きらきら 13
そろそろ出かける時刻だった。
ポケットに財布と携帯電話だけを入れて、綱吉はコートを羽織る。今日は暖かいから、手袋もマフラーも無しでいいだろう。
明るい窓の外を眺め、獄寺はどんな表情で待ち合わせ場所に来るだろうかと考える。
きっと彼のことだから、辛さを堪えて自分の言葉を真剣に考えてくれただろう。
獄寺が、自分に対して誠実でなかったことなど一度もない。
そんな彼の出した結論ならば、それがどんなものであれ受け入れるべきだと昨夜、心に決めたことをもう一度思い返して、綱吉は目を伏せる。
今日で、きっと全てが終わる。
だが、それでもいいと今は思えた。
獄寺がこれ以上辛くならないのなら、苦しまずにすむのなら、それに勝ることは一つもない。
「獄寺君……」
呟くように名前を呼び、そしてまなざしを上げた綱吉は、ゆっくりと小さなアパートを出た。
* *
今日も温かな日和(ひより)だった。
寒の戻りはあるにせよ、このまま少しずつ季節は春へと向かってゆくのだろう。
少し霞んでいるように見えるやわらかな水色の空を見上げ、獄寺はゆっくりと歩き出した。
綱吉といつも待ち合わせる交差点は、最寄りの地下鉄の駅からは徒歩で十分以上離れている少し微妙な場所にある。
交通手段として地下鉄を使えないわけではなかったが、路線が違うため、乗換えの時間と手間を考えると、自宅のマンションから歩くのとさほど変わらない。
だから、いつも獄寺は三十分近い道程を歩くことにしていた。
こうして待ち合わせ場所に向かって歩いている間、いつも色々なことが思い浮かぶ。
中学生時代のこと、幾つもの戦いのこと、高校受験前後のこと。
そして、あの事故とその後の日々。
それから、綱吉と先日会った時の会話。
出会ってから離れるまでの四年半分の記憶と、最近の一月分の記憶は、どれもこれも殆どが綱吉とのエピソードで占められていて、その一つ一つが自分の心を温めもしたし、辛くもさせた。
今日も、一週間前に会った時のことを思い返しながら獄寺は歩く。
『君の中に少しでも償いの気持ちがあるのなら、俺は、要らない』
そう言った時の綱吉は、ひどく辛そうな悲しそうな目をしていた。
獄寺の前で涙は見せなかったが、本当は泣きたかったのではないだろうか。
言われた側にもその言葉は鋭く突き刺さったが、綱吉自身もきっと傷付いていたのだろう。
言いたくないけれど言わなければならない。そんな覚悟が、澄んだ濃琥珀色の瞳に強く浮かんでいた。
再会して以来、何度も綱吉は会いたいと言ってくれたし、連絡もしてくれていた。
なのに、自分は怯えて怖がってばかりで、正面から気持ちを返すことができなかった。
そんな自分とどんな思いで彼が向かい合っていてくれたのか、考えるとひどく苦しくなる。
もう少し自分が考え深ければ、優しい人間であれば、彼をあんなにも悲しませずにすんだだろうか。
それとも、自分が自分である限り、彼を傷つけずにはいられなかっただろうか。
沢田さん、と心の中で呟く。
彼と出会えたことは、自分の生涯の中で最大の幸せだった。
なのに、自分は彼をこれっぽっちも幸せにできなかった。
そのことが、どうしようもなく悔しい。
だが、それは自分が彼にふさわしい人間ではなかったということなのだろう。
ならば、せめてできることは誠実であることくらいだった。
彼は、彼にできる最大限の誠実さで、弱虫で卑怯な自分に向き合ってくれた。
せめて、それにだけは応えなければ、と思いながら歩く。
そうして、交差点を渡ろうと顔を上げると。
待ち合わせの場所に佇む、細い姿が見えた。
「沢田さん……」
交差点を渡り、目の前に立って名を呼ぶと、綱吉は表情を選びかねたような顔ではにかむように笑った。
「いつも君の方が早いから。獄寺君、いつもこんなに早く来て待っててくれたんだね」
二十分も前だよ、と携帯電話の時刻を示す。
「それは……もしお待たせしたら悪いと思って……」
「うん、分かってる」
「俺が勝手にしてることなんです。だから、」
「分かってるよ、獄寺君。今日はね、ただ、俺が君より先にここに着いていたかった。それだけ」
咎めているわけではないのだと、綱吉は笑む。
だが、やわらかな表情の中で、濃琥珀色の瞳は一週間前と同じように悲しげで、寂しげだった。
そして、そのまなざしがふっと伏せられた。
「――謝らなきゃいけないと思って」
「え……?」
「この前のこと。俺、君の気持ちも考えずに酷いこと、言ったから」
「酷いこと、ですか?」
「うん」
要らない、というあの言葉のことだろうかと獄寺は考える。
確かに、あの言葉は鋭く突き刺さった。心を切り裂かれたような気がしたのは間違いない。
けれど、酷いこと、という表現は当たらない気がした。
「あの時のことなら、沢田さんは何にも悪くないです。俺の方が悪かったんです。自分のことで手いっぱいで、あなたの気持ちを全然考えてなかった」
そう告げた途端に、綱吉はうつむいた顔を跳ね上げる。
「そんなことないよ! 自分のことで手いっぱいだったのは、俺の方だよ。君のこと、分かってるつもりで全然分かってなかった。だから……」
見上げてくる瞳は、ひどく悲しそうで痛々しかった。
今にも泣いてしまいそうに見えて、それは駄目だ、と獄寺は思う。
これ以上、この人を悲しませてはいけない。
苦しませるのは、もう終わりにしなければ、とそう思ったから。
「沢田さん」
そっと名前を呼んだ。
大切な大切な、たった一つの名前。
「あなたが好きです」
そう告げた途端、綱吉は目をまばたかせた。
それから、綺麗な濃琥珀色の瞳が大きく見開かれる。
「……今、何て……?」
「何度だって言いますよ。あなたが、好きです。ずっと昔から、好きでした」
重ねて告げると、綱吉の肩が小さく震えたようだった。
呆然と見上げてくるまなざしを見つめ返しながら、驚かせてしまっただろうと獄寺は思う。
だが、本当のことだった。
右腕という制約を超えて好きだったから、守りきれなかったことが辛かった。
あの日以来、死にたい程の罪の意識に苛まれてきた。
けれど、その感情が彼を傷つけることになるのなら、そんなものはいらない。
いらなかった。
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