02 金平糖
丘の上を過ぎてゆく風は爽やかだった。
雨上がりの空気は程よく水分を含み、心地よく肌を撫でてゆく。
このまま昼寝できたら幸せなんだけどなぁ、と思いながらシュリは上着のポケットを探った。
基本的に町や村という集落は、街道沿いに成人が朝から夕方まで歩き通した距離ごとに点在している。つまりは、日のある間中は歩かない限り、その日の宿は確保できないということだ。
野宿は馴れているし、別に苦にならないが、初日からのんびり昼寝の挙句、野宿となると、さすがに同行者の青年も呆れるだろう。
とはいえ、彼は呆れるだけで、こちらに愛想を付かすことはないに違いない。度重なれば、また話は変わってくるだろうが、その辺りの彼の誠実さを、シュリは、ちょっと珍しいほどの不器用さだと高く評価していた。
しかし、今日の天気は昼寝をせずに済ませるには惜しい。
大雨が降った直後なだけあって、澄み切った青空に白いちぎれ雲が浮かんでいるのは、見ているだけでも疲れが癒されるような気がする。
(といっても、別に全然疲れてないんだけどね。昨夜もよく寝たしー)
脈絡のないことを心の中で呟きながら、上着のポケットから取り出した、防湿加工を施した小さな皮袋の口紐を解き、中身をざらりと手のひらにあける。
色とりどりの小さなそれらを幾つか自分の口に放り込んでから、シュリは傍らを振り返った。
「ヘルムートも食べる? 金平糖」
「……相変わらず甘い物好きだな」
「ヘルムートは相変わらず苦手?」
「──苦手ではないが、そう食べたいとも思わんのは変わらんな」
「そういうの、苦手って言うんじゃないの?」
首をかしげて揶揄しつつも、無理に嫌いなものを食べさせようとは思わなかったから、シュリは差し出した手を引っ込める。
そして、甘くて美味しいのにね、と一人ごちながら空を見上げた。
(でも、なんでこういう事になったんだっけ)
改めて考えてみると、自分とヘルムートとの間には共通点がまるでない。
生まれ育った国も違えば、受けた教育も異なる。
どちらも剣を愛用しているが、もちろん太刀筋も似たところはかけらもないし、シュリは目的のために手段をあまり選ばないところがあるが、ヘルムートは道義に外れたことをしない潔癖さを持っている。
食べ物についても、シュリは魚と饅頭が大好物なのに対し、ヘルムートはどちらかというと肉食を好む。
年齢も少しばかり離れているし、背格好だって青年と少年ではいささかの開きがある。
どこもかしこも違う所だらけで、どうしてそんな自分たちが共に旅をすることになったのか、シュリ自身にも正直、分からなかった。
ただ、一緒に行けたら楽しいだろうな、と思ったのだ。
運命の悪戯のように再会して、久しぶりに話をして。
彼と一緒に、これまで知らなかった土地や国へ行って、色々なものを共に見聞きしたら、一人よりも何倍も楽しいだろうと。
直感的に、そう思っただけだった。
旅の空での偶然の出会いを、それで終わりにしたくなかった。
あの戦いが終わった後、またどこかで、と出港してゆく船を見送った時のように、ただ別れることをしたくなかった。
本当は慎重にならなければいけないことくらい、分かっている。
この左手の紋章が持つ業は、仲間たちのおかげで封じることができているが、それでも自分がお尋ね者であることには変わりがない。
少なくとも十年や二十年は、故郷へと足を踏み入れることは避けるべきだし、いつどこで、かの北の大国に自分の存在に気付かれるか分からない。
そんな自分が、同行者など持つべきではないことは重々承知している。
けれど、それでも。
「いい天気だねぇ」
「そうだな」
「ねえ、このままここで昼寝したら駄目かな」
「……いきなり野宿か?」
「今夜は雨、降らないと思うんだけど?」
「……まぁ食料もあるしな。先を急ぐ旅でもないから、お前がそうしたいというのなら反対はしない」
「──ヘルムートって、やっぱりヘルムートだよねぇ」
「? どういう意味だ?」
「ないしょー」
「シュリ?」
名前を呼ぶ声は、心地よく低い響きでシュリの耳を打つ。
その声に小さく笑みながら、シュリは目を閉じた。
───今朝、隠し事や嘘はやめよう、と提案した。
二人きりで、仲裁してくれる仲間もいないのだから、と。
ヘルムートも同意してくれ、言いたいことは言う、と約束してくれた。
けれど、本当は。
全然構わないのだ。
隠し事をされても、嘘を付かれても。
あの頃……共に戦っていた頃から、そうだった。
ヘルムートが望むのであれば、彼が彼であるためだというのなら、たとえ裏切られても許せると思っていたし、今でもそう思う。
あまりにも違いすぎる存在であることが分かっていたから。
道を違(たが)えるのが当然であると思えたから、彼を知れば知るほどに、彼が望むことならば、それがどんな困難であっても受け入れたい、と思えた。
違いすぎることを分かっているが故に、彼もまた、自分の我儘を受け入れてくれるだろう、と信じられたから。
そして、今もまた、自分と彼ではいずれは行く先が完全に分かれてしまうことが分かっているから。
だからこそ、正直であって欲しいと思うし、正直であろうとするが故に共に居れば自然に生ずるだろう隠し事も嘘も、すべて受け入れたい、と思うのだ。
「嘘だよ」
「何?」
「野宿。昼寝したいのは本当だけど、やっぱり屋根のあるところで寝る方が体も休まるしね。もう少し休憩したら、出発しよう?」
「……いいのか?」
「ヘルムートこそ。そんなに野宿したい?」
「いや……」
「じゃ、いいじゃない。今日の宿は次の村で決まり」
ひどく勝手な物言いをしているのに、仕方がない、とヘルムートをうなずいてくれる。
怒ってくれてもいいのに、と少しばかり甘い感情と共にシュリは思う。
そんな風に甘いから、図に乗って付け込みたくなるのだ。
もう3粒ばかりの、とげとげとした砂糖の塊を口に放り込んで、皮袋の紐を締める。
「ヘルムート」
「何だ」
「君も我儘、言っていいよ? 嫌いになんか絶対ならないから」
「───突然、何だ?」
また何かロクでもないことを思いつきでもしたのかと、訝(いぶか)るような口調になるのがおかしい。
ああ、やっぱり一緒にいたいなぁ、とシュリはしみじみ思う。
「約束したでしょ、今朝。言いたいこと言うって」
「その話か」
「うん」
「別に遠慮する気はない。今も言いたいことは言ったつもりだ」
「そう?」
ならいいけど、とシュリは微笑しながら呟く。
見上げた空は高く青く、雲は白い。
風は丘の上を心地よく吹き抜けて、傍らには、一緒に居たいと思った人。
手のひらには、甘い甘い金平糖。
「そろそろ行こうか」
幸せ。
その一言で、すべてが表せるような気がした。
end.
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