きらきら 12

『――今だから言うけど……ツナが事故に遭った時な。三日間、意識が戻らなかっただろ? あの時、俺と笹川先輩は交代でずっと獄寺を見張ってたんだよ。
 あいつ、ものすごいショック受けてたからさ。何だか目を離したらヤバいことになりそうな感じがしてさ……』
「―――…」
 綱吉は、ぎゅっと携帯電話を握りしめる。
 だが、それでも体の震えは止まらなかった。
『それで、ツナの意識が戻って、俺たちもちょっと安心したんだけど……目のことが分かって、ボンゴレリングも返すことになって。あいつもイタリアに帰るって言い出しただろ。
 ……俺、言ったんだぜ。ツナの気持ちも考えろって。お前が自分の責任だって思いつめて、そんなんでツナが喜ぶと思うのかって。……でも、駄目だった。ごめんな、ツナ』
「――なんで……なんで、山本が謝んの? 山本は何にも悪くないじゃん……」
『でも、イタリアに帰るっていうあいつを止めらんなかった。それは俺の力不足だろ?』
「そんなことないよ!」

 力不足というのなら、自分の方だった。
 おそらく、あの時獄寺を止められる人間がいるとしたら、それは自分だけだった。
 けれど、自分は何も言えなかったのだ。
 獄寺が責任を感じていることも、傷付き苦しんでいることも、気付いていたのに。
 色々なものを失くしてしまったことが辛くて、自分自身のことで手いっぱいで、去ってゆく彼にかける言葉を見つけることができなかった。

「ごめん、山本……。俺があんな事故に遭ったから……」
『それこそツナのせいじゃねーだろ。ツナは悪くねーよ。獄寺だって悪くねー。二人とも巻き込まれちまっただけだ。そうだろ?』
「そうだけど……分かってるけど……!」

 獄寺はまだ、苦しんでいる。
 何もかも自分の責任だと思いつめたまま。
 そのことが綱吉も、辛くて苦しくてたまらない。

『ツナ、ごめん。傷つけるつもりはなかったんだ。本当にごめんな』
「ううん。傷ついてなんかない。大丈夫。大丈夫だから……」
 辛そうな親友の声に、綱吉は気を静めようと大きく深呼吸する。
 それを山本も感じ取ったのだろう。少しの間、無言で待っていてくれた。
『それで……あいつ、どうだった? 元気そうだったか?』
「――うん。御飯はちゃんと食べてる感じはした。仕事も結構忙しいみたい」
『そっか……。連絡先とかは分かってんのか?』
「携帯の番号とメルアドは教えてくれた。どこに住んでるのかは聞いてないけど、俺のアパートからそんなに遠くはないと思う」
『じゃあ……連絡は取ってるのか?』
 その質問に答えるには、一瞬の間が必要だった。
「――うん。でもこの前会った時にちょっとあって……今は向こうからの連絡待ち」
『そっか』
 綱吉の言葉を山本は追求してこない。
 その優しさが今はありがたかった。
『じゃあさ、機会があったら獄寺に言っておいてくれよ。俺が会いたがってたって。連絡寄越せって。あいつに俺の携帯の番号とアドレス、教えてやってくれ』
「……うん。分かった。絶対に伝える」
『ああ』
 うなずき、山本は短く沈黙する。
 それから、何かを思うような深い声で、ツナ、と呼んだ。
『気休めにしか聞こえねーかもしれねーけど……獄寺は大丈夫だと思うぜ』
「え……?」
『上手く言えねーけど。あの時、死なないで今まで生きてたんなら、大丈夫だって気がする。あいつ、日本に戻ってきてたんだろ? 並盛には顔を出せなかったにしても、ツナのすぐ近くにはいたんだ』
 だから、と山本は続けた。
『結局、あいつはツナと離ればなれじゃ生きていけねーんだよ。だから、どんなに苦しんだって、あいつはツナの傍にいることを選ぶと思う。それしか、あいつには選択肢はきっとねーよ』
「山本……」

 分かっているのか、と思った。
 再会した自分達が、何に苦しむのか。どんな壁にぶつかるのか。
 思えばあの頃、ずっと一緒にいたのは、自分と獄寺だけではない。いつも山本も隣にいたのだ。
 そんな彼には、きっと全て見えているのだろう。

 けれど。

「……ありがと、山本」
『いや。俺はまだ、お前らの親友のつもりだし。今は滅多に会えなくなっちまってるけどな』
「何言ってんだよ。友達は、会う回数で決まるようなものじゃないだろ」
 年に一度しか会えなくとも、互いの心が変わらなければ、時間も距離も関係ない。
 中学時代からここまでの年月の間で、綱吉はそう理解していた。
 その思いが伝わったのか、電話の向こうで山本がふっと笑う。
『そーだな。とにかくキャンプが終わったら、俺も一旦、並盛に帰るからさ。そん時に会おうぜ』
「うん。楽しみにしてる」
『じゃあな、ツナ』
「うん、またね。怪我しないように、キャンプ頑張って」
『おう』
 快活な声を最後に、通話が切れて。
 ゆっくりと綱吉は携帯電話を持つ手を下ろした。

「ありがと、山本……。でも……駄目なんだよ」

 今の電話で分かった。
 獄寺が抱えている罪の意識は、自分が考えていたよりも遥かに大きい。
 二年余り前、獄寺がイタリアに帰ると言った時、綱吉はもう二度と会えないことを悲しみはしたものの、彼がこの世からいなくなることは想像しなかった。
 きっと、イタリアで毎日それなりに暮らしている。また無茶をしていないか、怪我をしていないか。心配しながらも、そんな風にのんきな想像しかしていなかったのだ。
 けれど、獄寺が自死を考える程の罪の意識をずっと抱いていたのなら。
 その罪の意識を乗り越えるか、乗り越えないか。二者択一を迫られた獄寺は、必ずや贖罪の方を選ぶだろう。
 沢田綱吉という人間を大切に思えば思う程、彼は沢田綱吉からは遠ざかってゆく。

『君の中に少しでも償いの気持ちがあるのなら、俺は、要らない』

 あれは、獄寺隼人という人間には決して言ってはならない言葉だった。
 それ以前に。


 自分たちは、再会してはいけなかった。


「俺、馬鹿だ……」
 もう二度と会えないと思っていた人に会えたから。
 遠く離れた場所にいると思っていた人が、すぐ近くにいるのだと知ったから。
 あの頃のように戻れる可能性があるのだと思ってしまったのだ。
 獄寺の方には、これっぽっちもそんな気持ちはなかったのに。
 自分との再会は、彼を苦しめるだけだったのに。
 それを分かっていなかったから、決して口にしてはならない言葉を口にして、もう一度手酷く傷つけてしまった。
「ごめん、獄寺君……ごめん……」
 その場にうずくまるようにして、綱吉は込み上げる激しい嗚咽にすすり泣く。
 きっとあの時の獄寺も泣きたかっただろう。
 死にたいくらいの気持ちを抱えて、それでも会っていた相手に、そんな気持ちで会うのならいらないと言われて。
 自分が獄寺の立場だったら、今度こそ死にたくなる。
 どうすればいいんだと叫びたくなる。
「本当にごめんね、ごめんなさい……」
 また一つ犯した、取り返しのつかない罪に。
 綱吉は子供のように声を上げて泣いた。

*     *

 ぼんやりと目覚めて、最初に視界に入ったのは、付けっぱなしになっていた天井の照明だった。
 相当にむくんでいることを知らせるかのように重たいまぶたをしばたいて、あのまま眠ってしまったらしい、と思い当たる。
 カーテンを引き忘れていた窓の外はまだ暗く、夜であることは分かるが、この位置からは目覚まし時計は見えないから時刻は分からない。
 更に視線を動かすと、荷造りの途中で放り出したままのスポーツバッグが目に入った。
 母親には明日(今日かもしれない)帰ると言ったが、一日遅らせるべきかもしれない。こたつに半分潜り込むような姿勢で変な寝方をしたせいなのか、気分の問題なのか、これから荷造りを再開するのはひどく億劫に思えた。
 ファンヒーターも付けっぱなしだったから、部屋の中は寒くはない。
 風邪を引かなくて良かったと思いつつ、寝転がったまま携帯電話を捜す。
 とりあえず時間を確認して、まだ母親が起きている時間なら、帰省が遅れると電話なりメールなりをしようと、頭の上の方にあった携帯電話を見つけて掴み、そして。

 点滅しているイルミネーションに気付いた。

 着信ではなく、メールだということはサブ画面の小さなアイコンで分かる。
 誰から、と思いながら二つ折りの本体を開く。
 山本かもしれなかった。あんな電話の後だから、フォローのメールを送ってきた可能性はある。
 けれど、まさか。

「……獄寺、君……」

 開いたメールフォルダの送信者名には、はっきりそうと浮かんでいた。
 そして、震える指で操作して表示した本文は。
 ごく短かった。

『御連絡が遅くなってすみません。明日、会っていただくお時間はありますか?』

 液晶画面に浮かぶメールの文字を、震える指先でなぞる。
 それから、唇を噛み締めて返信ボタンを押した。

『返信が遅れてごめん。明日、会えます。時間と場所は、君に合わせます』

 送信してから、返信の着メロが鳴るまでは五分程の時間がかかった。
 その五分の間に獄寺は何を考えたのだろうと思いながら、メールを開く。
 相変わらず、文章は短かった。

『ありがとうございます。明日、午後三時にいつもの場所で、お願いします』

「……明日の、午後三時」
 呟いて、綱吉は携帯電話の時刻表示を確かめる。
 午後九時なら、母親に連絡をするのは問題ない。帰省が一日遅れると伝えておかなければならなかった。



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