、静雄自身は応接セットのところへ行き、プラズマTVの電源を入れて、DVDプレイヤーの準備をする。
そうしながら背後を振り返れば、システムキッチンのカウンターの所で臨也が固まっていた。
「……杏仁プリン?」
「ああ。前にそっちの方が好きだっつってただろ」
当たり前のように答えると、白い箱の中を覗き込んだままの臨也は、毒舌を吐くどころか、更に固まる。
「……覚えてたの? 俺が言ったこと」
「──手前、俺を馬鹿にしてんのか?」
「あ、いや、別にそういうわけじゃないよ。ただ……シズちゃんは普通の卵のプリンが好きだろ。なのに、なんでって……」
「ンなの、俺の好みにばっかり付き合わせちゃ悪いと思うからだろうが。そこまで性格悪くねぇよ。手前じゃあるまいし」
「……でも、それならそれで自分の分はプリンにするとか、やりようがあるじゃん」
「それは俺もちょっと思ったけどな。何となく同じのにしちまったんだよ」
昔から、おやつは弟と同じものを一緒に食ってたからかもな。
そんな風に言ってやると、臨也は黙り込む。
その表情を殺した横顔は、しかし、静雄の目には明らかに途方に暮れていて。
───そんなに喜ぶことかよ。
正直、静雄は呆れた。
折原臨也という人間は、負の方向には非常に正直だが、正の方向には全くもって捻くれている。
ゆえに、気に食わない時には、感じている不快感の数倍の毒舌を浴びせかけるが、本当に嬉しい時には全く言葉を出せないのだ。
そのことに静雄は、一番最初に手土産を持参した時に気付いた。
その時の中身はプリンだったが、それでも臨也は絶句して、箱の中身を覗き込んでいたのである。そうして、やっと出てきた言葉は、「シズちゃんて本当にプリン好きだね」の一言だったか。
あっさりと「ありがとう」とでも言えば、その場は過ぎてゆくのに、それすらできない。
その捻くれ方を馬鹿だと思う一方で、ひどく可愛いと思ってしまったのは、一体どういう感情の作用だろうか。
だが、その時から確かに静雄の気持ちは動き始めたのであり、今も途方に暮れて、たった三百九十円の杏仁プリンを見つめ続け、ケトルが沸騰を知らせるかん高いホイッスルを鳴らした途端、はっと我に返って慌てて火を止める臨也が、ひどく可愛く見える。
「シズちゃん、ミルクティーでいい?」
「ああ」
静雄が答えると、臨也はティーポットの準備をし、そしてまた、どうしても気が惹かれてならないというように紙の箱を覗き込む。
それならそれで、嬉しそうな顔をすれば良いものを、ひどく困った顔をしているのが、また可愛らしいし、おかしい。
───本当にお前、馬鹿だろ。
静雄が見ているということにすら気付かない、その様子に自然に口元が緩む。
そのうちに臨也は小さく溜息をついて箱から視線を引き剥がし、てきぱきと紅茶の準備を整え、静雄を呼んだ。
「シズちゃん、これ持っていってよ」
「ああ」
すぐに応じてソファーから立ち上がり、ティーセット一式が載ったトレイをリビングへと運ぶ。
臨也もまた、スプーン二つをシステムキッチンの引き出しから取り出して、杏仁プリンの箱と共にリビングへとやってきて。
そして、二人はいつもと同じ距離でソファーに落ち着いた。
「あ、今回もちゃんとあったんだね」
「まぁな。今時、マクロスなんてそうそう借りてく奴もいねーんだろうよ」
「面白いのにねえ」
そんなことを言い合いながら再生ボタンを押し、ティーカップにミルクティーを注いで、杏仁プリンを食べ始める。
「やっぱりこの主題歌、何度聞いてもいいよねぇ。癖になる感じ」
「ああ」
うなずきつつ、静雄も久しぶりに食べる気のする杏仁プリンに、これはこれで美味いな、と思う。卵のプリンとは違う、ぷるぷるの弾力の喉越しが心地良い。
半分ほどを食べたところで、臨也はどうだろうと思い、横を見ると。
割合に真剣な顔で画面に見入りながら、一口一口、味わうように食べている。
その様子に、ああ本当に好きなんだな、と思った時。
視線を感じたのか、臨也がこちらを向いた。
「──何?」
そう聞かれたから、
「美味いか?」
そう問い返してやると、臨也の瞳がわずかに動く。
じっとこちらを見つめたまま、何と答えるべきか迷っているような沈黙を挟んで、臨也は短く答えた。
「……美味しいけど」
他に言い様もなかったのだろう。
それがどうしたんだよとでも言いたげな、素っ気ない答えに、しかし、静雄は珍しい素直さを感じて嬉しくなる。
「そうか」
そう答えた時の顔は、微笑んでいたのかもしれない。臨也は小さく眉をしかめ、ぷいと画面に視線を戻す。
そんな臨也の様子を視界の端に収めながら、静雄も画面を眺め、ゆっくりと杏仁プリンを味わった。
一本目のDVDが終わり、臨也は傍らに置いてあったリモコンを取り上げ、取り出しボタンを押した。
立ち上がって、次のディスクを入れ替え、それから静雄を振り返る。
「シズちゃん、何か食べる? ポテチとかならあるけど」
ピザ取ってもいいし、そんな風に声をかけながら、殆ど空になってしまったティーポットを確認してキッチンに戻ってゆく。
「いや、いい。そんなに腹は減ってねえ」
「そう。じゃあお茶だけね。なんか飲みたいものある?」
ケトルに水を注ぐ音と共に訊かれたから、少し考えて静雄は答えた。
「……カフェオレ」
「分かった。シズちゃん、結構好きだよねカフェオレ。コーヒーはそんな好きじゃないのに」
「コーヒーとカフェオレは全然別もんだろ」
「まあ、それは否定しないけど」
言いながらも、臨也はケトルを火にかけ、カフェオレの準備を始める。
その姿を眺め、分かってねぇだろうな、と静雄は心の中で一人ごちる。
甘党の静雄は普段、コーヒー系の飲料は殆ど飲みつけない。カフェオレであっても例外ではなく、紙パックのコーヒー牛乳がせいぜいだ。
だが、一番最初にここに来た時、臨也が出してくれたミルクたっぷりの甘いカフェオレは、驚くほどに静雄の味覚に合った。
以来、カフェオレが好きになったのだ。勿論、臨也の、という枕詞付きで。
それ以外でも、濃く淹れられたミルクティーはコクがあって抜群に美味いし、うんと冷え込む日には熱いココアを出してくれることもある。まかり間違っても、ブラックコーヒーなどは出てこない。
それは間違いなく、臨也の気遣いだった。
捻くれ者のことだから、静雄を喜ばせようとまでは思っていないかもしれない。だが、気分を害させないようにしようという程度のことは意識しているだろう。そうでなければ、説明がつかない。
本当にどこまで捻くれて、面倒な性格をしているのか。
臨也自身、疲れることはないのだろうかと、思わず余計な心配までしたくなる。
だが、それを口にすれば、臨也はおそらく、自分は正直だと言い張るだろう。それが負の方向に限って、ということは綺麗に棚に上げて。
───本当に面倒くさい奴だよなぁ。
そんな風に静雄が感慨に耽っているうちに、誰も見ていないプラズマTVの画面でマクロスのオープニングが終わり、本編が始まる中、程なくいつもと同じ手順で二杯分のカフェオレを淹れ終えた臨也が、二つのマグカップを手にソファーに戻ってくる。
そして、片方を静雄に手渡した。
「サンキュ」
「どういたしまして」
ソファーに腰を下ろした臨也の素っ気ない答えを聞きつつ、静雄は湯気を立てるカフェオレを一口、啜る。
いつもと同じ、じんわりとした甘さとコクと香りが口の中いっぱいに広がり、ひどく満ち足りた気分になりながら、静雄は「美味い」と呟いた。
そして、隣りに座る臨也を見やれば、画面を見つめたまま、「そう」と短く返す。
だが、その瞳がかすかに揺らいだのを静雄は見逃さなかった。
いつもそうなのだ。
一番最初にカフェオレを飲んで、同じ言葉を告げた時は、もっとはっきりと驚きの色を浮かべていたが、基本的にそれは今も変わらない。
静雄が告げる「美味い」という言葉を、毎回驚きと共に受け止め、少しだけ迷ってから、そっと心の奥底にしまい込む。
そんな心の動きが、感情を殺したポーカーフェイスの透明な瞳の奥に覗く度、静雄は臨也がひどく愛おしくなるのだ。
───たったこれだけの言葉でそんなに喜ぶなんて、一体どれだけ俺のことを好きなんだよ?
───一体いつから、そんなに俺のことを好きでいてくれたんだよ?
───なあ、
「臨也」
名を呼んで。
何かと振り返った顔に自分の顔を近づけ、そっと唇をついばむ。
ごく軽く触れただけなのに、薄い唇はひどくやわらかく、甘かった。
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