* *
手のひらが触れている肌は、こんな冷え込んできている初冬の雨の夜だというのに、ひどく熱かった。
やべぇんじゃねえのかコレ、と思う間にも、臨也は街灯の光を受けてきらきらと反射する、まだうっすらと濡れた瞳で、挑発的に見上げてくる。
「……俺が何言ったって、信じないくせに」
「手前が信じられるような真似をしたことが、これまで一度でもあるかよ」
「───…」
馬鹿か、と思いながら言い返すと、さすがに返す言葉がないのか、黙り込む。
その様子に本格的に呆れながら、頬に当てていた手を額にずらした。すると、手のひらに感じる熱は更に熱い。
「熱、上がってきてんじゃねぇのか。さっきより熱い感じするぞ」
「この状況で下がるわけないだろ、シズちゃんじゃあるまいし」
この期に及んで、まだ言い返す。その根性には脱帽するものの、はっきり言ってウザい。
とっとと根を上げればいいものをと思いながらも、静雄は相手は病人なのだと懸命に気持ちを落ち着かせた。
ぷちっと潰してやりたくてたまらない天敵であっても、病人を殴るのは卑怯者のすることだ。人間、やっていいことといけないことがある。
鎮静剤代わりに、幽とトムの顔や言葉を思い浮かべ、どうにか落ち着いたところで、口を開いた。
「……ったく、手前は、俺を怒らせたいのか怒らせたくねえのか、一体どっちなんだ」
「二者択一なら、怒らせたいに決まってるだろ、勿論」
「なんで決まってんだ」
「──普通なんて、面白くも何ともないじゃん」
「手前は一体、どこまで歪んでんだ」
一体どういう理屈か。ここまでくると呆れるしかない。
だが、臨也は更に言葉を重ねてくる。
「俺が歪んでなかったら、シズちゃんは俺に気付きもしなかっただろ。歪みまくった俺はシズちゃんが大嫌いで、自分の手でどうにかしたくてたまらなくて、そんな俺をシズちゃんは大嫌い。相性ぴったりじゃないか」
病人相手なので、大人しく聞きはした。が、内容のあまりの馬鹿馬鹿しさに、静雄はそれ以上の忍耐を放棄することに決める。
ここにいるのは、ただの熱でおかしくなった病人だ。まともに話を聞いても仕方がない。
そう結論付けて、溜息混じりに額に触れたままだった手を離し、臨也の胴体に移動させる。
「どこがだよ。……ったく、暴れんなよ」
「へ?」
一応、そんな風に一声だけかけてから、背負い投げにも似た要領で素早く自分の体を反転させ、背中にに担ぎ上げた。
「え、うわっ、シズちゃん!?」
「新羅んとこ行く。手前、さっきから言ってることが支離滅裂だぞ。薬もらって飲んで、寝ちまえ」
「そんなの自力で行けるよ! 下ろしてってば!」
「下りられるもんなら下りてみろ。ヘロヘロのくせに」
途端、ぎゃあぎゃあと騒ぎ出した臨也には取り合わず、細い両脚をがっちりとホールドして歩き出す。
───細い、っつーか、軽い、な。
さすがに女子よりは体重があるが、それにしても身長の割には随分と軽く感じる。普段、喧嘩相手を投げまくっているから、成年男性の平均体重は経験則的に分かっているのだが、それと照らし合わせても、明らかに軽い。
こいつ、まともに食ってんのか?、と至極当たり前の疑問を抱いた時、首筋にことんと重みと熱を感じた。
どうやら潰れたらしい。
「……一体、何やってんだかな……」
自分と相手とに呟いて。
静雄は荷物を背負ったまま、勝手知ったる街の中を知人のマンション目指して歩いた。
「うん、脈拍や血圧は少し高いけど正常。呼吸音も綺麗だし、ただの風邪だね」
深夜とまではいかなくとも十分に遅い時刻に尋ねた友人は、多少の嫌味は言ったものの、静雄が背に負っているものの正体に気付いた途端、目を丸くしつつも診察室に招き入れてくれた。
「あと睡眠不足と、ちょっと栄養も不足気味かな。まあ、過労気味で免疫が低下してるところに、風邪の菌を拾ったものだから、ちょっと症状が重くなったんだと思うよ」
「つーより、三十九度近い熱出してんのに、雨降ってる街をふらふらしてるって時点でおかしいだろ。風邪の診察より、こいつの頭の中身を見てやった方がいいんじゃねぇのか」
「まあ、僕としては是非とも解剖してみたい気はするけどね。でも、臨也のは不治の中二病だよ。治療法も処方箋も無し。本人を治療するより、周囲が諦めた方が早いだろうな」
「……マジで馬鹿だろ、こいつ」
「正にその通り。大いに賛同するよ。──で、診察は終わったから、コレ、持って帰ってくれるかい」
新羅のその言葉に、思わず静雄は目を剥く。
「──は?」
「だって、うちは入院設備はないからね。この手術台に寝かせとくくらいはできないでもないけど、布団も予備はないから、多分、明日の朝には、こじらせて肺炎起こしてると思うよ」
「手前、医者だろ!?」
「ブッブー。俺は立派な闇医者だよ。つまり、医者としての倫理観なんかに縛られる必要なんかないんだ。だって免許自体がないんだから、医師法なんて関係ない。そして、自由人の私の意見としては、たかが風邪程度で臨也なんかを大事な大事なセルティとの愛の巣に泊めたくない」
「──じゃあ、コレどうすんだ」
「だから、持って帰ってって。臨也のマンションの場所は知ってるだろ、その前にでも捨てといたらいいよ。まあ、もう少し親切心出して、部屋まで運んでやってもいいかもしれないけど」
「……そういうわけには、いかねぇだろ。こんな熱出してんだし。いくらノミ蟲でも、このまま死んだら後味悪ぃ」
「じゃあ、静雄の家にお持ち帰りしたら?」
「────」
新羅の暴言に、しかし即座に言い返さなかったのは、既にその可能性を考えてしまっていたからだった。
本来なら論外のことではある。だが、高熱を出して唸っている者を見捨てるのは、たとえそれが臨也であっても、どうしても気が引ける。
それに──付け加えるならば、一つ、気になることもある。
「……チッ、仕方ねぇな」
「え、本当に連れて帰るの?」
「手前が言ったんだろうが、それしかねぇって」
「いやまあ、そうだけど。でも前代未聞、驚天動地だよ。確かに、新宿に行くより君のアパートの方が遥かに近いけどさ」
驚きに目を丸くする旧友に、静雄は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「こんだけ熱出して唸ってりゃ、さすがのノミ蟲も悪さはできねぇだろ。ってことは、熱出してる間は、害はねぇってことだ。……それに、気になることもあるしな」
「気になること?」
「ああ」
うなずき、煙草を吸いたいな、と思う。だが、診察室は禁煙だ。
諦めて、静雄は口を開いた。
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