「え……?」
ゆっくりと離れ、至近距離で見つめると、臨也は大きく目を瞠っていて。
初めて目にする、呆気に取られた無防備な表情に静雄は微笑みたくなる。が、敢えてその衝動を押し殺し、真面目に言葉を紡いだ。
「お前が嫌なら、もう二度としねえよ」
一体どんな反応をするか。
期待と、それから少しだけの覚悟をしながら、じっと臨也の目を見つめる。
すると、たっぷり五秒も経ってから、臨也の顔がじわりと赤くなった。
そして、静雄を見つめたままの透明な色合いの瞳が、ひどい混乱を起こす。
顔を赤くしたまま、ぎゅっと唇を噛み締め、ぐるぐるとパニックしながら葛藤しているのが手に取るように見て取れて。
もう限界だった。
「ははっ」
たまらずに声を上げて笑い、手を伸ばして腕を掴み、胸に引き寄せる。
細い体は簡単に胸の中に納まり、そうだ、こんな感触だったと、二ヶ月前に汗に濡れた服を着替えさせてやった時の感覚を思い出しながら抱き締める。
あの時は、ただ細いなと思っただけで、それ以上の感情は動かなかった。
それがどうしてこうなったのか。
分かるようで分からなかったが、もうそんなことはどうでも良かった。
「やっぱお前、可愛いわ」
本心からそう告げる。
「あのな、お前の場合、黙ってんのはイエスと同じなんだよ。本当に気に食わないんなら、マシンガンの勢いで言い返してくんだろ」
「そ……」
そんなことはない、と言いたかったのだろう。
だが、さすがにそれには無理があると思ったのか、臨也は一旦言葉を切り、別の言葉で反論してくる。
「ちょ、っと黙ったくらいで、何でイエスになるんだよ!? 君がいきなり変なことするから驚いただけに決まってるだろ!?」
「そうだな、してもいいか聞かなかったのは俺が悪いよな。でも、不意打ちした方が、お前の本心が分かるからよ。驚かせて悪かったな」
「悪いと思うんなら、手を離してよ! なんで抱き締めてんだよ!?」
「だって、離したらお前、逃げるだろ」
「当たり前だろ!!」
「じゃあ、離さねえ」
「なんで!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、自由になる手で脇腹や背中を散々にどついてくる。が、そんなものは蚊が止まったほどにしか感じない。
だが、抵抗しているのは間違いなかったから、仕方がねぇな、と静雄は言葉を選んで語り出す。
「あのな臨也。俺だって何の根拠もなくこうしてるわけじゃねぇよ。ちゃんと考えたし、その間、お前がやることなすこと全部、見てた。──なあ、臨也。俺は嬉しかったんだぜ」
耳元で言い聞かせるようにそう告げると。
腕の中で臨也がフリーズした。
「う…れしかった、って……何が」
「色んなこと全部だ」
「──俺、何かした……?」
問い返す声は、ひどく不思議そうでもあり、不安そうでもあった。
自分でも気付かない間に何をしたのか。そう恐れる声だ。
そんなに怖がる必要はねぇのに、と思いながら、静雄はゆっくりと告げる。
「そうだな……、手近なところから言うと、カフェオレが美味かったし、その前のミルクティーも美味かった。俺の買ってきた杏仁プリンを、お前が美味いって言ったのも嬉しかった」
「は……」
何それ、と臨也は呆れる。
「カフェオレとかミルクティーとか、シズちゃん、一体どんだけ安いわけ……?」
「安くねえよ。今まで俺にそういうことしてくれた奴が、一体どれだけいると思ってんだ」
「…………」
「まあ、トムさんはマクド奢ってくれたり、缶コーヒー奢ってくれたりするけどな。でも、俺のために飲み物作ってくれたのは、家族以外じゃお前が初めてだ」
その意味が分かるか、と心の中で問いかけながら、静雄は続ける。
「それに言っただろ。お前が俺に『普通』をくれるんなら、俺は必死にお前のことを見るってよ。朝から晩まで、お前のことを考えるって言ったよな?」
そう言うと、わずかな間があって、反論が返る。
「──朝から晩まで、じゃなくて、お前のことばかり考える、だよ」
「なんだ、お前だって覚えてんじゃねえか」
思わず静雄は笑ってしまう。
記憶料は抜群に良くとも、どうでもいいことは忘れる主義の臨也が、そんな言葉の端々まで覚えているというのは余程のことだ。
『普通』なんて嫌だと散々に言っていたくせに、どこまで天邪鬼なのか。
ああ本当にこいつは可愛い。腹の底からそう思いながら、静雄は告げる。
「一番最初にな、ちゃんと考え直さないといけねぇと思ったのは、あの夜のお前の言葉がきっかけだ。
どういう意味であれ、お前はいつでも本気で俺に向かってきてたのに、俺はまともに取り合おうとしなかった。でも、そのせいでお前が傷付いてるっていうんなら、俺のしてきたことは何か間違ってるんじゃねえかと思ったんだよ」
言葉を弄ぶ癖のある臨也に対しては、逆に言葉はあまり意味を持たない。
混ぜっ返され、論理をすり替えられて有耶無耶にされるのが関の山で、それよりはむしろ、今のような実力行使の方が効果が上がる。
だが、その一方で、言葉にこだわる臨也は、実力行使だけでも駄目なのだ。
行動を言葉で補足してやらなければ、反発するばかりで受け入れようとしない。
そういう厄介な相手に思っていることがきちんと伝わるよう、静雄は言葉を選びながら、これまでに考えたことを一つ一つ、並べてゆく。
それを聞いている臨也は、反論の言葉を見つけられないのか、静雄の腕の中でじっと身動きすらしなかった。
「で、話の途中でぶっ倒れたお前を連れて帰ったんだが、あの日、俺は、お前は目が覚めたら帰ると思ってたんだよ。夜中だろうと、どんなに高い熱を出してようと、タクシー呼んで、這いずってでも俺の部屋から出てくだろうってな。
でもお前は、出てかなかっただろ? それどころか、憎まれ口叩きながらも、粥も全部食っちまいやがってよ。それで気付いた。もしかしたら、お前の本心は、言葉とは全然違うところにあるんじゃねぇかってな」
語りながら、静雄はゆっくりと臨也の背中を撫でる。
相変わらず、細い背中だった。
必要十分に鍛えられているとはいえ、よくもまあ、こんな簡単に折れてしまうような体で自分に立ち向かってくるものだと、呆れるように感心する。
「それから後は、ずっとお前を見てた。こいつは何考えてるんだろう、本当はどうしたいんだろうってな」
「そ…んな風に観察してるなんて、悪趣味だよ」
「お前がいつもしてることだろうが」
「それでも。可愛い女の子ならともかく、よりによって俺を観察するなんて、悪趣味過ぎるだろ」
「そうでもねぇよ。見てるうちに、お前がすげぇ可愛いのが分かってきたしな」
「……は……!?」
臨也は素っ頓狂な声を上げる。
確かに、『可愛い』などという単語は、男に対しては勿論のこと、臨也に対しては全く似合わない褒め言葉だ。
この台詞を聞いた人間は、臨也自身を含めて十中八九、静雄が発狂したと思うだろう。
だが、静雄は本気だった。
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