#014:ビデオショップ







「はい、全部揃ってますね。ありがとうございました」

レンタルビデオショップの女性アルバイトが、返却したビデオを確認し、マニュアルにも載ってないだろうというような笑みをひらめかせるのを、冷たくならない程度に無感動に受け流して、楊ゼンはちらりと新作の並ぶ棚へまなざしを向ける。
自分も恋人も、映画は映画館で見るかビデオをレンタルするのが常で、よほど気に入った作品でもなければDVDを買うことはない。
そして、稀に買うDVDのタイトルは、絶対に新作ではなく何十年も前の名盤と決まっていて、それらは風の音もない静かな夜や、優しい雨の午後、穏やかな休日に、二人でゆったりと見るものと決まっていた。

特に目ぼしいものはないかな、と一瞥して、楊ゼンは店を出る。
そして、入り口付近に繋いで待たせてあった、犬のリードを手に取った。

「待たせて悪かったね。家に帰ろう」

ぱたりと尻尾を振る犬を促して、楊ゼンは歩き出す。
半月ほど前に山道で拾った犬は、そのまま楊ゼンと恋人の飼い犬となって庭の片隅に住まいを与えられた。
見ようによってはマウンテンバーニーズに似てないこともないかもしれない、ところどころに茶の混じった黒いふさふさの毛皮をした中型犬は、余程に温厚な気質らしく、また、前の飼い主によく躾られていたのか無駄吠えをすることもなければ、何か悪戯をすることもない。
おとなしく、いつも嬉しそうに尻尾をぱたぱたとしながら飼い主を黒くて丸い瞳で見上げる犬を、楊ゼンも恋人も非常に可愛がっていた。

「クロ、悪いけど、もう一度待っていてくれるかい」

駅前の商店街で、軽くリードを引いて、楊ゼンは犬を立ち止まらせる。
犬は抵抗することなく、飼い主を見上げた。

犬の名前が、結局、クロという平凡極まりないものに落ち着いたのは、言ってみれば成り行きだった。
恋人は犬の名前は単純なものの方がいいに決まっていると、クロだのクマだのコロだのポチだのと並べ立てたのに対し、楊ゼンは、もう少し個性的というか、この犬らしい名前を付けてやりたいと主張した。
別に、ジョンだのラルフだのアーサーだのという名前が、この雑種の犬に似合うと思ったわけではない。が、あまりに捻りがないのも少し可哀想な気がしたのだ。
しかし、楊ゼンも恋人も、互いのすることには普段寛容だが、基本的に自分の意見を譲りたがるタチではなくて。
埒が明かなくなった議論に、恋人が、それならこやつに決めさせよう、と言ったのである。
こやつというのは勿論、犬のことであり、それもどうかと思わないではなかったが、このまま議論を続けていても決着がつくとは思えなかったため、半ば諦め混じりに同意した。

そして、その結果。
二人が交互に候補の名前を犬に呼びかけ、犬が嬉しそうにワンと一声吠えたのが、「クロ」だったのだ。

つまりは、前の飼い主がつけた名前がクロだったのだろう。
そらみろ、と犬を撫でながら悪戯っぽく笑う恋人に、楊ゼンも苦笑して白旗を揚げ、そのまま犬の名前はクロになった。

もう一度、先ほどと同じく街路樹の支柱にリードを結び、楊ゼンは足早に店内に入って買い物を済ませる。
五分もかけずに出てくると、クロはちゃんとそこにお座りして待っていて、その様子に楊ゼンは小さく笑んだ。

「何度も悪かったね。今度こそ本当に家に帰るよ」

どこまで理解しているのか、クロはぱたりとふさふさの尻尾を振る。
そうして一人と一匹は、混雑し始めた夕暮れ時の商店街を、少し足早に立ち去った。











ノックはせずに、そっと寝室のドアを開ける。
だが、カチャリというドアノブの音に気づいたのだろう、ベッドの上に横になっていた太公望は目を開いて、こちらを見た。

「すみません、起こしましたか」
「いや・・・・うとうとしておっただけだから」

そう言いながら、けだるげな息をつく恋人の頬を、楊ゼンはそっと撫でた。
普段すべやかな頬は少しかさつき、肌は熱を帯びている。
楊ゼンの手の感触が心地いいのか、太公望は一旦目を閉じ、それからもう一度瞼を開けて楊ゼンを見上げた。

「今、何時だ?」
「そろそろ六時ですよ。夕飯は何か食べられそうですか?」
「うむ。・・・・クロの散歩は?」
「さっきビデオを返しがてら、行ってきました。薬も買ってきましたから、あまり辛いようなら飲んで下さいね」
「うむ・・・・」

太公望が体調を崩すのは、珍しいことだった。
楊ゼンもそうだが、太公望も細身に見えても相当に体力がある方で、多少睡眠不足には弱いものの、滅多に風邪を引いたりもしない。
だが、ここ最近の気温の変化に油断したのか、今朝になって太公望は頭痛を訴えたのだ。
彼は大したことはないと言ったが、触れると少し熱っぽい感じがしたため、体温計を渡してみれば渋々計って返されたそれの表示は、37.8度。
そのまま、楊ゼンは有無を言わせずに、起きてきたばかりのベッドに恋人を逆戻りさせたのである。

口ではどう言っても、やはりだるかったのだろう。
ベッドに横になると太公望は直ぐ眠りに落ち、2、3時間ごとに目を覚ましながらも、今日は一日、ベッドから動かなかった。

「じゃあ、お粥ができたら起こしますから。それまで、また寝ていて下さい」
「・・・・・いい加減、寝すぎて腰が痛い」
「それでもですよ。起き上がっているのは辛いんでしょう?」

不満を言う恋人を穏やかに諭しながら、楊ゼンは枕に散った太公望の黒髪をそっと梳いてやる。
その優しい仕草に、太公望は目を閉じる。

「しばらくここに居ますから。体調が戻るまで、ゆっくり休んで下さい」

返事はなかったが、撫でる手を振り払われることもなく。
窓の外が薄闇に覆われるまで、楊ゼンは恋人の傍に寄り添っていた。










夕食のために1時間ほど起き上がっていたのが良くなかったのだろう。
食欲はないが食べないと、と言いつつ粥をたいらげたものの、太公望の熱はその後、また少し上がった。
38度5分を越えると、さすがにどうしようという気にもならないらしく、とりあえず汗に湿ったパジャマと下着を着替えるだけ着替えて、太公望は再びベッドにもぐりこみ、楊ゼンもその間に手早く夕飯の後片付けと、自分の入浴を済ませた。

冷凍庫から出してきた新しいアイスノンをハンドタオルでくるみ、額に置いてやると、その冷やりとした感触に太公望がぼんやり目を明ける。

「冷たすぎますか?」
「いや・・・・気持ちいいよ」

ゆっくりとまばたきしながらつく息は浅く、ひどく気だるげで。
そっと包み込んだ細い手も、いつになく熱を帯びている。
と、太公望が楊ゼンにまなざしを向けた。

「おぬしも休んでよいぞ。わしは大丈夫だから・・・・」
「駄目ですよ」

普段は使っていないのだが、一応、ここの隣りが楊ゼンの部屋ということになっていて、ベッドも置いてある。
太公望の具合が悪い以上、たとえ何をする気がなくとも同じベッドに横になるつもりはなかったが、しかし、だからといって他の部屋で休むということは話が別だった。

「違う部屋にいたら、あなたの様子が分からないでしょう? どうしても夜中は熱が上がりやすいものですからね。ここに居ますよ」
「そんなことをする必要は・・・・」
「先輩」

穏やかに呼ぶことで、楊ゼンは恋人の言葉を途中で止めさせた。

「いつもあなたが僕に言うことでしょう? 僕はあなたの何ですか? 遠慮なんかしないで、もっと甘えて下さっていいんですよ」
「楊ゼン・・・・」
「今は無理せずに甘えて、元気になったらその分を返してくれたらいいんです。それでフィフティでしょう?」
「・・・・・今度は、おぬしが熱を出して、わしが看病するのは御免だぞ」
「大丈夫ですよ、僕は」

そのまま楊ゼンを見上げて何かを考えているようだった太公望は、やがて小さな溜息をついた。

「・・・・仕方ないのう」
「先輩?」
「立場が逆だったら、わしも同じ事をする。だから、仕方がない」

そう言い、太公望は自分の手を包み込んでいる楊ゼンの手を、そっと握る。
熱のせいで力が入らないのだろう。いつになくその仕草は、ささやかで弱々しいものだったが、楊ゼンが見逃すはずもなく、恋人を安心させるように優しく握り返して、空いている方の手で太公望の髪を梳き、頬を撫でた。
ひたすらに優しい、いたわりに満ちた触れ合いに、太公望は体の力を抜くように静かに息をつき、目を閉じて楊ゼンの手に自分から頬を寄せた。

「おぬしの手・・・・すごく安心する・・・・」
「先輩・・・・」
「家族が居た頃を思い出すよ・・・・」

ささやくように告げられた言葉に、楊ゼンは目をみはる。



偶然の中で出会って、惹かれて。
誰よりも愛して守りたいと願ってきた、愛しい愛しい存在。
けれど、手酷く傷つけられながらも、なお強く、優しい人に守られてばかりいるようで。
自分ばかりが甘やかされているようが気がしてならなかった。
どれほど深く、ひたすらに愛しても、恋人が与えてくれる想いの方が、遥かに大きくて深いような気がして。
おそらく、それは間違いではないのだろうけれど。


「すごく・・・・嬉しいですよ」


自分にも与える事ができているものがあるのなら。
存在を必要だと、世界で一番大切な人が求めてくれるのなら。

それ以上の幸せなど、きっとどこにもない。



「ずっと傍に居ますから・・・・」

ささやいて、握り締めていた太公望の細い手の甲に口づける。
それに、太公望も目を閉じたまま、うん、とうなずいて。

そのまま眠りに落ちていった太公望を見つめ、楊ゼンはそっと熱を帯びてかさついた唇に口づけた。

「あなたのためなら何でもしますから。早く元気になって下さいね」

どうにもならないほどの愛しさと共に、ささやいて。
明日は、この人が元気な姿を取り戻してくれますように、と静かに祈った。










正統派ラブラブ。
もちろんネタは、先日自分が寝込んだ時に思いつきました。転んでも只では起きません。
受領は倒るる所に土を掴め。同人女は倒るる所にネタを掴め。

風邪引きネタでよくあるのが、寝込んだ恋人を襲ってしまうというパターンですけど、私なら実際にそれをされたら相手に殺意を抱くので速攻却下。
第一、熱のある時は、むしろ感覚が鈍るもんです。加えて、頭痛いわだるいわ苦しいわで、それどころじゃないのが当たり前。
アルコールを摂取した時も然り。酒はドラッグじゃないので、感度は極端に下がります。

というわけで、現実離れしたドリー夢ばかりもどうかな、という皮肉に満ちたラブ甘です。


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