* *
この日、西方軍の戦闘飛行機の1機が、長い空中戦の末、撃墜された。
最後の1機となった戦闘飛行機は全弾を撃ち尽くした後、西の空へと帰還してゆき、それを潮に地上でも西方軍が後退する形で一日の戦闘が終結した。
深追いすることはないと追撃を控えた東方軍は、あと1機、と既に勝ったような雰囲気に包まれ、司令官たちの訓戒も行き届かない有様になった。
夕食として配給された軍用レーションと少量のアルコールを、一日の戦闘で空っぽになった胃に送り込みながら、兵士たちは口々に女のことや故郷のこと、戦いのことなどを語り合っていた。
それらの雑多な会話の話題が、この戦いの最大の功労者のことになったのは、何のはずみだったか。
すぐ近くから聞こえてきた声高な言葉に、ふと楊ゼンは耳をそばだてた。
「けど、やっぱりガーディアンってのはすげぇな」
「あんなでかい金属の塊を一撃で撃ち落すんだもんなぁ」
「しかも、地上の俺たちまで目配りしてな。見かけは、あんな子供なのに……」
「でも、本当の歳は、ここにいるより誰よりも年寄りなんだろ?」
「ああ、だって俺の祖父さんも、ガーディアンと一緒に戦ったって言ってたからな。もう口癖だったぜ。背中の羽根が奇跡みたいに綺麗だったってさ。ガキの頃、散々聞かされた」
「あー、でもそれ分かるぜ。俺もきっと将来、ガキができたら言うよ。俺はガーディアンと一緒に戦ったんだって……」
「何か、女を口説く時にも言ってそうだよな」
「そんな手に引っかかるなんて、どんな女だよ」
「いや、それが案外……」
ひとしきり笑い声が続いた後、誰かがしみじみとした口調で言う。
「きっと俺たち、運がいいんだよな。ガーディアンと一緒に作戦やれるなんて」
「伝説と一緒に居るんだもんな」
「俺、前に一度すぐ側でガーディアンを見たことあるけど、感動もんだったぜ。翼が空に透けて、まるで本当の虹みたいでさ。銃撃戦の最中だったんだけど思わず見とれちまった」
「そうだよなー。遠くから戦ってるのを見ても、綺麗だもんな。きらきらしてて、ああ、あそこに居るんだって安心するんだよ」
「そうそう」
うなずいたあと、一人の兵士が少し口調を変えて口を開いた。
「俺さ、昔、まだぺーぺーだった頃に、ガーディアンに助けられたことあるんだよ」
その言葉に引き寄せられたように、居合わせた兵士たちは、ふと会話を止めて続きを待つ。
「キオールで作戦中だった時、俺の居た小隊が側面攻撃受けて壊走したんだ。敵の戦車が機銃掃射してきやがって、もう駄目だと思った時、ガーディアンが助けてくれてさ。翼で俺のこと庇ってくれて、自分が時間を稼ぐからその間に逃げろって……」
しんと鎮まった中に、低い声が静かに響いた。
「で、逃げようとして、ふっと何気なく見たらガーディアンの左手がなかったんだ。吹き飛ばされたみたいに、肘から先がちぎれてて……」
「──でも…ガーディアンって、腕や脚が無くなっても再生できるんだろ?」
「その暇がなかったんじゃねぇかな。最終的に俺たちが勝ったけど、ひでぇ戦いだったから」
「で、どうしたんだ?」
「どうしようもねぇよ。驚いて顔を見たら、すごく苦しそうな顔してたのにちょっと笑ってさ、早く行けって言って、すぐに敵の戦車の方に行っちまったんだから」
「────」
「おかげで俺は命拾いしたんだけど……何ていうか、それまでとガーディアンに対する考え方が変わってさ。ほら、ガーディアンって痛みとか感じないような気がするだろ? 身体そのものが俺たちとは違うんだし……。でも、やっぱり痛いもんは痛いんだなってさ」
「そうだよな……」
「でも、それってすごく辛くねぇか? 身体はもう人間じゃないのに、痛みは感じるなんて……。そりゃ滅多に怪我することなんかねぇだろうけど」
「なのに優しいんだよな。確かにそれがガーディアンの仕事なんだろうけど、身体張って俺たちのこと守ってくれてさ。俺、時々感動するんだよ。おまえの経験じゃないけど、ギリギリのところで兵隊を助けてるの見たりすると。何であんなことできるんだろうって」
「絶対、見捨てたり諦めたりしないもんな」
「そうだよ。たとえ敵に囲まれてて絶体絶命でも、俺たちが逃げられるよう突破口を開いてくれるし」
「すごいよな、ガーディアンは……」
「彼らは怖くないのかな……」
しんみりと呟かれた言葉を聞き終えて、楊ゼンは顔を兵士たちに向けたまま、側にいた副官に問いかけた。
「ガーディアンがですか?」
「ああ」
「──まぁ、怖くないと言ったら嘘になるでしょうけどね」
淡く湯気の立ち上るコーヒーの紙コップを手の中でもてあそぶようにしながら、副官は答える。
「一緒に戦っていると、それ以上に、すごい、という気分が先に来るんですよ。敬意というか、一種の信仰心というか……」
「そんなものかな」
「中佐殿は、怖いとお感じになりますか」
ことによっては上官に対する不敬ともとれる質問に、楊ゼンは少し考えてからうなずいた。
「自分が稀人のせいか、あんなことができるはずがないと思うとな。理屈も何もなく怖くなる。君たちが稀人の私に感じているのも、こんな感覚か?」
ちらりと副官を見ると、彼は口元に小さく笑みを浮かべた。
「似てるかもしれません。ただ、それは平時のことで、戦闘中はそんなこと言ってられませんからね。ガーディアンと同じ、と言っては失礼ですが、頼もしいとかそういう感覚に変わりますよ。指揮官が稀人で良かった、という」
「──君は、私が上官で良かったと思うのか?」
「ラッキーだったと思ってますよ。あなたの側に居れば、戦死の確率は限りなく低くなりますから」
「……そんなものかな」
「そんなものですよ。確かに自分たち只の人間から見れば、稀人もガーディアンも畏怖の対象です。でも、自分たちを守ってくれていることも知ってますから」
副官の言葉を聞いて、楊ゼンはもう一度兵士たちの一群に目を向ける。
既に話題は他に移ったのか、互いをこづきあい、笑い転げながら彼らはしゃべっている。
その様子を見つめながら、楊ゼンは、この戦場のどこか一角で、今頃たった一人でいるはずの人のことを思った。
* *
幕切れはあっけなかった。
勝利を目前にして勢いづいた東方軍の猛攻に、西方軍は後方の補給基地へと退却を始め、ただ一機残った戦闘飛行機もガーディアンの攻撃を受けて、すべての攻撃のすべを失い、黒煙を上げながらかろうじて西に飛び去っていった。
そしてその翌朝、ミリムから西方軍が完全に退却したことと、戦闘飛行機も数十ガル離れた地点で不時着したことの報告を受け、この作戦が完全勝利に終わった ことを全軍が知った。
お祭り騒ぎのシュクリス基地の中を、楊ゼンは副官も連れずに一人で歩いていた。
食堂やレクリエーション用ホール、ロビーなどは言うに及ばず、至る所で兵士たちが長かった戦いの勝利に歓喜を爆発させている。
楊ゼンはそれらを器用に避けながら、あちこちに酔っ払いが座り込み、あるいは寝転がっている階段を上った。
エレベーターを使わなかったのは、単にエレベーターの扉に寄りかかるようにして寝ている酔っ払いを目にしたからである。
そうでなくとも、基地中がでたらめに動いているようなこの状況では、自分の肉体と感覚を最大限に活用するのが正解だっただろう。仮にも中佐の階級にある者がエレベーターの中に閉じ込められるなどというのは、兵士たちを楽しませるささやかな醜聞としてもあまりにもみっともなかった。
淡々とした歩調で白灰色の階段を昇りつめ、屋上へと続くドアを開く。と、さあっと新鮮な乾いた空気が流れ込んできて、楊ゼンは一瞬、目を細めた。
いつもなら一つに束ねている髪を解いて流したまま、ゆっくりと風の中へ足を踏み出す。
そして辺りを見回せば、すぐに求めていた人影は見つけることができた。
「何が見えますか?」
いつかのようだ、と思いながら、屋上の端に腰を下ろした人に問いかける。
あの時は、まだ何も知らなかった。
何にも気付かないまま声をかけ、言葉を交わした自分は、この人にとってどんなに残酷な存在だったのだろうと楊ゼンが考えていると、短く返事が返ってくる。
「何も」
「何も?」
「空と大地と風だけ。今日は静かだよ。何も動かない」
そう言って、彼は振り返った。
「こんな所に来ておっていいのか?」
「お祭り騒ぎは性に合いませんから。部下たちはみんな楽しんでるようですから、放っておいても大丈夫ですよ」
「困った隊長殿だのう」
淡い微笑をひらめかせて、彼は青い空にまなざしを向ける。
陽光に艶をはじく、蛋白質で構成されたものと何ら変わらぬように見える黒髪が、風になびいて揺れるのを楊ゼンは見つめた。
「───それで…」
しばらくの沈黙の後、彼が静かに問いかけた。
「おぬしが部下を放って、こんな所まできた理由は何だ?」
「何だと言われても困るのですが……」
ゆっくりと楊ゼンは答える。
「ただ、あなたと話をしたいと……僕の話を聞いて欲しいと思ったんです。迷惑なことでしょうが……」
「───…」
空を見つめたまま、彼はまばたきする。
「これから話すのは、僕の勝手な一人語りです。聞きたくなかったら、耳を塞いで、忘れて下さい」
空の青さを映した呂望の深い瞳の色を見つめながら、楊ゼンは静かに続けた。
「──おそらく、あなたは僕の心情を分かっていらっしゃるでしょう。尋常にあらざる力を恐れる人間の卑小さを、あなたはよく知っていらっしゃるはずだ。そうでなければ、あの時の僕を許せたはずがありません」
そう言い、少し待ったが、言葉がさえぎられることも否定されることもなかった。
人形のように動かない横顔に、楊ゼンは語りかける。
「言い訳をするつもりはありません。僕はあの時……あなたが声をかけて下さった時に振り返れなかった。それは事実です。……でも、この1ヵ月余りの間、同じ戦場で戦っているうちに、少しずつ見えてきたことがあるんです」
一見、戦闘値に圧倒的な差がありそうな戦闘飛行機を、一機、また一機と撃墜していきながら、その最中でも兵士を庇い続けた彼。
いつでも一人、堡塁の上で敵の動きを観測し続けていた彼。
小さな背中に見えていたのは、過酷な任務を果たそうとする精神と、たとえようもない孤独。
「僕は結局、何も分かってなかった。自分が稀人であることや、あなたがガーディアンであることがどういう意味を持っているのか……。部下たちの会話を聞き、話をしてようやく分かったんです。
人にあらざる力は恐れられるものですが、決してそれだけではない。僕の部下には、僕やあなたを恐れる気持ちも確かにあるようでしたが、それ以上に稀人として、ガーディアンとしての能力を信頼してくれているのだと……。
それに気付いて、ようやく自分の心に整理をつけることができました」
そして、楊ゼンはゆっくりと告げる。
「あなたが好きです」
彼──伏羲は、青い空へと向けたまなざしを逸らしはしなかった。
だが、細い肩が……深い色の瞳が、かすかに揺れて。
「正直に言えば、まだ僕はあなたが少し怖い。あなたの力を……姿を見て、感動するよりも畏怖を感じる心の方が強いんです。それでも、たった一人で戦い続けるあなたを見て、あなたのために何かしたいと……、あなたを失いたくないと思ったのは本当です」
乾いた大地を吹き抜ける風を受けながら、楊ゼンは静かに言った。
「自分にこんなことを言う資格がないのは承知してますし、あなたの心を惑わせるつもりもありません。ただ、あなたに言っておきたかった」
軍人である以上……稀人である以上、死はいつ訪れるとも知れない。
今回は同じ作戦に従事したが、一週間後にはそれぞれ異なる土地へ配属されるかもしれない。
そんな明日の存在さえ曖昧な自分たちだから。
まだこの口が言葉を発することができる今のうちに、告げておきたかった。
身勝手だとは承知しているけれど。
「僕の話はこれだけです。お一人のところをお邪魔して申し訳ありませんでした」
謝罪して、下に戻ると言おうとした時。
「───…」
彼が小さく何かを言った。
遥かな地平線へと向けられたままの瞳に、何とも言い難い光がにじんでいるのに気付いて、楊ゼンはその凛としたものの消えることのない横顔を見直す。
と、もう一度、彼の唇が動いた。
「………おぬしが、」
高くも低くもなく、冴えて透る静かな声が風にさらわれる。
「いつかおぬしが死んでも、わしはこの先も生き続ける。わしとおぬしが生きる時間軸は違う。それだけではなくて、何もかもが……」
ゆっくりと彼が振り返る。
大きな瞳が、もどかしげな……やりきれない色をにじませて楊ゼンを見つめる。
「この身体は生身ではないし、思考は全てガーディアンとしての任務に直結していて、それを忘れることはない。おぬしはわしを怖いと言うが、当然なのだ。自分でも自分が怖いと思うことがあるのだから……」
静か過ぎるその声に、からからに渇き切った絶望を楊ゼンは聞き取った。
持っていたもの全てを奪われ、何一つ望むことを許されなくなった魂は、こうして一つ一つ色々なものを諦めながら、六十年余の年月を刻んできたのだ。
それがひどく痛くて。
───愛しい。
「だから、おぬしは何も気にするな。わしのことなど気にかける必要はない。全部忘れて……」
どこか泣き出しそうにも見える淡い微笑を浮かべてそう言いかけた、彼の細い肩を。
両手を伸ばして、抱きしめようとした、その時。
低い爆音が耳に届いた。
「な……!」
見上げた青空にたなびく黒煙。
それはまぎれもなく、昨日かろうじて撃墜をまぬがれ、不時着したはずの西方軍の戦闘飛行機。
「まだ動けたのか……!?」
パイロットの戦闘薬の効果は、おそらくもう切れているはずなのに。
友軍の元へ帰還することでなく、空を飛ぶという発狂しそうな恐怖を感受してまで玉砕することを望んだのか。
……否、既に発狂しているのかもしれない。
戦闘飛行機のパイロットに使用されていた薬物は、使い続ければ精神を破壊してしまうほどに強いものだった。
「楊ゼン、すぐに司令官に報告せよ!」
凄まじい勢いで戦闘飛行機はシュクリス基地へと接近してくる。
戦勝に浮かれていた基地は、緊急事態に対処するだけの能力があるかどうか。
背筋が冷えるのを感じながら、楊ゼンはガーディアンの命に従って駆け出す。
最後、屋上からドアへ入る瞬間、淡くきらめく翼が広がるのが視界の端に見えた。
戦闘飛行機のスピードは尋常ではなかった。
満身創痍で黒煙を上げながら、これまでに対戦したどの時より機敏に、致命傷となるはずのこちらの攻撃を避ける。
近距離で見てみれば、すでに銃座さえもぎとられているというのに。
身一つで、基地に突っ込もうとしているのだ。
───この距離では……!
動力炉に被弾して機体が爆発したら、基地にまで被害が及びかねない。
だが、手加減できる状況でもない。
基地の酔っ払いたちは既に事態に気づき、避難を始めているだろうか、と思いつつ、伏羲は変形させた左手から迫撃砲を撃ち込む。
が、それさえもわずかに機体をひねり、戦闘飛行機は致命傷となることを避けた。
その動きに目をみはり、もしかしたら、と考える。
戦闘薬の常用が、パイロットが潜在的に持っていた尋常ならざる力を引き出したのだろうか。
まるで、身体型の稀人のような機敏さ、勘の鋭さは、そうとでも考えなければ理解できない。
───おぬし自身に何の罪があったわけでもないのにな……。
それでも、味方に危害を加えるものは、決して許すわけにはいかない。
狙い定めて、機銃掃射すると尾翼の一部が折れ、音を立てて機体が炎に包まれる。
だが。
次の瞬間、目を疑う。
「な……!?」
それでも墜落することもなく。
まるで奇跡のように、燃え上がる機体は基地へと突っ込んでゆく。
まるで、パイロットの魂を糧としているかのように。
何の迷いもなく。
シュクリスに、墜ちる。
───間に合わない……!
あらゆる機械の動力として使用されている核石は、ほんの小指の先ほどのひとかけらでも、すさまじいエネルギーを持つ。
戦闘飛行機に使用されている核石が爆発したら、この基地ひとつくらいは吹き飛んでしまう。
「駄目だ……!!」
死なせてはいけないと。
ガーディアンの本能が悲鳴を上げる。
その瞬間。
「え……」
ガーディアンの攻撃を受けて火だるまになった戦闘飛行機が、それでもなお墜落することも空中爆発することもなく突っ込んでくるのを見て、一気に酔いの覚めた兵士たちが恐慌状態で、我先にとやみくもに基地の中を走り出した瞬間。
ふいに、接近していた戦闘飛行機の発する爆音が遠くなった。
「あ……?」
窓を振り返り、立ち止まった兵士につられて、一人、また一人と連鎖的に立ち止まる。
その誰もが一様に、ぽかんと口を開けて窓の外を見つめたまま、動けなくなる。
「あれは……」
呟きは、どこかひどく遠くから聞こえた爆発音にまぎれて、誰の耳にも届かない。
そのまま奇妙な静寂が満ちて。
兵士たちを我に返らせたのは、かすかな優しい響きの音だった。
基地の窓の外一面に広がり、視界をさえぎっていた透明に近い半透明の、ごくごく淡い青を主体とした優しい虹色にきらめくものに、ひびがはいってゆく。
ぴしり、ぴしりと小さな音を立てながら。
しゃらしゃらとひそやかな音を立てながら、薄い貝殻のような美しいものが壊れ、崩れててゆく。
「ガーディアン……」
呆然と呟いた誰かの言葉に、ざわめきがさざなみのように広がる。
そして、誰からともなく兵士たちは基地の表へと歩き出した。
基地の前面は無残な状態だった。
戦闘飛行機の機体が爆発四散し、黒焦げになった破片が一面に散らばっており、防御壁も一部が崩れている。
だが、基地の建物そのものは完全に無傷で、その壁際には、淡くきらめく硝子のような破片がいっぱいに積もっていた。
何が起きたのか、誰も口に出さずとも理解しており、誰もが基地を……自分たちの生命を守ってくれた存在を探していた。
どこかまだ夢を見ているかのように遠く感じる不安を胸に抱いて、彼らは沈黙したまま周辺を見渡す。
やがて。
一人の士官が防御壁の向こうに広がる荒野へ踏み出したのを見て、兵士たちはその後へと続く。
非常時である以上、基地の外へ出るのは許可が要るのだが、誰ひとりそんな規則を思い出しはしなかった。
* *
彼に命じられて司令官の元へ行った後、冷凍肉のように転がる部下たちを蹴り起こしながらシェルターへ逃げるように呼びかけつつ、窓の外で繰り広げられる光景を見つめていた。
だから、自分は分かっていたのかもしれない、と思う。
戦闘飛行機のパイロットの意思──それは絶望だったのか怒りだったのか、哀しみだったのか、そんなことは分かりはしないが、それを食い止めるために、彼が身体を呈することを予想してはいなかったか。
渇いた大地に横たわった小さな身体は、まるで人形のようだった。
限界までその能力を使い切った有機金属は、既に端の方から薄黄色を帯びた灰色に変色し始めており、石膏でできた像のようにひびの入った細い手は、指先が欠けていた。
大地に膝をつき、汚れた頬に散っている黒髪にそっと指を触れると、まだやわらかさを残した髪は、つい先ほどまで風になびいていたのと同じようにさらさらと流れた。
けれど、指先に触れた肌は、ひやりと冷たくこわばっていて。
既に温もりを失っていた。
血がにじむほどに唇を噛みしめて、やわらかさを失いつつある身体を地面から抱き上げる。
小さな身体は、思っていたよりもずっと軽かった。
「───呂望……っ」
兵士たちが遠巻きに見守る中、その身体を強く強く抱きしめて。
あの日以来、呼べなかった名前を、楊ゼンは血を吐くような声で呼んだ。
to be continued...
というわけで、長らくお待たせいたしました。『SACRIFICE』第5回です。
待たせた挙句、これかい!!と皆様のお怒りの声が聞こえてきそうですが・・・UPが遅れたのは、皆様の反応が怖かったからではなく、こういう内容なので、まとまった時間が取れるまで取りかかれなかったからです。
今回の展開は、春にこの作品を思いつき、プロットを切った段階から決まっていました。(USAのテロ事件に似てるのは、だから偶然です。10日前にUPしていれば予言になったんですが・・・)
物語はまだ続きます。ようやく半分を過ぎたところですので、この先の展開をお待ち下さいませ。m(_ _)m
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