「さっきだってそうだぜ。俺が買ってきた杏仁プリン見て、固まってただろうが。なんで、あんな一個四百円もしない菓子で固まるんだよ」
「!」
小さく含み笑いながら指摘すると、まさか気付かれているとは思わなかったのだろう。ぴくりと臨也の肩が反応する。
「媚を売るなんて気持ち悪いとか言われるかと、俺は思ってたんだぜ。だから、ケーキ屋でも散々迷ったってのによ」
「それは……怒らせるようなことは言わないって、最初に約束したからだろ。心の中では思ってたよ、シズちゃん馬鹿じゃないのってさ」
「だから、その約束をお前が守るなんて、俺は思ってなかったんだよ。ここに泊まる時も、いつお前が寝首をかきに来るかと思ってた。でも、お前は夜中に俺の近くに来ても、本当に何にもしなかっただろ」
「──気付いて、たの?」
「気付くに決まってんだろ、お前が近付いて来たらよ。まあ全然嫌な感じがしなかったから、ちゃんと目が覚めるほどじゃなかったけどな。でも、お前が近くに居るなってのは、半分寝惚けてても分かってた」
「そんなの、シズちゃんの寝顔が間抜け過ぎて、殺す気が削がれただけだよ」
「でも、何にもしなかったんだから、それがお前の答えだ」
ああ言えばこう言い返してくる臨也に、いつもならとうにキレているはずだった。
なのに、今は必死に言葉で抵抗している様が、ただ可愛いと感じる。
そして、静雄は想いのままに、ぎゅっと臨也を抱き締める腕に力を込めた。
「悪かった。これまでお前をきちんと見てやらなくってよ。目を背けるばっかじゃなくて一歩踏み込んでりゃ、もっと早く分かってやれたのにな」
心の底からそう思いながら、詫びる。
臨也がいつから自分のことを想っていたのかは分からない。だが、そちらを見ようとしない静雄の態度に、悲しく辛い思いをしていたのは事実だろう。
勿論、臨也の自業自得の部分が殆どだが、それでも、静雄は自分の責任について考えないではいられなかった。
そんな風に申し訳なく思う腕の中で、臨也の細い肩が小さく震える。
「何、言ってるんだよ……俺は、別に……」
ようよう紡ぎ出したような声はかすれて、途切れ。
そしてそのまま、臨也の顔がぎゅっと胸元に押し付けられるのを静雄は感じた。
体が震えるのをどうにか抑えようとするかのように、臨也の手がワイシャツの脇腹の辺りをきつく握り締める。
───本当に悪かったな。ずっと気付いてやれなくて。
そのひどく頼りない背中を、ゆっくりと撫でてやりながら、静雄は真摯に告げた。
「お前に俺の『特別』をやるよ、臨也。お前は俺を『特別』だと思っていてくれるんだろ。それと同じものを、お前にやる」
そう言い終えた途端、臨也の肩が大きく震える。
言葉は無い。代わりに、いっそう強く胸元に顔が押し付けられた。
───馬鹿だな。声出して泣いたって、笑いやしねぇのによ。
その意地っ張り具合に、更に愛おしさが増す。
そうして腕の中に、臨也の温もりを宝物を抱くように抱き締めていると、やがて少しだけ落ち着いたのか、いつもと同じような調子で臨也が口を開いた。
「──俺を可愛いとか、シズちゃんは目が腐ってるよ」
「腐ってねぇよ」
「特別なんて言って、どうすんの。俺、しつこいよ? そんな風に言われたら、この先一生、付き纏うかもよ?」
「お前がしつこいのは分かってる。でなきゃ、八年以上も俺に突っかかってくるかよ」
「何それ。本当にシズちゃん、馬鹿じゃないの。それともマゾなの?」
「少なくともマゾじゃねえよ。まあ、お前がいいっていう時点で、馬鹿っつーのは否定しにくいし、趣味が悪いとは思うけどな」
「趣味悪くて馬鹿なんて、最低じゃん」
「……それはつまり、手前が馬鹿で趣味悪いってことだろ」
「はあ? 何で俺が……」
「俺がいいっつー時点で、手前も馬鹿で悪趣味なんだよ」
「は? 俺が一体いつ、君がいいなんて言ったんだよ!?」
「──言って……はないか。でも、言ったも同然だろ」
つーか、これだけしがみ付いといて何言ってやがる。
そう言ってやると、臨也はぐっと黙り込む。
しょうのない奴だなと、静雄は小さく笑って、
「臨也、顔を上げろ」
と、あやすように背中を軽く叩いて促した。
しかし、臨也は益々顔を押し付けてくるだけで、まったくこいつは、と思いながら横目で見れば、髪の間から覗く耳は真っ赤に染まっていて。
「仕方ねぇな」
この分だと、日が暮れても臨也は顔を上げようとはしないだろうと踏んだ静雄は、溜息をついて、臨也の両肩を掴み、べりと引き剥がす。
そうして顔を覗き込むと、ものすごい目付きで臨也は睨んできた、のだが。
肝心の目元は涙に潤んでいるのに加えて上目遣い、顔も真っ赤では、むしろキスでもして甘く宥めてやりたい気分にしかならないのは、もはや当然のことだった。
「……あのな、そんな顔で睨み付けるのに、一体何の意味があるってんだ?」
呆れ果てながら、掴んだままの肩を引き寄せて、今にも涙が零れ落ちそうな目元に口接ける。
「臨也」
名前を呼ぶと、泣くな、という思いと、好きなだけ泣いてもいい、という思いが静雄の胸の中で交錯し、愛おしさに溶けてゆく。
その想いのまま、そっと顔を近づけると、臨也は驚くほど素直に目を閉じた。
ゆっくりと唇を重ね、先程と同じように触れるだけで離れようとすると、思いがけず臨也の手がそれを引き止めてくる。
細い指先が静雄の頬に触れ、離れるのは嫌だと訴えかけるようにやわらかな唇がそっと擦り寄せられて、舌先が甘く唇の表面を掠める。
そのやり方自体は手馴れているようなのに、言葉にならない切実さが込められた誘い掛けに、静雄も躊躇することなく応えた。
もう一度唇を深く合わせて、おずおずと差し出された舌に優しく舌で触れる。そして、まるで砂糖菓子を含んでいたかのように甘く感じられる口腔を、ゆっくりと深く味わった。
いつの間にか臨也の両腕も静雄の首筋に回り、二人で甘い口接けに夢中になる。
そして長い長いキスを終え、ゆっくりと離れると、至近距離で臨也がそっと目を開いた。
光線の具合によっては紅く透けるセピア色の瞳が、まっすぐに静雄を捉えて。
「──シズちゃん……」
ひどく優しく、どこか切ない声で名前を呼ぶから、何だ、とまなざしで返すと、何でもないと臨也は小さく呟き、目を伏せて静雄の肩口に顔を埋めてくる。
そのやわらかな黒髪の感触を頬に感じながら、静雄は、なんだ、と思った。
───ちゃんと素直になれるんじゃねぇか。
別に、いつもこんな風にしていろと無理難題を言うつもりは微塵も無かったが、それでも意地っ張りの捻くれ者が、やっと見せた素直な態度は、静雄をひどく優しい気分にさせて。
細い体をやわらかく抱き締めながら、ゆっくりと背中を撫でてやると、臨也はいっそう体を摺り寄せてくる。
その温もりを何よりも愛おしく感じながら、静雄は抱き締める腕に少しだけ力を込めた。
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