きらきら 16

「あなたのせいじゃないです、沢田さん。俺が気持ちを隠してたんです。あなたが大事過ぎて……自分でもどうすればいいのか分からなくて、今日まで言えなかった。だから、あなたが気付かなかったのも当然なんです」
「そんなことないよ……!」
 自分の考えが足らなかったのだと、綱吉の瞳からこらえきれない涙がこぼれ落ちる。
 そして、それを隠すようにうつむいた姿を見つめながら、綱吉もこんな気持ちだったのだろうか、と獄寺は考えた。

 世界でただ一人の大切な人が、いわれのないことで……それも自分に関することで、彼自身を責め続けている。
 その姿は、耐えがたいほどに辛く、苦しく、悲しい。
 もう止めて下さいと叫びたくなる。
 そんな必要はないのだと、細い両肩を掴んで揺さぶりたくなる。
 だが、きっと綱吉も、こんな思いを抱えながらこの一月、自分と会っていてくれたのだろう。
 そして、とうとう耐えかねて、あの言葉を告げたのだ。
 そう思うと、たまらなかった。

「沢田さん、泣かないで下さい。お願いです。あなたに泣かれると、俺は死にたくなります」
 本心から出た言葉ではあったが、脅し言葉のようでもある。それは効果絶大だった。
「……この期に及んで、まだそんなこと言う?」
 ぴたりとすすり泣く声が止まって、濡れた濃金色の瞳が上目遣いに睨んでくる。
 一瞬、怖じ気付いたが、それでも獄寺は引き下がらなかった。
「言います。俺のせいであなたが泣くのは嫌です」
「……君のせいじゃないだろ」
「俺のせいですよ」
 綱吉の瞳にまた新たな涙が潤み出すのを見て取り、それは駄目だと、獄寺は手をのばした。
 細い肩を引き寄せ、背に腕を回すと、細身の体はすんなりと自分の腕の中に収まる。
 ふわりと届いた甘い匂いに、めまいがしそうだった。
「獄寺、君」
「もう自分を責めるのは止めて下さい。俺ももう、止めます。――あれは、事故だった。どうにもならない、ことだったんです」
 自分に言い聞かせるように言いながら、抱き締める腕に力を込める。
「きっとこの先も、思い出す度に辛いです。あなたの目を見る度に、辛い。でも、どんなに俺が悔やんだって、何も変わらない。あなたを、苦しめるだけだ」
「……獄寺君」
 優しい声に驚いたような響きで名前を呼ばれて。
 湧き上がる想いに胸が掻きむしられる。
「沢田さん」
 腕の力を緩めて、綱吉とまなざしを合わせる。
 そして、魂の全てをかけて言葉を紡いだ。


「傍にいさせて下さい。俺は、あなたの右目の代わりになりたい」


 その言葉に、綱吉の顔に不安と疑問がよぎる。
 だが、それは違うと獄寺は、そっと左手の親指の腹で綱吉の右の目許に触れた。
「償いのつもりで言ってるんじゃありません。もちろん、あなたのために何かをしたい気持ちはあります。あなたにこんな怪我をさせてしまったことは、今でも悔しくてたまりません。――でも、それ以上に、俺以外の奴があなたの傍にいるのは嫌なんです」
 医者には、いずれ左目の視力も落ちるだろうと言われた。
 その時に綱吉の日常を助けるのは――自分以外の人間であって欲しくなかった。
 この一週間、考えに考え続けて、それがどれほど我儘で身勝手な感情であったとしても、たとえ恥知らずと蔑まれたとしても、それだけは絶対に譲れないと悟ったのだ。
 無論、だからといって、どれほど意気込んだところで、綱吉自身に拒絶されたら引き下がって、遠くから幸せを祈るしかなかった。
 だが、奇跡は起きたのだ。

「あなたの一番傍に、俺を置いて下さい。俺は何もできない人間です。でも……あなたが好きなんです」

 ありったけの真摯さでそう告げると、その言葉に込められた重みに感応したのか、綱吉の瞳が震えるようにまばたいた。
「……ずっと、傍にいてくれるの……?」
 不安と、もしかしたら期待も込められていたかもしれない。かすれる寸前の細い声が問いかける。
「ずっとずっと傍にいます。あなたが望まれる限り、この命が尽きるまで」
「――――」
 ためらいなく告げた誓いに対する返事は、言葉ではなかった。
 綱吉の両腕が、獄寺の首筋に回る。
 そのままきつく抱き締められ、獄寺も細い身体をいっぱいに抱き締める。
 そして、綱吉の身体がかすかな嗚咽に震えていることに気付いた。
「……獄寺君」
 すすり泣きにかすれた声が、獄寺を呼ぶ。
「獄寺君、俺はあの事故で、別に何かを失くしたわけじゃないんだよ。確かに『十代目』でなくなったのは、悲しかった。やっと、俺にも何かができるんだって思えてきてたから。でも、俺が『十代目』でなくなっても、皆、居てくれた。山本も笹川先輩も、京子ちゃんもハルも。皆、何も変わらなかった」
 けれど、と綱吉は続けた。
「でも、君だけは……」
 いなくなっていた、という言葉を口にできずに、綱吉の細い肩がいっそう大きく震える。
 その震えは、抱き締めている獄寺の胸をも深く抉った。

「俺はね、獄寺君。『十代目』でなくなったことより、君がいなくなったことの方が悲しかった。
 朝、家を出ても、学校に行っても、君がいない。どこに行っても、君がいない……!」

 悲しい悲鳴のような声で訴えて、綱吉が泣き崩れる。
 その細い泣き声を聞きながら、獄寺も込み上げるものを堪え切れなくなる。

 償いのつもりで、あるいは償い切れないと分かっていたから、傍を離れたつもりだった。
 けれど、今になって思い出す。
 最後の日、去ってゆこうとした自分を呼び止めた綱吉の声。
 振り返った自分を見つめた瞳は、これまで見たどんなまなざしよりも悲しい色をしていた。
 泣き出す寸前のその色に、自分はこの人を傷つけるばかりだったと、己を軽蔑して悲しんだ、だけだったのだ。
 立ち止まろうなどとは、考えもしなかった。

「すみません、沢田さん。すみません……!」
 たまらずに謝罪を繰り返す。
 だが、腕の中で綱吉は小さくかぶりを振った。
「ち、がうよ、獄寺君。違う。これは、さっき君が言ったことと同じ。俺が、勝手に傷ついてただけなんだ。君が悪いんじゃない」
「でも……っ」
「いいんだよ、獄寺君」
 言いつのろうとする獄寺に、少しだけ強い口調で言い、綱吉は顔を上げる。
 濡れて赤くなった目許が痛々しい。
 だが、見つめるまなざしはあの頃と変わらず透明で、凛と強かった。
「君は今、ここにいるんだから。どんなつもりだったとしても、君はもう一度、俺の近くに来てくれた。だから、もう一度会えた。それで、俺はもういいんだよ……!」
「沢田、さん」
 綱吉の細い指先が、獄寺の頬を伝い落ちた雫をそっとぬぐう。
 そして、ひたと獄寺を見つめた。

「ずっと傍にいて。もう、どこにも行かないで」

 最愛の人が紡いだ、無垢で貪欲な、たった一つの願い。
 それは一生抜けない楔のように、獄寺の心と魂を貫いた。

「はい。もう、どこにも行きません。ずっとあなたの傍にいます」

 魂を振り絞るように真摯に答えて、ゆっくりと手を上げ、濡れた頬を優しくぬぐい、手のひらで包み込む。
 と、その感触にやっと安らいだかのように、綱吉の張り詰めていたまなざしが和らぐ。
 それを何よりも愛おしいと思った。

「愛してます」

 一生告げることはないと思っていた言葉を捧げて、応えるように身を寄せてきた人の唇をそっとついばむ。
 初めてのキスはどちらもかすかに震えていて、互いに溜息のような吐息を零した後、これが欲しかったのだとばかりにもう一度唇を重ねた。
 ようやく一つになった想いを確かめ合うように、やわらかく触れ合うばかりのキスを繰り返すうちに、獄寺の手が綱吉の背へと回る。
 そして、細いうなじを片手で支えるようにしながら、ためらいがちな動きで、そっと舌先でやわらかな下唇に触れる。と、腕の中の綱吉はぴくりと小さく身体を震わせた。
 その反応に、性急すぎるかと獄寺は引きかけたが、綱吉は逆に引き寄せるように獄寺の肩に手を置き、やわらかな舌先で同じようにためらいがちに触れ返してくる。
 甘やかな誘いかけに鼓動が早まるのを感じながら、獄寺はゆっくりとキスを深いものに変えた。
 互いのことを知るのはこれが初めてのことだったから、手慣れた真似などできるはずもない。
 ぎこちなく触れ合わせては離れることを繰り返しながら、互いのなめらかな感触を探る。
 そんな手探りで明かりを求めるような拙いキスだったが、分かち合う優しさと温もりは、これまでに感じた何よりも互いを癒し、酔わせた。
 そして、やわらかく触れ合っているうちに、熱を伴った甘さも、ゆっくりと湧き上がってくる。
 そのめまいがするような甘さを切実に追い求めながらも、獄寺は己の衝動が危険水位に達する前に身を引いた。

 大きく息をつきながらまなざしを向けると、綱吉も閉じていた目をゆっくりと開くところだった。
 濃琥珀色の瞳が熱を帯びて潤み、すべやかな頬も上気して淡く染まっている。
 たまらなくそそられると同時に、真珠貝が真珠をくるむよりも優しく包み込みたい、大切にしたいという想いが湧き上がる。
 それは欲望とは似て非なる、唯ひとりの人への愛おしさだった。

「好きです、沢田さん」
「……うん。俺も好きだよ」
「はい」

 優しい微笑みと共に、君が好き、と告げられる言葉を、天の福音と受け止めながら、そっと顔を伏せて額を触れ合わせる。
 愛しい人の優しいぬくもりを感じながら、あの日以来初めて、生きていて良かった、と獄寺は自分の命があることを世界に感謝した。



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